くまきち日記

名古屋に住んでいる、くまきちのたわごと。

ヒョシンくん “野生花”が長く愛される理由

2015-03-29 12:51:22 | パク・ヒョシン















パク・ヒョシン、“野生花”はどのように‘不老草’になったか


「思っていたよりとても多くの愛をいただき、そしていただいている歌です。実際に多くの方が愛を下さるとは思えなかった歌だったから 
今もすごく戸惑う時があります。この歌が発表されてもうすぐ1年になりますが 今でもチャートから下がらずにいると聞きました。
後輩たちも場所がなければならないのに 申し訳ない気持ちもたくさんあって(笑)。それで私が横にサブタイトルを付けるつもりです、‘不老草’と」
(2014年12月に開かれたパク・ヒョシン単独コンサート“HAPPY TOGETHER”公演中)


28日は“野生花”が発表されてちょうど1年目となった日だ。2014年3月28日に発表された“野生花”は本当に誠実に音源チャートでその座を守ってきた。
さらには数多くのアイドルたちを破って昨年Melon年間総合チャートで2位を占める気炎を吐いたりもした。
大衆的なメロディも、共感しやすい愛の物語でもない“野生花”が これほど長い間 そして熱く愛を受けることができた秘訣は何だろうか。


♯節制の美学

作曲家キム・ヒョンソクは自身のツイッターを通じて“野生花”をめぐって「すべてのものを下ろして節制することで初めて自由になった唱法」と評した。
だが「下ろす」という言葉と「節制」の間にはかなり語弊がある。中途半端な「下ろす」ことは単調さをもたらし 未熟な感情表現は重さをもたらす。
淡々とするが単調ではなく 深いが重くないこと。まさにここにパク・ヒョシンの真価が現れる。

“野生花”を聞いていると本当に多様な声のパク・ヒョシンに出会える。空気を分けると声の質感がよみがえった。
ジャンルはまったく異なるがジャレッド・レトの声が連想されたりもする。
まさに上手に‘枯れた’声。おかげで繊細なトーンの変化がより目立って 淡々としたメロディも単調ではなく感じられる。

パク・ヒョシンはまた繊細に呼吸を調節して曲の流れを導く。音の長さや厚み、波動などを整えて最も聞きやすいメロディを具現する。
そのため深い感情も重くなく感じられる。これは緻密な計算であることも、出ることの本能でもある。
ただ明らかなのは 節制とはすべてのものを‘下ろす’ことで到達できる地点ではないと言うことだ。
むしろ苦労の誠意がより増して節制を作った。声で起こして呼吸でおさめるから 十分に歌の匠だと呼ぶ価値はある。


♯真実の言葉

前所属会社とのうんざりするような決別の過程で、パク・ヒョシンが息の根を分からせるように歌った歌がまさに“GIFT”(2009)だった。
実際“GIFT”の歌詞はパク・ヒョシン式話法の頂点とも呼見ることができる。
たとえば“今日の空は私には誰かが置いて行った贈り物のようだ。昨日よりもっとあたたかくて”とか
“もう一度 目を開ける時は It’s gonna be alright”というように パク・ヒョシンはこれまで痛みよりは希望を、過去よりは未来を作詞してきた。

だが“野生花”は少し違う。“春が来れば私は咲くだろう”は心の誓いを結論としているが ほとんどの歌詞をこれまでの痛みを告白することに割愛した。
淡々とした語調も曲のハイライトに差しかかってからは“やせていく土地の上に全身が裂けて 私の手の先に残った君の香りが広がって飛んでいって/
遠ざかる君の手を掴むことができなくてつらい”というように はばかることない叙述につながる。

しかしこのような語調の変化は あるいは内面の強さがあるから可能なことかもしれない。
真のコンプレックスはコンプレックスだと明かすことができないように 反対に痛みから自由になった後でこそ「痛い」と歌えるのではないだろうか。
実際にパク・ヒョシンは過去のインタビューで「今はどんなことも受け入れる時点になったようだ。当時はその状況が私にとっては毒だと思ったが 
過ぎてみると結局その経験が薬になった」と心境を明かしたりもした。
いわば“野生花”での告白は痛みの訴えというより人生について飾らない歌詞であるわけだ。
だからこうした事情を知っているファンにとっては“野生花”の歌詞がより一層意味のあるように感じられるだろう。


♯すべてに向けた慰め

昨年12月、2年ぶりに開催された単独コンサート“HAPPY TOGETHER”でパク・ヒョシンは初めて“野生花”のライブを披露した。
“野生花”の舞台が始まる前、コンサートのストーリーテリングを引き受けた二人の子役は次のような手紙を朗読した。

「(前略)今まで歩いてきたその長い道で 時には悲しみも不安も痛みも心配もあったでしょう。でも明らかに幸せも喜びもやって来るでしょう。
私が世の中のあちこちに隠した贈りもののようにです。覚えていて下さい。あなたは一人ではありません。あなたが疲れる時 苦労する時 
あなたの心を私がそっとなでてさしあげます。まさにこのように」

パク・ヒョシンが“野生花”を通じて伝えようとした究極的なメッセージ、それは結局すべてにむけての慰めだった。
だからパク・ヒョシンの自伝的な物語で始まった“野生花”が“雨にぬれるか両目を閉じ”た すべての人々から深い共感を受けることができたし
“良かった記憶だけ 懐かしい心だけ”大切にしまっておく姿勢や“忘れられる程度だけ 大丈夫な程度だけ”忍耐する姿勢が 
やはり多くの人々に功を奏した慰めになることができた。 

パク・ヒョシンはこの日のコンサートで「私のように心に触れなければならない人々にとって“野生花”が慰めになり力になれば本当に良いと思う」と同時に
「あたたかく歌いたい」と語った。
歌が終わった後 観客は長い拍手で彼の心にうなずいて パク・ヒョシンは「皆さんと私が一緒に感情を感じるのが拍手で伝わります。
一生忘れられない拍手です」と感謝を伝えた。
結局“野生花”に込められた慰めが 観客とパク・ヒョシン本人すべてに届いたということだ。

真心を植えて誠意で世話をして すべてを抱く花となって咲いた。そうして“野生花”は1年中 花を咲かせる“不老草”になった。
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