ややごぶさたしてしまいました。
というか、もう前回の更新から1ヵ月半も経ってしまったのですね。学校が6月1日から再開していました。私は3年生の担任ですが、みんな元気で、楽しそうで、休む生徒もほとんどおらず、みんな学校が好きなのかなあと思わされます。3年生は本当に残された時間が少なくなってしまいましたから、一日一日を大切に、高校生としての日々を愛おしんでもらいたいと思います。
そんなわけで、春からブログを使って3年生の授業の内容を説明してきたのですが、学校で授業ができるようになったので、授業に即した内容の更新はすみませんがストップさせていただきます。学校が本格的に始まると、やはり時間がなくなって、こちらの更新がなかなかできなくなってしまいます。
もともと月1回も更新できるかなというペースでした。自分が書きたい、過去のまだアップしていない話題などを書かせてもらおうかと思います。
日本史の授業は今年から新しい2年生も担当するようになり、このブログも紹介させてもらいました。もともとの趣旨は授業で話しました。特に、教科書は文字ばかりで無味乾燥、記憶に残りにくいので、こういったブログの記事も読んで教科書の事項を印象に残してほしいと思うわけです。幕末に教科書に出てくる天理教に関する記事を授業で紹介したところ、さっそく見つけた関連の動画を教えてくれた生徒もいました。
過去の記事
「驚き・不思議の宗教都市・天理」
大人の方々も読みに来てくださっているので、最近は、誰に向けて書いているのかわからなくなってきました。すみません。とりあえず私が書きたいことを書かせていただきます。
今日は、終末期古墳の一例ともいえる、安倍文殊院(奈良県桜井市)の「文殊院西古墳」について紹介します。
もろもろ関係者の大学入試の合格祈願も兼ねて、2019年1月に安倍文殊院に行った時の写真です。この時は、京都の白峯神宮、晴明神社、奈良の當麻寺もあわせて東京から日帰りで巡ったという強行軍でした。
安倍文殊院の過去の記事はこちら
「センター試験前日。出題分野を予想してみる。」
安倍文殊院は広く、その敷地内にある「文殊院西古墳」は、飛鳥時代に造られたもので、国指定特別史跡となっています。
この特別史跡というものは、全国で61件しかなく、そのうち古墳で指定されているのは7件しかない、その一つがこの「文殊院西古墳」なのです。そんなにすごい古墳なのか?と、現地で見るまで存在すら知りませんでした。
解説の看板によると、「築造技術における古墳内部の美しさは日本一の定評がある。」とのこと。
入ってみて、とにかく石組みが美しくて驚きました。スパッと切られた石がぴったりとはめ込まれていました。天井の石は15㎡の1枚岩で「その巨大さに唖然とするばかりである。」とのこと。天井の写真をよく撮ってこなくてすみません。1300年前に造られたとは思えないような、すばらしい技術です。
「この古墳は、当山を創建した大化改新の左大臣、安倍倉梯麻呂公の墓と伝えられている。」つまり教科書では安倍内麻呂という名前で出てくる人物です。7世紀頃の古墳ということになりますか。
平安時代に弘法大師が造ったという「願掛け不動」がまつられ、ろうそくで明るく灯された古墳内部はあたたかな雰囲気を感じました。
全国で7件しかない古墳の特別史跡のうち、5件が奈良にあり、それは、この古墳の他、石舞台古墳、高松塚古墳、キトラ古墳、巣山古墳とのことです。
そうそうたる古墳たちですが、巣山古墳だけが私はよくわかりません。特別史跡になるくらいですから、すごいものを秘めているのでしょう。今日は余裕がないので、今後調べてみます。
さて、来週から考査が始まります。本当ならば東京オリンピックが開催されるはずのこの時期でしたが・・・コロナの感染は拡大していますが、このまま突き進むならば、無事に考査を終え、梅雨も明け、部活も無事再開できることを願いたいと思います。
東京に暮らす者にとっては、コロナにかかるのは流れ弾に当たるようなものでしょうか。私はインフルエンザにもかかったことがないのですが、果たして逃れられるものなのか、どうなのか?
生徒の皆さんは、試験期間中はステイホームで勉強するのが一番安全ですね。がんばってください!
というか、もう前回の更新から1ヵ月半も経ってしまったのですね。学校が6月1日から再開していました。私は3年生の担任ですが、みんな元気で、楽しそうで、休む生徒もほとんどおらず、みんな学校が好きなのかなあと思わされます。3年生は本当に残された時間が少なくなってしまいましたから、一日一日を大切に、高校生としての日々を愛おしんでもらいたいと思います。
そんなわけで、春からブログを使って3年生の授業の内容を説明してきたのですが、学校で授業ができるようになったので、授業に即した内容の更新はすみませんがストップさせていただきます。学校が本格的に始まると、やはり時間がなくなって、こちらの更新がなかなかできなくなってしまいます。
もともと月1回も更新できるかなというペースでした。自分が書きたい、過去のまだアップしていない話題などを書かせてもらおうかと思います。
日本史の授業は今年から新しい2年生も担当するようになり、このブログも紹介させてもらいました。もともとの趣旨は授業で話しました。特に、教科書は文字ばかりで無味乾燥、記憶に残りにくいので、こういったブログの記事も読んで教科書の事項を印象に残してほしいと思うわけです。幕末に教科書に出てくる天理教に関する記事を授業で紹介したところ、さっそく見つけた関連の動画を教えてくれた生徒もいました。
過去の記事
「驚き・不思議の宗教都市・天理」
大人の方々も読みに来てくださっているので、最近は、誰に向けて書いているのかわからなくなってきました。すみません。とりあえず私が書きたいことを書かせていただきます。
今日は、終末期古墳の一例ともいえる、安倍文殊院(奈良県桜井市)の「文殊院西古墳」について紹介します。
もろもろ関係者の大学入試の合格祈願も兼ねて、2019年1月に安倍文殊院に行った時の写真です。この時は、京都の白峯神宮、晴明神社、奈良の當麻寺もあわせて東京から日帰りで巡ったという強行軍でした。
安倍文殊院の過去の記事はこちら
「センター試験前日。出題分野を予想してみる。」
安倍文殊院は広く、その敷地内にある「文殊院西古墳」は、飛鳥時代に造られたもので、国指定特別史跡となっています。
この特別史跡というものは、全国で61件しかなく、そのうち古墳で指定されているのは7件しかない、その一つがこの「文殊院西古墳」なのです。そんなにすごい古墳なのか?と、現地で見るまで存在すら知りませんでした。
解説の看板によると、「築造技術における古墳内部の美しさは日本一の定評がある。」とのこと。
入ってみて、とにかく石組みが美しくて驚きました。スパッと切られた石がぴったりとはめ込まれていました。天井の石は15㎡の1枚岩で「その巨大さに唖然とするばかりである。」とのこと。天井の写真をよく撮ってこなくてすみません。1300年前に造られたとは思えないような、すばらしい技術です。
「この古墳は、当山を創建した大化改新の左大臣、安倍倉梯麻呂公の墓と伝えられている。」つまり教科書では安倍内麻呂という名前で出てくる人物です。7世紀頃の古墳ということになりますか。
平安時代に弘法大師が造ったという「願掛け不動」がまつられ、ろうそくで明るく灯された古墳内部はあたたかな雰囲気を感じました。
全国で7件しかない古墳の特別史跡のうち、5件が奈良にあり、それは、この古墳の他、石舞台古墳、高松塚古墳、キトラ古墳、巣山古墳とのことです。
そうそうたる古墳たちですが、巣山古墳だけが私はよくわかりません。特別史跡になるくらいですから、すごいものを秘めているのでしょう。今日は余裕がないので、今後調べてみます。
さて、来週から考査が始まります。本当ならば東京オリンピックが開催されるはずのこの時期でしたが・・・コロナの感染は拡大していますが、このまま突き進むならば、無事に考査を終え、梅雨も明け、部活も無事再開できることを願いたいと思います。
東京に暮らす者にとっては、コロナにかかるのは流れ弾に当たるようなものでしょうか。私はインフルエンザにもかかったことがないのですが、果たして逃れられるものなのか、どうなのか?
生徒の皆さんは、試験期間中はステイホームで勉強するのが一番安全ですね。がんばってください!
高校生も大人ものブログなのですね(*^^*)
ということはコメント高校生にも見られてしまうのですよね?
(;^_^A
巣山古墳って知りませんでした。
今年仁徳天皇量の予定でしたのに秋と言えども怖くて行けません。
罹患者の多い東京、どうぞお気をつけてくださいね。
我が家も親族が東京なので半年も会ってません(;^_^A
高校生がたも思うように勉強できず、社会勉強もできず・・・気の毒です。
こんな時でも色々勉強して!こうしたウィルス撃墜するような研究もしてほしいです。
また次回記事を楽しみにしてます(*^^*)
こんばんは。ご無沙汰しています。
高校生と大人の方が、ここで交流できたりなんかしたら、面白いなと思いますが、今の高校の生徒は遠慮深いので、なかなかこちらにまでは出てこないと思います。
今年の2年生はやや知的好奇心がある生徒が少し多い印象もありますのでどうなるかわかりませんが。
巣山古墳はその後、ちょっと調べたところでは、葛城王朝の王様のお墓だそうで、結構大きくて、発見された遺物も特徴的なようです。いつか行ってみたいと思います。
なかなか旅行もしづらいですね。
東京以外の県内の方々で内需拡大していただくのがいいんでしょうか。
ディズニーランドのようなテーマパークに行くばかりが余暇の使い方ではなくて、
地元の知る人ぞ知る史跡などをじっくり見て回ることなどは、大人も子供も楽しいし勉強になると思います。私も小さい頃に連れられていろいろ見ました。日本史の教員に結局なったのも、そんな経験が下地にあるのかもしれません。
コロナ禍の中で、災い転じて福と成す、という出来事はきっといくつも起こると思います。それを期待して日々を大切に過ごしたいですね。
美しい石室ですね。安倍文殊院に行ったときになにかあるなぁと思いつつ、横眼で見ながら通り過ぎたのが残念です。
山口にも明日香村の岩屋山式石室に類似した石室と、兵庫県加古川産出と思われる竜山石製石棺のある古墳がありますが、飛鳥奈良の畿内政権と結びついたお友達がいたであろうと思います。弥生・飛鳥時代に争った形跡が見つかっていない地域なので、大内氏の祖先の墓ではないかと勝手に考えていますが、はて。
奈良ならば行くこともできるかと思った時期もありましたが、チャンスが来るのを待つしかないですね。写真だけでも見ることができてよかったです。
安倍文珠院は、もう夕闇が迫ってきた頃に行ったので、私もまだ見ていない部分があります。
桜井駅まで歩いて帰って来れたので、またいつかゆっくり行ってみようと思います。
合格のお礼と、また新たな合格のお願いに行きたいところですが、コロナはいつ終わってくれるのかなあ?
新幹線が大丈夫なら、あとはマスク重装備でこっそり奈良に行きたいところですが。
東京から来た、と言ったら、どこのお店も入れてもらえないですかね。
山口もコロナがまた増えてきましたか?
ウィルスには足がない、と聞いたことがあります。
本当に、ウィルスは人が媒介するんですね~。どうしても人の行き来は止められないということで。
東京在住の高リスクの方々には、地方の清浄な場所に疎開してもらったらどうか、などと考えました。
急に学校のことで忙しくなって、普通検索観音さんのブログも訪問できずにおりましたが、
ここからしばらく、考査のため教員は一息つけるので、またお邪魔します。
コロナ第2波(言い切ったらまずいかも)ですが、疾患をお持ちでない70歳以下の方なら罹患してもほぼ恢復されますので、ツツコワケさん流れ弾に当たってもご無事かと。
また普通検索観音さんと来寧されるときには、お声かけてください。
巣山古墳、私が通っていた中学の近隣です。平成に入って大規模な発掘調査が行われるまで、雑草だらけで堀はボウフラだらけの普通(?)の古墳でした。夏は男子が堀で遊び散らかして、近所のおじさんに「どこのクソガキや!」と怒鳴り散らされるような。我々女子は、巣山古墳の横の讃岐神社(かぐや姫伝説で有名になる前の)の境内を、学校帰りに道草食らう、しゃべり場にしていました。
巣山古墳、讃岐古墳、双方ともに出世したな、と感慨無量です。
安倍文珠院の西古墳、きれいですね。子供のころに行ったきりで、そのときはこんなきれいだったかな、覚えてないな、整備されたのかな、と首をひねっています。
いま、古代ペルシアの海軍について調べていまして、日本では、安倍氏の傍系ですが阿倍比羅夫が提督としてパイオニアかもと考えていました。
桜井の阿部、ちょっとこの連休に訪ねてみようかと。
瓊花さんのブログの話題をこちらで書いてすみませんが、『やまとの季節 七十二候』は、夜中にたまたま見かけて、途中から録画して、いいなあと思っていたところで、その後も放送されるならば録画しようというところです。
やっぱり奈良の風景はじっくり見入ってしまって、いろいろな思いが沸き上がってきます。
コロナは、明日から4連休なので、とりあえず学校内の感染拡大のおそれは一時回避されるかなという感じです。連休明けがどうなっているか恐いですが。
本当ならば夏休みに入っている時期ですが、まだ学校はあります。
巣山古墳は、瓊花さんのふるさとの近くかなと頭をよぎっていたのですが、やはりそうでしたね。
そういうすごいお宝の文化財が遊び場だなんて、うらやましいです。讃岐神社はなおさら知りませんでした。奈良はどこもかしこも犬も歩けば棒に当たる、ような、すごいお宝に遭遇しますね。
古代ペルシアの海軍と阿倍比羅夫が並ぶとは。私ももっと勉強しなければと思いました。あまりうれしくもない4連休ですが、勉強もしたいと思います。
古墳の築造はその初期から出雲人が担ったらしい。
古墳を築造するには盛土の大量の土砂が必要ですが、遠隔地から求めて居ては大変だし非効率な為、現場の近隣の地面を掘ってそれを盛土にした。
その穴ぼこがに雨水が貯まって池となるパターン。
古墳の周囲を壕が取り巻いているパターンも同じで、壕となっている場所の土砂を盛土に使ったとか。
また、大量の吹石が全体的に覆っていますが、それは原産地から出雲人が何キロ、何十キロに渡り1列に並んで手渡しリレー方式で作業したと言います。
この手渡しリレー方式の人海戦術だと、ビックリする程に速く作業が捗るとかで、
例えば、箸墓古墳の伝説に、「昼間は人が作り、夜は神が造った」云々にその様が表れているそうです。
因みに、箸墓古墳は江戸時代の古絵図では完璧な円墳として描かれていて、今のような前方後円墳ではなかったのは明らかです。
また、石舞台古墳は、蘇我馬子の古墳などではなくて、
用明天皇の寿陵(生前墳墓)が正解。と明言、断言しています。
ところで、蘇我氏には馬子や蝦夷やイルカと言う人は居ません。これ等は古事記が彼らを蔑み卑下するために創作した名。
また、蘇我でもなく石川臣家。(しかし本性は皆、武内臣)
馬子=麻子(マコ)。蝦夷=雄正。イルカ=林太郎。
出雲の旧王家の方は、今もどこかで生きていらっしゃるのでしょうか?
私もその伝承を読むか、お聞きしたいと思います。
箸墓古墳は円墳だったのですか?調べてみたいと思います。石舞台古墳も用明天皇が関係あるとは。
またいろいろ教えてください。