お天気も悪くて、なかなか明るい気持ちにもなりづらい日ですが、何かに集中・没頭してみましょう。
さて、日本史Bの学習の続きです。前回は、日本列島と日本人の成り立ちについてちょっとやりました。自分は縄文系か弥生系か、どうだったでしょうか。
さて、今日は山川教科書p.9<旧石器時代人の生活>から。
旧石器時代と新石器時代の境目は1万年前。旧石器時代は打製石器、新石器時代は磨製石器を使用していました。
日本には旧石器時代はないと考えられていましたが、戦後間もない1949年に、群馬県の岩宿遺跡の発見によって、日本にも旧石器時代の文化があったのだということが明らかになりました。これを発見したのは、相沢忠洋さんというアマチュアの考古学者です。この人の名前は覚えてください。
相沢さんは、青年学校が最終学歴ということで、大学で考古学を学んだわけではなく、しかし、考古学が大好きで、納豆売りの行商をしながら、遺跡を調べたり土器を採集したりしていたそうです。そのような生活の中で、関東ローム層という赤土の層から、打製石器を発見します。
しかし・・・以下、安直ですがWikipediaから引用します。
「しかし、当時この重大な発見について、学界や報道では相沢の存在はほとんど無視された。明治大学編纂の発掘報告書でも、相沢の功績はいっさい無視され、単なる調査の斡旋者として扱い、代わりに旧石器時代の発見は、すべて発掘調査を主導した杉原荘介の功績として発表した。さらには、相沢に対して学界の一部や地元住民から売名・詐欺師など、事実に反する誹謗・中傷が加えられた。この頃の郷土史界は地元の富裕層(大地主、大商人などいわゆる旦那衆)や知識層(教員、医師、役人など)などで構成されており、岩宿遺跡の存在する北関東も例外ではなかった。このため、これといった学歴も財産も有しない相沢の功績をねたみ、『行商人風情が』などと蔑視し、彼の功績を否定する向きもあったという。」
ひどいですね。学歴がなく、行商をやっているような人間だからと、その功績を認めなかったというのです。最終的には認められるのですが。
私も図書館で借りて読んだので手元にはないのですが、
相沢忠洋『「岩宿」の発見 幻の旧石器を求めて』 (講談社文庫)
を、ぜひ読んでみてください。
納豆を売りながらでも、好きなものをひたすらに探究し続けていると、こういうご褒美がいただけるのかな、と思いました。相沢さんは大変な目に遭ったのも確かですが、ロマンのある人生だとも思います。
学歴や学閥で差別を受けるということは、アカデミックの世界ではよくあることだなと、私も感じます。どんな学歴の人であっても、偏見なく、ただニュートラルな視点で、その発見や研究成果を評価してあげるべきだと思います。そうでないから、その風通しの悪さが、日本のアカデミックの世界の進歩を遅らせているのだと思います。
そういう中で、私も籍を置いた奈良大通信教育は、そういった敷居の高さもなく、いろいろなバックグラウンドを持つ、向学心の高い老若男女を受け入れ、応援し、評価してくださる先生方のいらっしゃる、すばらしい学びの場だと思います。文化財学科ではありませんが、万葉集研究で上野誠先生も、奈良大には学閥がないとおっしゃっていました。研究対象の現場がすぐ近くにある大学の強みもありますね。
日本史ではなく世界史になりますが、トロイの遺跡を発見したシュリーマンの『古代への情熱―シュリーマン自伝』 (新潮文庫)も、とても心を惹かれる内容です。若いうちは語学を勉強し、財産づくりに専念し、そして40歳になってから発掘に乗り出し、見事遺跡を発見したという、ドラマチックな話です。
今、図書館も休みなので、こういった本も借りられないかと思いますが、いつか一読してみてください。
自分が好きなことをとことん突き詰めるということの大切さを改めて思い出させられます。私もこうして書いていて、自分がとことん突き詰めるべきものは、ということを再確認しました。
p.11~15<縄文文化の成立><縄文人の生活と信仰>ですが、教科書と図説を使って、縄文土器をはじめ、さまざまな道具、そして土偶についてよく見ておいてください。
縄文時代について、このブログで過去に書いた記事としては以下のようなものがあります。
学習の参考にしてください。
大森貝塚は大田区?品川区?
モースが発見した大森貝塚は大田区なのでしょうか?品川区なのでしょうか?
発見された1877年という年も覚えておいてください。東京大学ができた年でもあります。明治時代です。モースはお雇い外国人です。
近況 及び 二上山博物館など(2016.9訪問)
縄文時代には、広範な地域間で交易がおこなわれていたことが、黒曜石やサヌカイトの出土状況からわかります。サヌカイトという石器の材料が採れる二上山のふもとにある二上山博物館に行ってみた時の記事です。サヌカイトというのは、断面がすごく鋭利な感じの石でした。結構硬いのか、サヌカイトを使った楽器も展示されていました。
「縄文―1万年の美の鼓動」展
縄文時代といえば、火炎土器、そして宇宙人のような、人間離れしたフォルムの土偶など、弥生時代の埴輪などと比べて、どちらが芸術的にユニークかといったら、やっぱり縄文時代の方じゃないかな、と私は思うのですが。
「芸術は爆発だ」と言った岡本太郎さんも、1951年、40歳の時に、
「東京国立博物館で縄文土器を見て衝撃を受ける。」
と、この時の展示の年表に書かれていました。
どこかで本物の縄文の遺物を目にしてほしいと思います。
東京なら各区市町村にある郷土博物館に、その地で出土した縄文土器などが大抵展示してあると思います。とはいっても、今はそういった施設もお休みしてますよね・・・
近い将来に、行きたい所に行って、やりたいことがやれる環境に早く戻れることを願って、しばらくは雌伏の時。
大変な状況にある人、じっとしているしかない人、いろいろと思いますが、明けない夜はないと考えて、日々の生活に小さくても明るい・新鮮な光を見出して、また、好きなことに没頭する時間など作りながら、待つことにしましょう。
ちなみに、博物館学芸員資格課程の実習Ⅱを受講する権利は得ているのですが、2年連続で、今年も日程的に受講できません。6月なのですが、その日程ではそもそもまだコロナのことがあってできないのでは?台湾ではプロ野球が開幕したとか。1カ月後、2カ月後の日本はどうなっているでしょうか。
縄文時代関連の写真は・・・
長野県の諏訪大社も縄文時代の痕跡が残っている場所かなと思い、2013年の旅の写真を載せます。
2枚目は、野辺山駅から行ったホテルで、夜に撮った星空の写真。その日は秋篠宮ご一家も宿泊されていたようでした。よいホテルでした。ロビーや、芝生のベンチに腰掛けて優雅に読書をする人などもいました。
さて、日本史Bの学習の続きです。前回は、日本列島と日本人の成り立ちについてちょっとやりました。自分は縄文系か弥生系か、どうだったでしょうか。
さて、今日は山川教科書p.9<旧石器時代人の生活>から。
旧石器時代と新石器時代の境目は1万年前。旧石器時代は打製石器、新石器時代は磨製石器を使用していました。
日本には旧石器時代はないと考えられていましたが、戦後間もない1949年に、群馬県の岩宿遺跡の発見によって、日本にも旧石器時代の文化があったのだということが明らかになりました。これを発見したのは、相沢忠洋さんというアマチュアの考古学者です。この人の名前は覚えてください。
相沢さんは、青年学校が最終学歴ということで、大学で考古学を学んだわけではなく、しかし、考古学が大好きで、納豆売りの行商をしながら、遺跡を調べたり土器を採集したりしていたそうです。そのような生活の中で、関東ローム層という赤土の層から、打製石器を発見します。
しかし・・・以下、安直ですがWikipediaから引用します。
「しかし、当時この重大な発見について、学界や報道では相沢の存在はほとんど無視された。明治大学編纂の発掘報告書でも、相沢の功績はいっさい無視され、単なる調査の斡旋者として扱い、代わりに旧石器時代の発見は、すべて発掘調査を主導した杉原荘介の功績として発表した。さらには、相沢に対して学界の一部や地元住民から売名・詐欺師など、事実に反する誹謗・中傷が加えられた。この頃の郷土史界は地元の富裕層(大地主、大商人などいわゆる旦那衆)や知識層(教員、医師、役人など)などで構成されており、岩宿遺跡の存在する北関東も例外ではなかった。このため、これといった学歴も財産も有しない相沢の功績をねたみ、『行商人風情が』などと蔑視し、彼の功績を否定する向きもあったという。」
ひどいですね。学歴がなく、行商をやっているような人間だからと、その功績を認めなかったというのです。最終的には認められるのですが。
私も図書館で借りて読んだので手元にはないのですが、
相沢忠洋『「岩宿」の発見 幻の旧石器を求めて』 (講談社文庫)
を、ぜひ読んでみてください。
納豆を売りながらでも、好きなものをひたすらに探究し続けていると、こういうご褒美がいただけるのかな、と思いました。相沢さんは大変な目に遭ったのも確かですが、ロマンのある人生だとも思います。
学歴や学閥で差別を受けるということは、アカデミックの世界ではよくあることだなと、私も感じます。どんな学歴の人であっても、偏見なく、ただニュートラルな視点で、その発見や研究成果を評価してあげるべきだと思います。そうでないから、その風通しの悪さが、日本のアカデミックの世界の進歩を遅らせているのだと思います。
そういう中で、私も籍を置いた奈良大通信教育は、そういった敷居の高さもなく、いろいろなバックグラウンドを持つ、向学心の高い老若男女を受け入れ、応援し、評価してくださる先生方のいらっしゃる、すばらしい学びの場だと思います。文化財学科ではありませんが、万葉集研究で上野誠先生も、奈良大には学閥がないとおっしゃっていました。研究対象の現場がすぐ近くにある大学の強みもありますね。
日本史ではなく世界史になりますが、トロイの遺跡を発見したシュリーマンの『古代への情熱―シュリーマン自伝』 (新潮文庫)も、とても心を惹かれる内容です。若いうちは語学を勉強し、財産づくりに専念し、そして40歳になってから発掘に乗り出し、見事遺跡を発見したという、ドラマチックな話です。
今、図書館も休みなので、こういった本も借りられないかと思いますが、いつか一読してみてください。
自分が好きなことをとことん突き詰めるということの大切さを改めて思い出させられます。私もこうして書いていて、自分がとことん突き詰めるべきものは、ということを再確認しました。
p.11~15<縄文文化の成立><縄文人の生活と信仰>ですが、教科書と図説を使って、縄文土器をはじめ、さまざまな道具、そして土偶についてよく見ておいてください。
縄文時代について、このブログで過去に書いた記事としては以下のようなものがあります。
学習の参考にしてください。
大森貝塚は大田区?品川区?
モースが発見した大森貝塚は大田区なのでしょうか?品川区なのでしょうか?
発見された1877年という年も覚えておいてください。東京大学ができた年でもあります。明治時代です。モースはお雇い外国人です。
近況 及び 二上山博物館など(2016.9訪問)
縄文時代には、広範な地域間で交易がおこなわれていたことが、黒曜石やサヌカイトの出土状況からわかります。サヌカイトという石器の材料が採れる二上山のふもとにある二上山博物館に行ってみた時の記事です。サヌカイトというのは、断面がすごく鋭利な感じの石でした。結構硬いのか、サヌカイトを使った楽器も展示されていました。
「縄文―1万年の美の鼓動」展
縄文時代といえば、火炎土器、そして宇宙人のような、人間離れしたフォルムの土偶など、弥生時代の埴輪などと比べて、どちらが芸術的にユニークかといったら、やっぱり縄文時代の方じゃないかな、と私は思うのですが。
「芸術は爆発だ」と言った岡本太郎さんも、1951年、40歳の時に、
「東京国立博物館で縄文土器を見て衝撃を受ける。」
と、この時の展示の年表に書かれていました。
どこかで本物の縄文の遺物を目にしてほしいと思います。
東京なら各区市町村にある郷土博物館に、その地で出土した縄文土器などが大抵展示してあると思います。とはいっても、今はそういった施設もお休みしてますよね・・・
近い将来に、行きたい所に行って、やりたいことがやれる環境に早く戻れることを願って、しばらくは雌伏の時。
大変な状況にある人、じっとしているしかない人、いろいろと思いますが、明けない夜はないと考えて、日々の生活に小さくても明るい・新鮮な光を見出して、また、好きなことに没頭する時間など作りながら、待つことにしましょう。
ちなみに、博物館学芸員資格課程の実習Ⅱを受講する権利は得ているのですが、2年連続で、今年も日程的に受講できません。6月なのですが、その日程ではそもそもまだコロナのことがあってできないのでは?台湾ではプロ野球が開幕したとか。1カ月後、2カ月後の日本はどうなっているでしょうか。
縄文時代関連の写真は・・・
長野県の諏訪大社も縄文時代の痕跡が残っている場所かなと思い、2013年の旅の写真を載せます。
2枚目は、野辺山駅から行ったホテルで、夜に撮った星空の写真。その日は秋篠宮ご一家も宿泊されていたようでした。よいホテルでした。ロビーや、芝生のベンチに腰掛けて優雅に読書をする人などもいました。