前回の続きです。
豊国神社の鳥居の所では、何かのドラマの撮影をしていました。
その鳥居を出て、斜め左手方向、約100mの所に「耳塚」があります。
前に書きましたように、文禄・慶長の役(1592~98)で日本兵が朝鮮から持ち帰った耳や鼻が埋葬されている場所です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/f6/30a0e84eb20ce7be452478f6039c94e0.jpg)
かなり大きな土盛りです。見上げるような高さでした。
観光客等の姿はなく、あたりはしーんと静まり返っており、一人の男性が、裏の方で立ってタバコを吸っている姿だけが目に入りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/75/6237e69e377737ca5cbb04c434f01294.jpg)
生花も捧げられて、韓国のお酒もお供えされているようでした。韓国の方もいらしているのでしょう。ハングル文字でも説明がされていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/0d/058c8f62a5a0eeb23cdf51730cf47f21.jpg)
三十三間堂や京都国立博物館、豊国神社は観光として訪れる人は多いでしょうが、ここまで来る人はほとんどいないのでしょうね。
私も、日本史の教員をしていなければ、ここに関心を持って、訪れるまでには至らなかったでしょう。
文禄・慶長の役で秀吉の兵が朝鮮の人々の耳や鼻をそいで持ち帰ってきたこと、それによって耳や鼻のない朝鮮の人々が大勢出たこと、朝鮮の人々はその所業をずっと忘れず、明治時代に至っても、福沢諭吉が「脱亜論」で嘆いたように、日本に対する怨恨の感情は根強いものがあって、消えない、ということ・・・こうした話を授業ですると、毎年必ず、生徒がしーんと静まり返ってしまうという現象が起きます。
日本の高校生にとっても、この史実は相当衝撃的であるということです。朝鮮の人々に400年前の日本人が、ひどいことをしたんだ、ということは、生徒は確かに感じています。
そのように私は毎年話をするだけで、時には、京都に行った時に、興味があったら耳塚を見て来てください、などと言っていました。生徒に話すだけで、実際に耳塚を見ていないというのでは、いけないかなと思っていました。やっと、見に行くことができました。
このようなネガティブな史跡は、ハワイの真珠湾を日本人が訪れないのと同じように、一般的には、観光の一つの場所として訪れることはないかもしれません。
誰もが実際に訪れることは難しいかもしれないので、この記事によって、このような所なんだなということを、感じていただければ、と思っています。
地図は再掲しておきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/7b/b90b26f50ad872cc7c095504975e6df2.jpg)
下は、耳塚について書かれた記事のリンクです。参考に、読んでみてください。
http://www.kyoto-wel.com/mailmag/ms0202/mm.htm
豊国神社の鳥居の所では、何かのドラマの撮影をしていました。
その鳥居を出て、斜め左手方向、約100mの所に「耳塚」があります。
前に書きましたように、文禄・慶長の役(1592~98)で日本兵が朝鮮から持ち帰った耳や鼻が埋葬されている場所です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/f6/30a0e84eb20ce7be452478f6039c94e0.jpg)
かなり大きな土盛りです。見上げるような高さでした。
観光客等の姿はなく、あたりはしーんと静まり返っており、一人の男性が、裏の方で立ってタバコを吸っている姿だけが目に入りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/75/6237e69e377737ca5cbb04c434f01294.jpg)
生花も捧げられて、韓国のお酒もお供えされているようでした。韓国の方もいらしているのでしょう。ハングル文字でも説明がされていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/0d/058c8f62a5a0eeb23cdf51730cf47f21.jpg)
三十三間堂や京都国立博物館、豊国神社は観光として訪れる人は多いでしょうが、ここまで来る人はほとんどいないのでしょうね。
私も、日本史の教員をしていなければ、ここに関心を持って、訪れるまでには至らなかったでしょう。
文禄・慶長の役で秀吉の兵が朝鮮の人々の耳や鼻をそいで持ち帰ってきたこと、それによって耳や鼻のない朝鮮の人々が大勢出たこと、朝鮮の人々はその所業をずっと忘れず、明治時代に至っても、福沢諭吉が「脱亜論」で嘆いたように、日本に対する怨恨の感情は根強いものがあって、消えない、ということ・・・こうした話を授業ですると、毎年必ず、生徒がしーんと静まり返ってしまうという現象が起きます。
日本の高校生にとっても、この史実は相当衝撃的であるということです。朝鮮の人々に400年前の日本人が、ひどいことをしたんだ、ということは、生徒は確かに感じています。
そのように私は毎年話をするだけで、時には、京都に行った時に、興味があったら耳塚を見て来てください、などと言っていました。生徒に話すだけで、実際に耳塚を見ていないというのでは、いけないかなと思っていました。やっと、見に行くことができました。
このようなネガティブな史跡は、ハワイの真珠湾を日本人が訪れないのと同じように、一般的には、観光の一つの場所として訪れることはないかもしれません。
誰もが実際に訪れることは難しいかもしれないので、この記事によって、このような所なんだなということを、感じていただければ、と思っています。
地図は再掲しておきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/7b/b90b26f50ad872cc7c095504975e6df2.jpg)
下は、耳塚について書かれた記事のリンクです。参考に、読んでみてください。
http://www.kyoto-wel.com/mailmag/ms0202/mm.htm