時間はたくさんあると思っていたら、いつの間にか、今年もかなり押し詰まってきました。前回の続き。書きかけの話題は年内に終わらせて。
2012年の文部科学省の調査による、大学全体の入学者の入試別比率は、一般入試56.2%、推薦入試が34.8%、AO入試が8.5%となっています。特に、私立大では推薦・AO入試による入学者が、全体の半数以上になる50.5%を占めているとのことです。
私立大だと、付属高校からの内部進学者も多いし、推薦・AOで合格した人も含めて半分以上はそういう学生なんですね。
あくせく日本史の用語を覚えて大学受験するなんてばかばかしくなってしまう気持ちもわからなくはないです(あくせくやらなくてもできるんですが)。推薦で受かってしまえば、必要ないですもんね。
推薦・AO入試の比率は、かといって急激に高まる傾向でもないようですが、減って行くことはないでしょう。
○○○○細胞はあったのかなかったのかで騒然とした2014年でしたが、渦中の人となった研究者はW大学にAO入試で入学したそうで、その大学のコピペ文化についてもネットでは話題になっているようで、大学名と「コピペ文化」というキーワードでいろいろ出て来ます。私も読んで驚きました。
日本の理化学系のノーベル賞受賞者は、ほとんど(全員?)国立大学出身者でしたよね。
○○○○細胞は本当だとしたらノーベル賞級の発見だったのでしょうけれども、私が昔から聞いていたことは、理系について、国立大学は、大学院に進んで基礎研究をできる環境がある大学が多いが、私立大学は、基礎研究はできない。応用研究が中心。学生も、大学院に進むよりは、ほとんど学部卒で理系といってもメーカーの営業になるくらい、ということでした。今もそうなのかはわかりません。
AO入試もまだ新しい制度で、その方式で入学した学生が社会に出てどのように活躍するのかは今後結果が出てくるのだと思います。
ノーベル賞受賞に値するような研究者の方々は、幅広く分厚い教養を身に付けており、苦労して勉強し、研究に打ち込んだ経験が必ずあるはずです。
私立大学を悪く言っているようですみませんが、言わざるをえない気がするので書いています。私立大学専願の入学者は、早い段階から5教科のうち2,3科目を受験科目から捨てているし、さらに推薦やAO入試で合格すれば、もっと早い段階からすべての科目の受験勉強から下りています。
そのようにして入学した後、その大学において重厚で深遠な学問を極めたいという人は、なかなか大変な努力が必要だと思います。私立大学卒からはノーベル賞(理系)はあきらめなさいと言っているわけではないのですが・・・しかし、現状で本当に「学問」している大学はどれだけあるのかな?と、某大学のコピペ文化の記事を読んで思ったりしました。私大トップでもこんな状態では・・・と。
自分の興味関心のある狭い分野のことだけ恐ろしく博学な人というのがいますが、それだけでは、人間としても、社会人、組織人、としても、バランスを欠いていると思います。自分の好きな分野以外の世界についても、幅広く知識や関心を持ち、理解しようとする姿勢を持っているべきだと思います。自分と関係がなさそうな分野からも、思わぬヒントを得ることもあります。
AO入試の弊害としてよく言われるのは、プレゼンテーションがうまければ合格してしまうということです。確かにそういう面があります。ただし、AO入試の手間のかけ方や、求める学力の高さ深さは大学によって千差万別です。私の母校も国立大学ですが一部でAOをやっており、その要項を読むと、要求している内容はかなり高度で、これはこれで大変です。
要は、学力トップの高校生は、どういう入試制度を選択して行くのだろう、ということに興味があります。AOや推薦で行く、となるのか、今までの東大を頂点とする知識詰め込み型の学習成果を答案にぶつける形の入試を選択するか。どちらで行くかによって、高校における日々の学習スタイルが大きく違って来ますし、その後の人生にも微妙に影響を及ぼすと思います。
また、日本史の試験問題はどうあるべきか。日本史を必須としない大学がひたすら増えていくか、入試科目に残っても、これまでと異なり、知識活用型であったり、論述式であったりという試験に変わって行くのか。それとも今後も当分、旧態依然の問題を出し続けるのか。
日本史が従来のような暗記型の入試形態でなくなるとしたら、それはそれで授業する側としては喜ばしいことです。
センター試験のような内容ならば、許せるかなと思いますし、今後も残って行ってもいいかなと思います。国公立ではセンター試験を受験することを条件とした推薦入試があり、そういう入試もよいですね。
あと1年、というスパンで、私も日本史の授業はどうあるべきか、深く考え、変えていくための行動を着実に進めていきたいと思います。時間があるかと思うと、大学通信教育もやっているので、そうでもないんですよね。でも時間を大切にしてがんばりたいと思います。
受験生ほど、時間を意識し、懸命に勉強している人達はいないと思います。私も受験生の気持ちになって、自分の勉強を冬休みも続けます。
では、よいお年を。来年もよろしくお願いいたします。
写真は、夏のスクーリングの帰りに訪れた西大寺。東大寺に対する西大寺。乗換駅としてもちょくちょく名前を聞く西大寺。行ったことがなかったので行ってみました。東大寺を作った聖武天皇の娘、称徳天皇勅願の寺。大きくて立派な、穏やかな空気の漂う、いいお寺でした。しばし称徳天皇に思いをはせました。
2012年の文部科学省の調査による、大学全体の入学者の入試別比率は、一般入試56.2%、推薦入試が34.8%、AO入試が8.5%となっています。特に、私立大では推薦・AO入試による入学者が、全体の半数以上になる50.5%を占めているとのことです。
私立大だと、付属高校からの内部進学者も多いし、推薦・AOで合格した人も含めて半分以上はそういう学生なんですね。
あくせく日本史の用語を覚えて大学受験するなんてばかばかしくなってしまう気持ちもわからなくはないです(あくせくやらなくてもできるんですが)。推薦で受かってしまえば、必要ないですもんね。
推薦・AO入試の比率は、かといって急激に高まる傾向でもないようですが、減って行くことはないでしょう。
○○○○細胞はあったのかなかったのかで騒然とした2014年でしたが、渦中の人となった研究者はW大学にAO入試で入学したそうで、その大学のコピペ文化についてもネットでは話題になっているようで、大学名と「コピペ文化」というキーワードでいろいろ出て来ます。私も読んで驚きました。
日本の理化学系のノーベル賞受賞者は、ほとんど(全員?)国立大学出身者でしたよね。
○○○○細胞は本当だとしたらノーベル賞級の発見だったのでしょうけれども、私が昔から聞いていたことは、理系について、国立大学は、大学院に進んで基礎研究をできる環境がある大学が多いが、私立大学は、基礎研究はできない。応用研究が中心。学生も、大学院に進むよりは、ほとんど学部卒で理系といってもメーカーの営業になるくらい、ということでした。今もそうなのかはわかりません。
AO入試もまだ新しい制度で、その方式で入学した学生が社会に出てどのように活躍するのかは今後結果が出てくるのだと思います。
ノーベル賞受賞に値するような研究者の方々は、幅広く分厚い教養を身に付けており、苦労して勉強し、研究に打ち込んだ経験が必ずあるはずです。
私立大学を悪く言っているようですみませんが、言わざるをえない気がするので書いています。私立大学専願の入学者は、早い段階から5教科のうち2,3科目を受験科目から捨てているし、さらに推薦やAO入試で合格すれば、もっと早い段階からすべての科目の受験勉強から下りています。
そのようにして入学した後、その大学において重厚で深遠な学問を極めたいという人は、なかなか大変な努力が必要だと思います。私立大学卒からはノーベル賞(理系)はあきらめなさいと言っているわけではないのですが・・・しかし、現状で本当に「学問」している大学はどれだけあるのかな?と、某大学のコピペ文化の記事を読んで思ったりしました。私大トップでもこんな状態では・・・と。
自分の興味関心のある狭い分野のことだけ恐ろしく博学な人というのがいますが、それだけでは、人間としても、社会人、組織人、としても、バランスを欠いていると思います。自分の好きな分野以外の世界についても、幅広く知識や関心を持ち、理解しようとする姿勢を持っているべきだと思います。自分と関係がなさそうな分野からも、思わぬヒントを得ることもあります。
AO入試の弊害としてよく言われるのは、プレゼンテーションがうまければ合格してしまうということです。確かにそういう面があります。ただし、AO入試の手間のかけ方や、求める学力の高さ深さは大学によって千差万別です。私の母校も国立大学ですが一部でAOをやっており、その要項を読むと、要求している内容はかなり高度で、これはこれで大変です。
要は、学力トップの高校生は、どういう入試制度を選択して行くのだろう、ということに興味があります。AOや推薦で行く、となるのか、今までの東大を頂点とする知識詰め込み型の学習成果を答案にぶつける形の入試を選択するか。どちらで行くかによって、高校における日々の学習スタイルが大きく違って来ますし、その後の人生にも微妙に影響を及ぼすと思います。
また、日本史の試験問題はどうあるべきか。日本史を必須としない大学がひたすら増えていくか、入試科目に残っても、これまでと異なり、知識活用型であったり、論述式であったりという試験に変わって行くのか。それとも今後も当分、旧態依然の問題を出し続けるのか。
日本史が従来のような暗記型の入試形態でなくなるとしたら、それはそれで授業する側としては喜ばしいことです。
センター試験のような内容ならば、許せるかなと思いますし、今後も残って行ってもいいかなと思います。国公立ではセンター試験を受験することを条件とした推薦入試があり、そういう入試もよいですね。
あと1年、というスパンで、私も日本史の授業はどうあるべきか、深く考え、変えていくための行動を着実に進めていきたいと思います。時間があるかと思うと、大学通信教育もやっているので、そうでもないんですよね。でも時間を大切にしてがんばりたいと思います。
受験生ほど、時間を意識し、懸命に勉強している人達はいないと思います。私も受験生の気持ちになって、自分の勉強を冬休みも続けます。
では、よいお年を。来年もよろしくお願いいたします。
写真は、夏のスクーリングの帰りに訪れた西大寺。東大寺に対する西大寺。乗換駅としてもちょくちょく名前を聞く西大寺。行ったことがなかったので行ってみました。東大寺を作った聖武天皇の娘、称徳天皇勅願の寺。大きくて立派な、穏やかな空気の漂う、いいお寺でした。しばし称徳天皇に思いをはせました。