この公園には、多良木町から隣町まで全長約18kmに達する灌漑水路の取水口があります
この水路の名が百太郎溝と呼ばれています
百太郎溝旧水路の取入口の樋門に使用されていた主な石材を使用して、現在の場所に復元され、文化遺産として残されています
旧水路取入口は、現在の取入ロより約200m下流に構築され、現在では球磨川左岸の雑木林の中に旧水路の跡が認められます。
堰止め灌漑用水として利用しようと江戸時代に施工が始まりましたが堰構築も幾度となく行なわれたが洪水期を迎えるとひとたまりもなく崩壊したと云われています
ある時、庄屋の夢枕に水神様が立ち「着物に横縞のつぎをあてた男を人柱にたてよ」とのお告げがあり、“百太郎”がその犠牲となり大石柱の下に生き埋めされる事になったそうです
それで百太郎溝・・・か
百太郎堰の完成は、1710年と記されています、灌漑用水路として上中球磨地方の耕作面積拡大の誘引をなし、1500ヘクタール余りを有する百太郎溝のおかげで水稲の発展に繋がり、球磨焼酎の生産に大きく貢献したのでしょうねぇ
百太郎溝を調べて行くうちに不思議な事を発見しました
それは、溝を辿る途中には都川や仁春川、津留川、免田川や水無川を横切っているのです
川と川が交差している・・・???
調べましたら 何と、水路は川底を通って越えてしたんですねぇ
通潤橋のようにサイフォンの原理で川底を通っていたなんて・・・凄い事です