万壽丸命日の22日、町文化財指定の来迎寺墓所に参拝した会員ら
歌舞伎や能楽、文楽などで「道成寺物」と呼ばれる演目は、道成寺の二代目釣鐘の鐘供養を題材にしている。安珍清姫物語で失われたと伝わるその釣鐘を蘇らせた南北朝時代の矢田庄(日高川町旧矢田村)を治めた豪族、逸見万壽丸(1321~1378)の功績を伝えようと、命日の12月22日に生誕を祝う会を発足させ、来年の生誕七百年祭開催を決めた。道成寺では万壽丸が作ったと伝わる、33年に一度しか開帳しない北面秘仏の千手観音像を中開帳として16年ぶりに開帳する。
道成寺の釣鐘は、安珍・清姫の伝説で焼き払われたと伝えられ、約430年後の1359年(正平14年)に二代目の釣鐘を蘇らせたのが逸見万壽丸(源清重)。万壽丸は、南北朝時代に南朝方で武勲をあげ、現在の町役場周辺にあたる矢田庄を賜った。その後、西暦700年代に建立された道成寺本堂(重要文化財)を万壽丸一人の資金で20年以上かけて1357年に新築。1358年には、土生八幡神社に兄の鐘(神仏分離後は和佐の光源寺へ)、翌年に弟の鐘となる道成寺二代目の鐘を寄進した。
万壽丸が蘇らせた二代目の釣鐘(高さ110センチ、重さ約300キロ)には「紀伊州日高郡矢田庄」「文武天皇勅願道成寺」などの銘が刻まれている。しかし、安珍と清姫の恨みがこもって音が悪く、悪疫が流行したため竹林に埋められたと伝わり、秀吉の紀州・根来攻めで大将の千石権兵衛によって掘り起こされ、京都の妙満寺に安置された。
道成寺に釣鐘が戻ることはなかったが、平成17年に北面秘仏・千手観音像の33年ぶり開帳記念プレイベントで前年10月に妙満寺から約420年ぶりに里帰り。そして再び来秋開幕する第36回国民文化祭・わかやま21で、平成16年以来17年ぶりに里帰りすることが決まった。来年は、万壽丸の生誕700年と重なり、民間有志が生誕七百年を祝う会(略称万寿会)を発足、生誕七百年祭のイベントを開催することになった。
万壽丸の命日だった22日に発起人会と発足総会を日高川町農改センターで開き、町内外の団体代表者ら関係者と万壽丸の子孫ら25人が出席。会長の湯川宗一さん(前町教育長)は「郷土の誇りでもある万壽丸をこの機会を通じて盛り上げたい」、副会長の吉田擴さん(前御坊商工会議所会頭)も「私も先祖から万壽丸の血を引いているかもしれず縁が深い。宮子姫や安珍清姫に比べて万壽丸はあまり知られておらず多くの人に知ってもらいたい」と話した。監事には狩谷典男さん(狩谷電気店代表)と玉置昭悟さん(道成寺檀家総代長)を選任。終了後、来迎寺(土生)にある万壽丸の墓所に参拝し、出席者らが焼香して手を合わせた。
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