日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

川藻はいずこに

2013-08-17 00:28:42 | 日記
昨日の続きです。
「出雲」という名は、川の藻=厳藻(イツモ・イヅモ)から来ているという話でした。

私が川藻を見た記憶は、あまりありません。藻といっても、ここで言うのは、鮎が食べる、石についたコケのような藻ではなく、ニラが長ーく伸びたような・・・って、表現がロマンチックじゃありませんが、ひょろ長い草のようなものが、水中でゆらゆらなびいているような藻です。こういう藻が生えている水のきれいな川って、東京などではなかなかないのではないでしょうか。

そして、昨日、この出雲の語源の藻のことを考えてわくわくしながら、どこで藻を見たんだろう・・・?と振り返っていましたら、静岡県の三島市で見たような気がする・・・という記憶が浮かび上がって来ました。
それはちょうど、昨日、冒頭に書いた、青木和夫先生が亡くなって、お通夜があったという日でした。
私は仕事で三島に出張することになっていて、現地集合時間が遅めだったので、朝早めに三島に行って、三嶋大社を見て来ようと考えたのです。

ちなみに、私の母方の祖母は、三島生まれ(熱海育ち)で、私の祖父と結婚するために、静岡県からはるばる福島県白河市にやってきたのです。祖母は私が生まれるより前に亡くなっているので会ったことはなく、その祖母が生まれたという三島がどんな所か、少しでも感じたいと思ったということもありました。祖母の母方の実家は、三島で昔からお寺をやっていたそうなのですが、母親に聞いても、何というお寺なのかわからないのです。ちゃんと知っている親戚から聞いておけばよかったのですが・・・さらにもっと古い先祖は、土佐の出で、安岡という苗字だったという話は聞いています。土佐→萩→高野山→三島→白河、という流れです。蛇足でした。

さて、三島大社に向かって歩いて行くと、その道に沿って、小さな川が流れていて、散策路としてきれいに整備されているのです。その川の中に、きれいな藻が水中でなびいていて、きれいだな~いい所だな~と、心を和ませながら歩いて行ったのです。家の近くにもこういう場所があったらいいのにな・・・と思いました。
あれは、三島で間違いないよな・・・?と思って、グーグルの地図と画像で現地を見ると、本当に藻が見えそうな、というか見える画像があり、やはり三島だったということを確かに確認しました。
後で三島市のHPを見ると、三島は湧水で有名らしく、「街中がせせらぎ」とありました。三島は、「せせらぎの街」だったのですね。さっきまで知りませんでした・・・すてきですね。
そういえば、東日本大震災の後、その影響なのか、富士山周辺のある地域で、地下水が地上に湧き出して止まらずに困っているという話をテレビで見ました。
三島も、富士山に近いことから、もともと湧水が多い地域のようでした。みどころが「せせらぎ」だという三島、私の祖母の故郷でもあり、ますます気になる土地になりました。きれいな水が豊かな所って、心も潤うようで、いいと思いませんか?

三島以外でも、どこかで藻は見ているのかもしれないのですが・・・亀有などになかったでしょうか?東京都内や近郊で、「美しい」川藻が見られる場所があったら、教えてください。私も古代人と同じく、川藻が好きです。・・・・・ということに、気が付いた今日この頃です。

そして、話はあちこちに飛びますが、三島に出張し、終わったその足で、青木先生のお通夜に参列するため、文字通り新幹線に飛び乗りました。
先生が亡くなったのが、8月15日で、お通夜はその数日後だったはずですから、5年前のちょうどこの時分です。

このところ、出雲の語源の話を読んで川藻に思いをはせ、三島を思い出し、三島からの帰りに青木先生のお通夜に馳せ参じたことを思い出し、今日は先生の命日の8月15日・・・というふうに、芋づる式にいろいろな思いがわいてきたのでした。それをここにもつらつらと書かせていただきました。

暑い日が続きますが、本当に、涼しい清流のそばで、藻を見ながらぼーっとしていたいです。出雲にも行きたいです。また三島に行ってみようかな?
それでは、このへんで。

写真は、昨日に続き、2005年の旅行の時のもの。出雲大社の本殿ですが、かなりいたんでいました。今年は60年ぶりの式年遷宮ということで、またきれいになって復活しています。



終戦記念日と青木先生と「藻」・・・?

2013-08-16 00:23:35 | 日記
今日、というか日付は変わってしまい、昨日8月15日は、68回目の終戦記念日でした。
また、大学時代の恩師、青木和夫先生の命日でもあるのを思い出しました。先生が亡くなられたのは、私が教員に転職して2年目だったと思います。先生は、出征もされていて、戦争(終戦)についてもさまざまな複雑な思いを持っていらっしゃるのをいくつかの文章で読んだことがあり、ちょうど終戦記念日に亡くなられたのも何かを感じさせられます。私としては、毎年終戦記念日とともに先生を思い出せるのはよいかなと思ったりもします。

話はちょっと青木先生から離れて、後で戻りますが、ちょっと「出雲」の話です。
出雲は、8年前?に訪れて、大好きになり、今でも日本橋にある「にほんばし島根館」で出雲そばや松江の和菓子などを買って来たり、仁多米を通販で買って食べているという話は過去にも書いたと思います。

そもそも私はずっと昔から「飛鳥」が好きで、大学でも飛鳥時代・奈良時代を中心に勉強してきましたし、その言葉を聞いただけ・見ただけでわくわくしてしまうのですが、この頃では、「出雲」も同じくらいわくわくする言葉に自分の中でランクアップしてきました。自分の生まれた「白河」も美しい名前だと思います。
いずれも、今・現代は、現地はすこしさびれている(往年よりも)という所も似通っています。実態よりも、その名にロマンを感じるのです。

しかし、先日、自衛隊の何かの大きな船に、「いずも」という名前がつけられているのをたまたま何かのニュースで知り、ちょっとがっかりしました。軍艦に名前をつけるのに、出雲の人達に許可はいらないのでしょうかね?軍艦には昔から「三笠」とか日本的な美しい名前がつけられているのはわかるのですが、何となく、自分の好きな「出雲」が軍艦の名前に使われているのは、複雑な気分です。

その「出雲」という地名の由来についてのお話です。
その由来はたくさんの説があります。

スサノヲノミコトが詠んだといわれる
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
という歌に出てくる「八雲立つ出雲」から来ている、という説が有名かと思います。

本当にいろいろな説があるのですが、その中で、最近読んだ本によると・・・というお話をさせていただきます。

古代の日本人は、「藻」に関して非常な関心を寄せていたことが、『万葉集』からうかがえるのだそうです。
「奥つ藻を隠そう波」「奥つ藻の隠(なばり)の山」「珠藻苅る敏馬(みぬめ)」「玉藻よし讃岐の国」
は海藻、
「玉藻苅る井堤(いで)のしがらみ」「明日香川 湍湍(せぜ)に玉藻は生いたれど」
は川藻を讃め、
紀伊・播磨・淡路には藻を苅る専業海女がいたそうです。

川藻の美しい姿は恋歌の縁語となるとのことで、例えば

「玉藻なす か寄りかく寄り 靡合(なびか)いし 嬬(つま)」
「川藻の如く靡合いし 宜しき君が」
「玉藻なす 寄り寝し妹を」
「奥つ藻の靡きし妹」

などと詠まれています。

飛鳥川・宇治川の川藻が、大和人・山城人に愛好されたように、出雲人には斐伊川の川藻が愛好されていた。とくに斐伊川の止屋淵の川藻が有名で、出雲人はここで川藻を鑑賞して楽しむ慣習があったそうです。この藻の鑑賞を口実として、出雲振根が弟の飯入根を殺害したという事件も『日本書紀』崇神紀60年条にあるのですが、細かい話は省略して。
この止屋淵の対岸が出雲郷であり、出雲という地名の発祥の地である、と、水野祐さんという学者さんがおっしゃっています。

古代出雲人の愛好した斐伊川の止屋淵の川藻、その産地を出雲人は神聖な藻の産する地として厳藻(イヅモ)郷と名づけた。それが郷名となりさらにそこが交通の要地となって、郡名が設置されるにおよんで郡名となり、地域名となった。それが一国の国名に拡大されるのはなぜか・・・というのですが、以下、ちょっと説明が簡単にできないのでストップします。
細かい話をすると、古代のある時期までは、出雲の中心は出雲郡ではなくて意宇郡でした。

ここから先は、私も、心から納得しているわけではないのですが、一応、水野さんの文章を紹介させていただきます。

「採集漁撈民社会において、食料としての藻の採集にはじまる、海藻・川藻に対する関心は、藻の鑑賞を、そして崇拝・信仰をよびおこし、とくにそれが水神・海神・竜神信仰と結合し、藻に招魂の霊力が認められるにいたって、それは神聖な藻の観念――厳藻の信仰を発生せしめ、その藻の産地は聖域・聖地となった。そして「イツモ」という地名を発祥せしめた。それが地名としての、神聖な藻の産地としてのイツモなる地名――郷名の起源となった。その地に居住し、在地の豪族として成長した首長は・・・(略)・・・やがてこの氏が出雲一国をカリスマ的支配をするにおよんで、その支配する国を出雲国と呼ぶにいたったと考えるのである。」
(以上 上田正昭編『古代を考える 出雲』吉川弘文館 1993 の中の 水野祐「出雲の国造」より)

これを読んで、そうか、古代人は藻を愛していたのか・・・と、もう、わくわくしてしまって(出雲だけでなく飛鳥でもそうだったのね、と)、私も、川に生えて水の中でなびいている藻を見て、涼しげでいいなあと思ったことがあるので、やっぱりあれ(藻)は、見ていて楽しい、愛すべきものであるよなあ、と、改めて思い、そして、「出雲」の名は、藻から来てるのか??厳藻=イツモだというのだが・・・?

「八雲立つ出雲」の歌の解釈もいろいろあって、それも謎めいているのですが、それは置いておいて、そちらの歌から来ているという説もいいですし、どれが絶対とは私も思いませんが、「藻」から来ているという説は、私にはわくわくしてロマンが広がる、ますます出雲・古代人が好きになる説です。

長くなりすぎたので、今日はここでいったん切らせていただき、明日、続きをアップする予定です。

以下は、2005年10月の出雲旅行から。松江市の宍道湖の夕日を撮ったものです。


承和の変は藤原氏による他氏排斥ではない?

2013-08-10 11:17:14 | 平安時代
暑中見舞い・・・ではなく、すでに立秋は過ぎて、残暑、となってしまいましたが、謹んで、残暑お見舞い申し上げます。しかし、東京は暑いですねえ。
こちらへのアップも滞っていて、申し訳ありません。

今週は、現在の勤務校の定時制高校で、世界史の補習をしていました。前の学校のように受験対応ではなくて、成績不振者のための補習です。何人来ることか・・・と案じていましたが、ちゃんと来ました!(来なかった生徒もいますが)しかも、毎日人が増えているという・・・
この夏休みのど真ん中、忘れずにちゃんと、予定通り来て、熱心に勉強している生徒達の姿を見て、感動しました!
どんな学校でも、自分の気持ち次第で、未来を明るく自分の手で変えていけると思います。教員は、そういうがんばりを後ろから後押しさせてもらいます。

さて、学校の先生達は、政府の政策として、教員免許の更新講習というのを、10年に1度は受けなければならないことになっています。政権交代などもあって、いつその制度がなくなるか、と期待していましたが?私の順番の年が来てしまいました。そのために、先週は、大学で5日間、朝から夕方までみっちり講習を受けて来ました。公立や私立、中学校や高校、地方の先生など、いろんな先生が一堂に会して、討論もしたりして、勉強にはなりました。
今どきのキャンパスも探検できました。立派な施設でした。大学生の皆さんは、それぞれの大学に高い学費を納めているのですから、めいっぱい施設を活用し、勉強にサークル活動に励んでください。

その大学の図書館は、朝9時~夜22時まで開いているそうで、キャンパスツアーで見学させてもらった時も、熱心に勉強している学生がいました。私なぞ、この齢になってから、勉強したくて仕方なくなってきて、ああ図書館に入り浸って本が読みたい、勉強したい、と、学生さんがうらやましくなってしまいました。リアルタイムで学生をやっている時には、勉強できるありがたみがわからないものなのかもしれません。

さて、免許更新講習では、必修と選択講習に分れていて、選択の方ではいろいろな内容が選べるのですが、私は日本史研究の最前線について大学の先生から講義を受けて来ました。
確かに最新の研究成果を踏まえて新しい考え方をいくつか学ぶことができました。
例えば、古代では、
○長屋王の変は、光明子を立后(皇后にする)するという目的のために藤原氏が起こしたのではない
○摂関期のはじまりに、承和の変などが起こり、それを教科書では伴氏や紀氏などの古い豪族を排斥(他氏排斥)するために藤原氏が起こしたというふうに書かれているが、そうではない

ということなど。

一つめの、長屋王の変と光明子立后を結び付ける件は、教科書そのままでは直接的にそう書かれてはいないので、私も教科書に沿って教えていましたが、前の学校にいた時に、ある同僚の先生の試験問題で、長屋王の変は、藤原氏が何のために起こした事件かというのを答えさせる問題があって、光明子を皇后にするため、というのが解答だと聞き、違和感を感じたということを思い出しました。
それではどういうことかという詳しい話は、今日は保留ということにさせていただきます。

二つめの他氏排斥は、確かに、当時の伴氏や紀氏は、あまり有力な貴族ではなく、どちらかというと、藤原氏同士の内部抗争だったようです。高校の授業的には、他氏排斥としておいた方が、まとめやすい、わかりやすい話になるのは確かです。でも、細かく見ていくと、そうではないのです。

どうしても、これまでの日本史は、藤原氏中心史観になってしまいがちで、別の、裏側からの視点というのも必要だと思います。私も、今、そのようにしてさまざまな本を読みあさって、わくわくしながら自主的に学んでいるところです。


今日は、おそまつさまですが、これにて。
写真を何か、と思いましたが、今年の5月に、実家で撮ってきた土星の写真など(笑)
口径12.5cmの反射望遠鏡に、携帯電話のカメラを押しつけて撮りました。不鮮明ですみません。天文は、一応私の趣味です。

土星の輪がわかるでしょうか?
では、引き続きよい夏休みを。