日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

葛城の里山を行く・・・歴史地理学スクーリング その1

2017-01-29 16:41:51 | 大学通信 スクーリング
昨年2月に受講した、奈良大の歴史地理学スクーリング(2016年2月19~21日)について、整理しておきます。これが卒業前最後のスクーリングでした。
1年経つとだいぶ忘れてしまうものですね。当時のメモなどを使って思い出しながら書きたいと思います。

その前に、奈良大通信教育の学生はどういう年齢層の人がどのくらい、といったデータをたまたま見たので、自分の覚え用としてここに載せておきます。確か、1年前の募集案内の資料の中に書いてあったのだと思います。

在籍者約1300名の内訳は、男性54%・女性46%、平均年齢58歳(男性61歳、女性54歳で60歳代の方が一番多く、全体の47%を占めている。在籍者のうち、関東圏の方が約40%を占めている。
学芸員資格課程は、約100名。


大体このようなことが書いてありました。平均年齢は60を超えてるかなと思ったら、女性で若い人が結構いるので、それで平均年齢を下げているんでしょうかね。女性の率もスクーリングでの印象より高いですね。学芸員資格課程は約100名とのことですが、私達が4月に入って、もっと増えているんじゃないのかなという気がします。

さて、昨年2月19~21日に受講した歴史地理学スクーリングの話に戻ります。
この頃の奈良は、かすかに春の気配があって、キャンパスでは沈丁花が香っていました。
1日目は、座学。いろいろ勉強したはずですが、省略。1:25,000の地図(学外実習で訪れる御所市のもの)をいただいて、その折りたたみ方を教わりました。絵図のコピーを数人のグループで見て、何のために描かれている図なのかを考えたりしました。

このスクーリングでは、葛城方面に学外実習に行くことになっていて、集合場所が橿原神宮前駅だったこともあるようなので、12月に、橿原神宮前駅近くの橿原オークホテルに宿を取りました。しかし、実際には学外実習のバスは奈良大から出発することが後でわかり、橿原神宮前駅に宿泊する意味はなくなりました。でも駅のつくりが面白かったし、少しは周辺の様子もわかってよかったかなと思います。

初日の夜は、橿原神宮前駅構内の神戸水野家で買ったヘレカツ弁当。関西ではヒレカツのことヘレカツというみたいです。その場で作ってくれるので、少し時間がかかりますが、温かくておいしかったです。


宿泊した部屋の窓から見える橿原神宮前駅。近鉄橿原線と、南大阪線と、吉野線が通っています。
駅舎も大きくて三角形の屋根が印象的です。



翌2月20日の朝は、7時過ぎにホテルを出て、駅構内のドトールで朝食。関西らしいユニークなお客さんと隣り合わせました。


学外授業は、あいにくの雨となりました。車中でも先生の解説があって、確か大和郡山のあたりで稗田という地名のあたりを通った時に環濠集落の説明がありました。私もこのあたりには個人的に興味があり、稗田阿礼を祀った売太神社というのもあるし、稗田阿礼は本当に実在して、このあたりと縁が深いのかな、と考えたりしています。

奈良に多い、ため池についてもいろいろ学びました。座学でも学んだことからの抜き書きですが、ため池は主に江戸時代に造られ、奈良盆地には4535のため池があるとのこと。水利や文化財保護などの問題から、土地の整備事業等が進まない状況があるとのこと。
まあ、仕方ないですね。私としては、ため池や田んぼが残る、のどかな奈良の風景がずっと残って行くのはかまいません。もし、地下に遺跡があるのなら、発掘してほしいですが。

お昼前に葛城市歴史博物館に到着し、絵図の閲覧したり、他の展示物を見たり。


床に大きな航空写真のある場所に群がって、先生のお話を聞く受講生。

さらにバスで移動。
昼食は、お天気がよければ外で食べられたようですが、雨のため、車内で。

午後は、絵図で見た兄川沿いの集落を見学しました(野外実習)。
FMラジオを使って、イヤホンで先生の説明を聴きながら歩きます。私はあまり真面目な学生ではないので、先生からは遠い所を歩いていたり、説明を上の空で聴いていたりしたのですが、三日目にがっつり試験があるので、それなりに聴いていた方が、試験のためにもなると思います。


川まで下りて、説明に奮闘された先生。
川に置いてある石は何のために?という問いかけ。
・・・水分神社という名前の神社が、奈良県にも各地にありますが、水利というものは古くからかなり大事なものだったのだなと、だから神社にもそういった名前がついているのか、と、気付かされました。
お天気がよかったらすばらしいハイキングになっただろうな、というような、のどかな里山でした。


実際の風景と、絵図はかなり似ていました。


すごい名前の神社です。延喜式内社ですから古い由緒の神社です。



大正2年の看板ですよ。100年以上経っています。

葛城地方は、謎めいた葛城氏についても興味がありますし、いつかゆっくり巡ってみたい地域です。金剛山が印象的でした。

放課後は、雨でどこも行けず。かなりの土砂降りになったのです。ホテルにも近い橿原神宮に行ってみたかったし、今井町にも行ってみたかったのですが・・・それに結構疲れていました。
そんな感じで二日目終了。
つづく。

江戸東京博物館 友の会のことなど

2017-01-29 02:01:01 | 博物館学芸員関係
近況を短く書きますと、先日、生涯学習概論のレポートが返却されてきました。一応、合格です。Bが多かったですね。これにより、2月に博物館資料論、3月に生涯学習概論の試験を受けることにします。

博物館教育論では、ワークシートの作成をしなければならないので、何度か一つの博物館に通う必要があるかもしれないなと考え、江戸東京博物館の「友の会」の会員になることにしました。会費は1年間4000円で、常設展が何度でも見られます。
江戸博はあまり好きでないと書いたばかりではありますが、まあ、東京で教員をやっているわけだし、もう少し東京・江戸のことを本腰を入れて学んでおこう、と考えてのことです。常設展示もかなり大規模なので何度か見るのもよいかなと。特別展も安く見られるし、ショップも割引になるようですので、悪くはないのではないかと思いました。

ただ、今年の秋から江戸博は工事のため半年間利用できなくなります。そういうデメリットはありつつ、友の会入会を申し込んだら、さっそく会員証その他が送られてきて、中の説明書によると、今入会する人は会員の期間を半年間延長してくれて、1年半有効ということになるそうです。ラッキー?でした。明日にも行ってみようかな??
ここを見ていらっしゃる皆さんも、友の会、いかがですか?この博物館があまり好きでないはずなのに勧めているのは、じくじたるものがありますが(笑)。学芸員資格課程の勉強のためには悪くないかなと・・・
古文書を読む会とか、いろいろなサークルを立ち上げて、会員同士で交流もしているようです。そういえば、古文書学を攻略するためにも、こういう学習の機会を得て、手ほどきをしてもらうのもよいでしょうね。

友の会のリンクを載せておきます。江戸博のHPからだとリンクしていないか、わかりにくいんですよ。そのへんも、お役所だから・・・(私も過去役所勤めで身内のようなものでしたから、身内には厳しい)
http://www.edo-tomo.jp/

「すみだ北斎美術館」というのも、昨年11月にオープンしたらしいことを知りましたので、こちらも行ってみようと思います。博物館展示論では、比較的新しい博物館を見て、レポートを書くようになっていますので、その参考になるかどうか・・・

写真は、先日、東海道五十三次をちびちび歩く旅・第2回で、新橋~田町を歩いた時のスナップ。
西郷隆盛と勝海舟が、江戸無血開城のための話し合いをした場所の石碑。田町駅の近くにあります。


次回は、もう少し多めに、歴史地理学スクーリングについて書く予定です。

博物館概論・博物館資料保存論試験・江戸川乱歩館(鳥羽)

2017-01-22 21:23:16 | 博物館学芸員関係
今日は、おととしの10月以来、1年3ヵ月ぶりくらいに奈良大通信教育(博物館学芸員資格課程)の科目修得試験を受けて来ました。しかも2科目。

今日は、博物館概論を2限目に、博物館資料保存論を4限目に受けました。
2限目が問題番号2番で、欧米の博物館史、4限目が5番で、空気汚染対策でした。
どうにか書けました。

概論の方に、博物館・博物館学の定義を書け、といった設題もあって、こういう定義を答える問題は、一字一句きちんと覚えないといけないのでしょうか。一応ざっと覚えたのですが、そうでない設題は結構アバウトです。今日の、欧米の博物館史のような問題は、厳密な定義の問題ではないので適当に書けてラッキーでした。
やはり、私は1科目ずつ受験するのがいいです。2科目以上受験される方々に敬意を表します。

今後、博物館資料論を2月に、あとは、今レポートの戻りを待っている生涯学習概論を3月に受験できたらよいかなと考えています(どちらも奈良大にて)。

結局、博物館経営論のレポートを1月中に提出するという目標は果たせそうもなく、ギブアップ。それによって、来年度、博物館実習②を受けることができなくなりました。学芸員資格課程を2年で終わらせるのは無理、になりました。

明日から、博物館教育論に着手し、できれば博物館展示論も今年度中にレポート提出したいと考えています。
博物館経営論と博物館情報論は来年度。
結構ありますね。まだレポートを4本提出し、試験を6回も受けなければならないとは。
あと2年かけてやると思えば、余裕でしょうか?

博物館教育論は、博物館を見てワークシートを作らなければならず、博物館展示論も、博物館の図や写真を付けなければなりません。何度か博物館に行かなければできない課題ですが、楽しみながらやろうと思っています。

さて、小さな博物館の話題を一つ。
冬休みに、伊勢・鳥羽に旅行したときに、鳥羽にある江戸川乱歩館(鳥羽みなとまち文学館)に行ってみました。だんなが江戸川乱歩を結構読んでいたこともあり。



江戸川乱歩は、三重県出身で、鳥羽に短い期間住んでいたことがあったんですね。
だから、乱歩の小説に、海の場面が結構多いのでしょうか。


かなりマニアックな、おどろおどろしい展示でした。
ある部屋ではびっくり箱みたいなものが開いたり、不気味な声で笑いだす死人?がいたり・・・その不気味な部屋の中を見学していたら、警察の人が二人も入ってきて、これも演出か??(笑)と思いましたが、本物でした。館(民家のような)の管理者の人に用事があって探し回っていたようでした。近所で事件があって聞き込みに来ていたのかな。


子供の頃、怪人二十面相の本を私もよく読みましたが、全く当時のその装丁の本が並んでいて、すごく懐かしい気持ちになりました。『大金塊』とか。どんな話か忘れてしまいましたが。また読んでみたいですね。

江戸博の戦国時代展は上杉謙信ファンにはおすすめでした。

2017-01-07 23:37:50 | 自己啓発
昨日おとといと、休暇にして伊勢の方へ旅をしていました。その旅の話はまたの機会ということで、今日は、年末年始に見た博物館等の話題をまとめておきます。忘れてしまうので自分の覚え用でもあります。

年末に、九段下にある「昭和館」という、「国民が経験した戦中、戦後の国民生活に係る資料を展示し、後世代にその労苦を伝える国立の博物館」に行って来ました。存在は知っていましたが、行ったことはなく、ぐるっとパスで無料で入場できるので、やっと行こうという気になりました。
「その労苦を・・・」などと堅い言葉が使われているので、進んで見学に行く人は多くはないのでは・・・と思っていましたが、意外といましたね。
いきなり千人針の腹巻がたくさん展示してあったりして、重い気持ちになりました。
空襲の体験コーナーがあったり、いろいろと展示の工夫もあって、戦争を全く知らない、イメージできない若者が見学に行くと有益だなと思いました。学校単位の見学の受け入れも多くやっているようですね。
結構若い人達が入館して、熱心に見ていました。ちょうど、安倍総理が真珠湾に行った日だったかと思います。
じっくり見るとそれなりに時間がかかる、たくさんの、貴重な資料が展示されていました。
自分も勉強のために、今後も何度か行ってみたいと思いました。

年明け3日には、六本木の森美術館へ。
「宇宙と芸術展」というのが、去年の7月30日からずっと開催されていたんですね。あさって1月9日で終了です。これは、ぐるっとパスで割引になりました。

行こうと思ったのは、ある所の情報によって、この展覧会において、「うつろ舟」という、UFOのような形をしたものが江戸時代に常陸国に漂着したときの絵が展示されていて、そのデザインを模したどんぶりが売っているとのことで、見てよい感じだったらそのどんぶりを買ってこよう、と思ったためです。

「六本木に『宇宙の入口』できました。」
というキャッチフレーズで、なんとなくノリは上野とかではなくて六本木だな、という展覧会でした。お客さんも、六本木という土地柄、若くておしゃれな人々が多く、欧米人も結構来ていました。

森美術館へはあまり来たことがなく、今回もごく久しぶりで、どういうコンセプトの展覧会が多いのかよくわからないのですが、よいなと思ったのは、写真撮影OKかどうかが、展示物ごとに表示してあることです。撮影OKなのかそうでないのかなど、気にするのが面倒なので、大体撮らないことが多いのですが、一つ一つに撮影OKとかそうでないとか表示してあると、じゃあOKなら撮っとこうかな、という気持ちにもなります。
映像体験コーナー(私は入りませんでしたが)では、その中で動画を撮って、友達などとシェアしよう、とか、拡散しよう、と呼びかけていました。

この美術館では、そのように、できるだけ写真動画の撮影はOKにして、ツイッターその他で来館者に展覧会の内容を広め、宣伝してもらおう、というスタンスなのかなと思いました。それもよい方法ですよね。学芸員資格課程で学ぶ身としては勉強になりました。

展示は、過去→現在→未来の順に並べてあって、過去の部では、竹取物語の絵巻、曼荼羅などが展示されていました。曼荼羅は密教において宇宙を表現しているわけですが、チベットの曼荼羅もあって興味深く見ました。とても精巧・繊細でした。私が好きな星曼荼羅もありました。現代の部では現代美術の作品がいろいろと展示されていました。


未来までを示唆・イメージさせる展示は面白いです。未来の前に、「新しい生命観――宇宙人はいるのか?」というコーナーがあり、そこに「うつろ舟」の展示がありました。本当に不思議な絵です。




関連グッズがいろいろ販売されていましたが、結局どんぶりも買わず。もしかしてデザインが飽きるかなと思い。
過去の遺物(古文書など)と現代のアートなどまでが一緒に展示されている不思議な展覧会で、グッズも全体的に「アート」な感じでした。


美術館は森タワーのなんと53階にあります。展望コーナーもあり、眺望はすばらしいです。
展覧会のグッズは買いませんでしたが、展望コーナーの横の売店でちょっと買い物しました。

今日は、江戸東京博物館の「戦国時代展」へ。ぐるっとパスで1割引きでした。
ぐるっとパスが使える施設は全部で79あり、六つのエリアに分けられています。そのエリアごとに一つずつスタンプを合計6館分集めて応募すると、ミュージアムグッズが抽選でもらえるとのことで、これまで五つのエリアのスタンプは集めてあり、今日、「墨田・深川・臨海エリア」の江戸博に行くことで、全部がそろうことになりました。チケット売り場でお姉さまがスタンプを押してくれたのですが、
「これで全部そろいましたね。おめでとうございます。」
と言われて、ちょっと恥ずかしいなと思いながら、ありがとうございます、と。
有効期限は購入してから2ヵ月で、あと4日ほどで私はおしまいです。これまで全部で10ヵ所ほど見ました。十分元はとったし、スタンプラリーもクリアしたので、もういいかなという気もするのですが、時間があって、体が動くならば、もう少し行ってみようかなと思っています。

それで、江戸博の「戦国時代展」ですが、昨年の大河ドラマは真田幸村でしたし、なんとなく戦国時代ブーム的な空気があるのかなという感じの中でのこの展覧会でした。私は、あまり戦国時代は好きではないといいますか、詳しくはないのです。世の中に異常に詳しい人達が結構いるので、そういう人達にお任せしようかというスタンスで。
ただ、上杉謙信は好きです。というのも、父親が新潟出身であって、小さい頃に上杉謙信の漫画などを与えられて読んでいたからです。新潟の人は上杉謙信大好きですよね。・・・と言っても、ここを新潟出身の方が見ていらっしゃるのかわかりませんが。

今回の展覧会のことは、ほとんど内容を知らず、真田幸村のいろいろの展示が多いのかなと思って行ったのですが、真田関係は、大きな六文銭の旗くらいしか目にとまりませんでした。真田幸村をあてにしていくと空振りの感があります。私は真田幸村も好きですけれども、大河の主役の人や脚本の人が好きでないので・・・また今ブームなので、あまのじゃくの私はそれに乗りたくないので特に真田幸村については関心はありませんでした。
いまさらですがチラシを見ると、11、12月は西国の将軍・大名(尼子、大内、三好など)、1月は東国の大名(上杉、北条など)を中心に展示替えをしているようでした。だから上杉謙信関係の展示が多かったんですね。

お客さんは、冬休み中の土曜日ということで、結構多くて、普段あまり博物館に来ないような人々が多かったのかな、そして人の動きがいつもと違う感じで、見学していてなんだか疲れました。江戸博はあまり好きではありません。
また、最近「刀剣女子」が盛り上がっているようで、ここでも、刀剣の展示は、見学の列を、前でじっくり見たい人、後ろでもいい人に分けていました。これが刀剣女子か・・・または歴女か・・・という雰囲気の女性が結構いました。普段私が行く展覧会にはあまりいない感じの。

この展覧会は、京都と山形も回るということが入口の説明に書かれてあって、どうして山形なんだろう・・・と思いながら中に入って行くと、上杉謙信関係が多かったので、そういうことか、とわかりました。上杉神社(米沢)所蔵のものが結構多く出ていました。
私も実は、この頃戦国時代の武将の言葉などを読んで勉強したりしているところで、これからもう少し深くやってみようと思っており、上杉謙信が好きなら、こういう上杉神社に行ってみるとかしてみてもいいのかなと考えたりしました。

私が見て感銘を受けたのは・・・上杉謙信ばかりですみませんが、真っ赤な陣羽織です。「緋羅紗陣羽織」とあります。こんな派手な色の陣羽織を着ていたのか・・・「謙信、ここにあり」と解説ボードに書いてありましたが、そういう目立つ色のをあえて着たのですね。
それと、赤くて立派な房のついた鞍カバー(鞍覆)も、驚きました。上杉謙信は赤色が好きだったのだろうか?こんな大きくて立派な鞍カバーを馬の背に載せていたのか?

国宝の上杉家文書もたくさん出ていました。後奈良天皇の綸旨をはじめとして、上杉謙信が天皇からも信頼(?)され、謙信自身も天皇の権威を借りようという動きを見せていたこともうかがえる文書群がありました。
信長からの謙信あてのお手紙もありました。

川中島の合戦図屏風も出ていて、一般に出回っているイメージでは、上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの場面は、謙信が頭巾をかぶっているが、それは武田側のイメージで、上杉側では、謙信は坊主頭にはちまきをしていて、リーダー(軍曹)はそういういでたちをしているイメージなのだという趣旨の説明が書かれていました。
謙信が信仰していた毘沙門天の像(泥足毘沙門天立像)もありました。

他に、北条氏とか徳川家康とか武田信玄とかの肖像画その他がありましたが、私は上杉謙信のものがこんなに出ているとは知らず、それらが見られただけでおなかいっぱい、胸いっぱいという感じでした。

グッズ販売でもいろいろ面白いものがありましたが、私は川中島の合戦の二人の一騎打ちの場面の図と、上杉謙信関係の絵ハガキを数枚買いました。
戦国武将のイメージをデザインしたミニようかんもありまして、興味深かったですが、食べちゃえば残りませんので・・・
以前、糸魚川を旅した話を書きましたが、同じく下車した直江津の駅で、私は毘沙門天の「毘」の字の入ったかっこいい(主観です)キャップを購入して愛用していたのです。校外学習の時などにかぶっていると、上杉謙信ですか?と気付く生徒も前の学校では一応いました。それが、後ろのアジャスター部分が壊れてしまって、かぶれなくなってしまいました。通販で他の「毘」の字のキャップを見つけて購入してみたのですが、デザインがいまいちであまりかぶる気にならないのです。
そんなこんなで、もしかして「毘」の字の入ったキャップは売っていないかなと期待したのですが、売ってなかったですね。
段ボールで作る鎧セットとか、タイツとか、刀剣関係とか、好きな人は喜びそうなものも結構売っていましたが、レジに並ぶ人は少なく、ひやかしで見ている人が多かったのでしょうか。

以上、ちょっと長くなってしまいました。
それから、博物館学芸員資格課程の勉強の進捗状況ですが、年が明けてから、生涯学習概論のレポートを、見切り発車とでもいいますか、こんな感じでいいのかな、と思いながら、提出しました。
博物館経営論は、チャレンジしようとしたのですが、手がつけられず・・・
そろそろ、1月下旬の試験に向けての準備も始めようと思います。

酉年の主役 石上神宮のニワトリ

2017-01-02 23:12:05 | 日記
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年は漢字一文字で「博」ということで、年末にまとめました。奈良大通信教育を卒業したのも去年ということで、去年の今頃は卒論の仕上げで鬱々としていたなあ・・・と思い出します。

日本史関連の分野での今年の目標としては、まず、引き続き、博物館などを多数見学しながら、学芸員資格課程をできる限り進めていきたいと思います。自分の卒論テーマのさらなる追究というものもありますが、他に、文献史学、考古学、民俗学、神話学、国文学などの総合を進めて、学問的に厳密に検証しようとするとストップしてしまうものを、多少あいまいでも、ある形で説明をつけるということを、1年2年のスパンではなく、ライフワークとしてやってみたいかなと思います。

それから、今年は東海道五十三次をちょっとずつ歩くということをしてみようかと思っています。横浜くらいで終了になってしまう感じもありますが、休日だけでなく出勤前の時間なども使ってちょっとずつやってみたいと思います。今日さっそく日本橋からスタートしてみました。

さて、今年は酉年、ということで、奈良県天理市・石上神宮のニワトリさんたちも脚光を浴びていることと思われます。
2015年の8月に訪問し、こちらで彼らのことは書きました。

そこで載せきれなかった写真を以下に紹介しますので両方見ていただければと思います。
それでは以下、今年の主役のニワトリさんたちです。


何か、威厳とか気品を感じます。




こんなふうな小屋がいくつもありました。


石上神宮の拝殿を楼門から望む。天皇家の菊のご紋と同じ紋が見えます。


このロープの先は禁足地なのでしょう。立ち入り禁止になっていましたが、入って行きたい気持ちがうずうずしました。

それから本日からスタートしてみた、東海道五十三次を歩く旅。
今日は、日本橋をスタートして、新橋まで歩いてみました。
その道中、京橋あたりの東京のお正月の風景です。午前中は箱根駅伝のランナーたちも走った道ですね。