日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

ガス灯の街にて

2015-05-17 23:36:47 | 明治時代
今日は、大学通信教育の科目修得試験を一つ受けて来ました。今日は「古文書学」でした。

科目修得試験は、あらかじめ10問の設題がされていて、その10問から1問だけ、当日読み上げられた番号の問題を解答するという形式です。

10問分の解答を作るのが大変で、さらにそれを当日までに覚えるのも大変です。A3の巨大な解答用紙の半分(3分の2?)以上を埋めるようにとのことなので、原稿用紙1枚分くらいでは足りず、感覚的に2枚として800字×10問分を頭に入れるというのは大変なことなのです。他の方がどのくらいの準備をされているのかは、わかりませんが、私はそのくらいです。

一応、今日まで11科目受けましたのでそれを11回繰り返してきました。どうやれば自分の頭に定着するのか、何度もやっているとわかってくるようで、自分が生徒・受験生に指導する時にも役立つかもしれないと思います。

今日の「古文書学」は、他の科目とはちょっと違って、あらかじめ提示されている問題を「解読」するということが必要になります。逆に、その場で解読できれば、その部分は暗記する必要がありませんので暗記量は少なくて済みます。

元の大学は史学科でしたので、古文書の授業はありました。でもその授業を受けたからといって、読めるようになるわけではありません。くずし字を読む会、というのを、大学院の先輩を中心に、開いてくださっていましたが、私は古代史専門だから、くずし字を読む必要はない、と割り切って、参加しませんでした。中世、近世、と時代が下るにつれて、字が崩れていきますから大変です。

古文書を読む機会もそんなにないから、と、ほとんど読めないまま来てしまいましたが、この大学通信教育で古文書学を履修するにあたり、せっかくだから、読めるようになったらいいな、と思い、本腰を入れて取り組むことにしました。

そういうわけで、昨冬に、某大学のくずし字解読の公開講座を、二つ受講してみました。やはり、いくらかでも、人に教わる、手ほどきを受ける、ポイントを教えてもらうというのも効果があるなと思いました。

例えば、「に」というひらがなは、「弥」という字の右側の部分が変形してできているのですが、これがくずされるとアルファベットの「y」のように見える、と教わり、なるほど、この「y」の字はしょっちゅう出てくるな、と認識できました。

冬から春にかけて、そのようにして勉強をぼちぼち続けて、図書館から古文書の小辞典、解読辞典、その他、読み方の本など借りたりして、科目修得試験の問題文の解読にも取り組んできました。
まさに暗号解読のような感じで、辞典に同じ形の文字があるかと照合しながら、少しずつ文字を明らかにしていきました。

そして、最終的にはほとんどの文字が解読でき、試験の準備もできました。最初は読めるかどうか、ゴールが見えませんでしたが、ここまで来ると、意外と簡単に解読できるようになっていました。

今日の試験では、解読はほぼ完ぺきにできたと思いますが、内容の解説をせよという部分で、その訳が間違っている部分があるかもしれないな、という懸念はあります。でも、まあ、なんとかなっているかな??と思いたいです。

今年度卒業のためには、テキスト科目(試験あり)で8単位は必要で、そのうちの貴重な2単位を、これでクリアできているといいのですが。
そしてさらに今日、少し返却が遅れていた「民俗学」のレポートが到着し、「合格」していましたので、これで「民俗学」も試験が受けられます。
本当は、卒論だけにエネルギーを注ぎたいところなのです。早めに試験での単位修得の見通しをつけて、なんとか卒論のための時間を確保したいです。
古文書が終わって、次は「民俗学」の試験準備、「西洋史特殊講義」のレポート作成です。やることが目白押しで楽しいです。

それにしても、古文書学に真面目に取り組んだことによって、古文書が少し読めるようになったのは、収穫でした。先日も、授業で見せたビデオの中で、江戸時代の文書のアップが出てくる場面があったのですが、なるほどなるほど、と、わかる字が出てきました。
古文書は、ある程度、使われる文字のパターンがあったりして、慣れれば、あれだ、とわかるようになる部分も多いです。慣れ・トレーニングでしょうかね。

今日の試験は横浜で受けました。





写真は、その近くの馬車道にあった、「日本最初のガス灯」です。1872年にこの地に設置されたということのようです。銀座が最初かと思っていましたが・・・銀座はその翌年の1873年だそうです。
現地には説明板があり、その横に建っていたガス灯は、当時のものではなく、復元したもののようでしたが、ガスの灯であることは間違いないらしいです。夜に見てみたいですね。
ガス灯は明治初期に登場した、ということは、センター試験でも出題されたことがあります。時代感覚として、明治初期であるということはとらえておきたいですね。

横浜のこのあたりは、街路樹の幹が太くて立派で、そんな所からも、古くからの街であることをうかがわせます。

産業革命 イギリスと日本

2013-06-13 01:15:35 | 明治時代
今日は簡単でごめんなさい。今日、授業をやりながら気がついたことについて。

今年は、初めて世界史の授業を担当しています。日々、自分が勉強しながら教えています。今日も、2年生のクラスでイギリスの産業革命の所をやりました。

18世紀末、世界で初めてイギリスで産業革命が始まった、そして世界で初めて蒸気機関車(鉄道)が走ったのは、リヴァプール―マンチェスター間であると。
リヴァプールは貿易の港町、マンチェスターは綿業の都市であり、マンチェスターで作られた綿製品が、リヴァプールの港から世界に輸出された・・・

日本で産業革命が始まったのは、イギリスの産業革命から約100年遅れの19C末、明治時代です。
その明治時代に、日本で初めて鉄道が敷設されたのは、1872年、新橋―横浜間でした。
この区間にも意味があって、当時日本の輸出品の主力であった生糸を、生糸生産が盛んだった群馬や埼玉から新橋まで運び、さらに新橋から鉄道で横浜まで運んで、横浜港から世界に輸出したのです。

イギリスでは綿製品、日本では生糸、それを輸出するために、生産地と貿易港を結ぶ路線がまっさきに敷設されたというわけです。
日本がイギリスのまねをしたのかは定かではありません。今ちらちらとネットで調べながら書いていると、いろいろ面白そうな話題が目に入りますが、今日は横道にそれないことにします。
まねをしたかどうかはともかく、国は違っても、同じような歴史的進展の道を進むものだなあ、と、勉強になりました。教科書レベルでの知識だけですが。

今年は、世界史を勉強しながら、へえそうだったんだなあ、と目からうろこのことが多いです。
第一次世界大戦における欧米各国の経験は、第二次世界大戦における日本の経験(事象)とも似ていることに気づいたりもします。第二次大戦の段階では、欧米は第一次大戦の反省を踏まえて戦っていたのでしょう。日本はそれがなかった。

この歳になって新しく知るということが、特に歴史関係では、恥ずかしい気持ちにもなります。今まで知らなかった・勉強不足というのが。しかし、自分自身の中では、今からでも知ることができてよかったと、うれしい気持ちもあります。
日本史プロパーの教員ではありましたが、世界史もこの歳になってからでも担当できてよかった。今年は地理もやっていますが、そちらでもいろいろ新しく目覚めています。

4月からは、毎日毎日が、目からうろこ・犬も歩けば棒に当たる・セレンディピテイの日々のようです。セレンディピティってなんじゃらほい?という人には、説明してあげたいのですが今日ここではできないので後日また。
いろいろなヒント・アイディアは、浮かんできたら逃さないように待ち構えていたいものです。

さて、そろそろ寝ます。今日は、イギリスと日本の産業革命における共通点で感心したので、それを忘れないうちに早めに書いておこうと思って。
それではまた。

大河ドラマ 見てる暇はない?

2013-01-05 21:38:55 | 明治時代
あけおめ。ことよろ。
この省略形の挨拶は、江戸時代からあったのだそうです。という話をしたことがある人もいると思いますが。江戸っ子もせっかちだから、
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
と長ったらしく言うのが面倒だったのでしょう。

なにはともあれ、センター試験まであと2週間となりました。猛烈に勉強してますか?

2週間「しか」ないと思うか、2週間「も」あると思うか。2週間「も」でいきましょうか。

この2週間の間に、自分で決めている日本史の問題集を、くまなく3周以上、やってみてください。確実にできた問題は印をつけて飛ばす。最後は1日か数時間で1周終わるくらいにダーッと眺めてください。まだ教科書を読む時間はありますよ。

さて、今年の大河ドラマ「八重の桜」も明日から始まります。今年の舞台は幕末から明治にかけて。同志社大学を創設した新島襄の妻の八重が主人公です。福島県会津出身の女性ですが、福島県で生まれた私も新島八重は知りませんでした。私自身は白河市という、福島の一番南の、栃木県との県境に近い所の生まれ(中通り)で、会津とはだいぶ地理的にも離れているし、文化や使う言葉も違います。原発事故のあった「浜通り」もなおさら違います。福島も広いので、ひとくくりにはできないのです。
しかし、とりあえず、戊辰戦争で戦場になった白河も、ドラマに出てくるようですので、私もしっかり見ようかなと思っています。

受験生の皆さんは、大河ドラマは見なくてもよろしい。ただ、他の時間に猛勉強していて、1時間だけ息抜きに大河ドラマだけ見たい、というのでしたら、いいでしょう。

大河ドラマを見なくてもいいのですが、新島襄が同志社大学をつくったということは、日本史Bの教科書にも載っていますし、知っていなければいけない知識ですから知っておいてください。
他にも皆さんがそれぞれ受験しようとする大学の創始者が誰かということは、試験に出る可能性が高いので、調べて覚えておいてください。

大河ドラマをより興味を持って見るために、また、新島襄をよく知るために、新島襄の言葉をいくつか紹介します。

アメリカの友人にあてた手紙で妻の八重についてこう言っています。

「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。」

ドラマでは、かわいい綾瀬はるかが演じるようですが、本当の八重は、そんなに美人ではなかったようです。美人ではないけれども、幕末のジャンヌダルクと呼ばれたり、ハンサムウーマンとも呼ばれたりしたそのイメージが夫の言葉にも表れています。

「我が校の門をくぐりたるものは、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学家になるもよし、かつ少々角あるも可、気骨あるも可。ただかの優柔不断にして安逸をむさぼり、いたしくも姑息の計をなすが如き軟骨漢には決してならぬこと、これ予の切に望み、ひとえに希うところである。」

後半部分、少々生意気でもいいが、ちゃらちゃらして楽をしようとし、ずるいことをするような軟弱野郎には決してなるな、と、言っているのですね。現代風に言い換えてみました。
同志社に入学する学生に望むことがここに表わされています。
そうですね。時代がどういう時代であっても変わることなく、志は高く、正々堂々と、気骨ある人間として成長し、立派に社会を支える一人になってほしいと私も願います。

同志社大学、京都で遠いですけれども、関東で言ったら早稲田大学みたいな大学です。関西の大学に目を向けてみるのもいいですね。関東でいう早慶上智に相当する関西の上位の私大は、関関同立と言います。

・・・さて、また長くなってしまいました。今日はこのへんにしておきましょう。

昨日、明日、あさってと講習をやっています。腕試しをしたい人、今まで来ていなくても、来る者は拒まず。そういう人は、3限よりちょっと早めに顔を出してください。