She
Richard Wilbur
But then she changed, and coming down amid
The flocks of Abel and the fields of Cain
Clothed in their wish, her Eden graces hid,
A shape of plenty with a mop of grain,
She broke upon the world, in time took on
The look of every lavour and its fruits.
She cupped her patient hand for attributes,
Was radiant captive of the farthest tower
And shed her honour on the fields of war,
Walked in her garden at the evening hour,
Her shadow like a dark ogival door,
Breasted the seas for all the westward ships
And, come to virgin empires, changed again-
A moonlike being trust in eclipse
And subject goddess of the dream of men.
しかしそのとき彼女は変わって 近づき下ってきた
アベルの群れどもとカインの原野へと
彼らの願いを纏って 彼女の楽土は優美さを隠し
穀物の塊の豊かな形を隠した
彼女はこの世で毀れた あらゆる労苦と
その果実の見せかけを受け入れたときに
襞をとる薄物の衣を纏った円柱の姿で
耐え忍ぶその掌〔テ〕に属性を注がせ
最果ての塔に囚われた輝ける虜となって
その誉れを戦いの野へと流して
黄昏時に苑を歩む
その影は弧を描く昏い扉と似て
西へと向かうすべての船のための海どもを胸に受け止め
処女の帝国へと来たりてまた変わり――
月と似た真正の蝕へと向かい
男らの夢の内で平伏す女神となった
*読めば読むほど不思議な詩です。どことなくT・S・エリオットの「灰の水曜日/Ash wednesday/Ash」 Ⅱを思い出させます。エリオットは1888生まれでウィルバーは1912年。影響や交友関係を調べてみたいものです。
「灰の水曜日」は当ブログの2014年9月5日に全文と訳をまとめて載せております。私が思い出したのはそのⅡの途中の「骨どものさえずりうたった」歌のくだりでした。
しじまの貴女よ
おだやかに 苦しめられ
引き裂かれ なおまったき
思い出のばらよ
忘却のばらよ
疲れはて 命あたえる
惑いつつ安らかな
ただひとつのばらが
いま庭にあります
あらゆる愛の終わるところに
かぎりある愛の
苦しみは充ちず
より大きな愛の苦しみに充たされているところに
果てなき旅路の
はての果てを
結びえぬすべての
結びを
ことばなき語りと
語りなきことばを
母へのあわれみを
庭のために
すべての愛の終わるところに
この時期は和語の訳に拘りぬいていたため全体に平仮名だらけです(;^_^A この「近代世界で抑圧された女性性」といったものへの過剰なほどの憧憬と賛美は、十九世紀後半から二十世紀初頭の理に勝ったタイプの男性詩人に共通してみられる傾向という気がします。私は正直そこに少々オリエンタリズム的な逆差別を感じる。「女」はマリアでもマグダラでもない。単なる人間の一タイプです。
Richard Wilbur
But then she changed, and coming down amid
The flocks of Abel and the fields of Cain
Clothed in their wish, her Eden graces hid,
A shape of plenty with a mop of grain,
She broke upon the world, in time took on
The look of every lavour and its fruits.
She cupped her patient hand for attributes,
Was radiant captive of the farthest tower
And shed her honour on the fields of war,
Walked in her garden at the evening hour,
Her shadow like a dark ogival door,
Breasted the seas for all the westward ships
And, come to virgin empires, changed again-
A moonlike being trust in eclipse
And subject goddess of the dream of men.
しかしそのとき彼女は変わって 近づき下ってきた
アベルの群れどもとカインの原野へと
彼らの願いを纏って 彼女の楽土は優美さを隠し
穀物の塊の豊かな形を隠した
彼女はこの世で毀れた あらゆる労苦と
その果実の見せかけを受け入れたときに
襞をとる薄物の衣を纏った円柱の姿で
耐え忍ぶその掌〔テ〕に属性を注がせ
最果ての塔に囚われた輝ける虜となって
その誉れを戦いの野へと流して
黄昏時に苑を歩む
その影は弧を描く昏い扉と似て
西へと向かうすべての船のための海どもを胸に受け止め
処女の帝国へと来たりてまた変わり――
月と似た真正の蝕へと向かい
男らの夢の内で平伏す女神となった
*読めば読むほど不思議な詩です。どことなくT・S・エリオットの「灰の水曜日/Ash wednesday/Ash」 Ⅱを思い出させます。エリオットは1888生まれでウィルバーは1912年。影響や交友関係を調べてみたいものです。
「灰の水曜日」は当ブログの2014年9月5日に全文と訳をまとめて載せております。私が思い出したのはそのⅡの途中の「骨どものさえずりうたった」歌のくだりでした。
しじまの貴女よ
おだやかに 苦しめられ
引き裂かれ なおまったき
思い出のばらよ
忘却のばらよ
疲れはて 命あたえる
惑いつつ安らかな
ただひとつのばらが
いま庭にあります
あらゆる愛の終わるところに
かぎりある愛の
苦しみは充ちず
より大きな愛の苦しみに充たされているところに
果てなき旅路の
はての果てを
結びえぬすべての
結びを
ことばなき語りと
語りなきことばを
母へのあわれみを
庭のために
すべての愛の終わるところに
この時期は和語の訳に拘りぬいていたため全体に平仮名だらけです(;^_^A この「近代世界で抑圧された女性性」といったものへの過剰なほどの憧憬と賛美は、十九世紀後半から二十世紀初頭の理に勝ったタイプの男性詩人に共通してみられる傾向という気がします。私は正直そこに少々オリエンタリズム的な逆差別を感じる。「女」はマリアでもマグダラでもない。単なる人間の一タイプです。
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