年内にもう一丁、書いておこうということで、何を?と思った時に、また心の声が「まんじゅうの神社のことを書け」というので、今年2月に見たものなのですが、書きます。
奈良大通信・神話伝承論スクーリングの時に、スーパーホテルLohas・JR奈良駅に宿泊していたのですが、朝、JR奈良駅から近鉄奈良駅まで歩いて行く間に、かねてから訪れたいと思っていた漢国(かんごう)神社に立ち寄って行こう、と思い立ちました。
ガイドブックなどにも小さく載っていることが多いこの漢国神社ですが、高校日本史的には、室町時代の文化の所で、関連事項が教科書に出てきます。
山川の『詳説日本史B』でいうと、p.146に「節用集」の写真が載っています。節用集とは、当時の辞書のことで、教科書本文では、要するに、庶民の間にも辞書が必要になるほど読み書きが広まってきた、という趣旨の説明がされています。
その節用集の写真の下に説明があり、そこに「16世紀には奈良の饅頭屋によって刊本も出版された」とあります。ここに「饅頭屋」と書いてありますが、受験的には「饅頭屋宗二」という名前で覚えることになっていると思います。本当の名字は林さんなのですが、饅頭屋をやっていたのでそう呼ばれています。
「節用集」は、日本史の受験的に覚えるべき用語ですが、なぜ節用集というのかというと、「折節(おりふし)に用いる」辞書だから「節用集」といいます。私は、これをあるルートで入手して所有しており(江戸時代のもの)生徒に回覧したりもするのですが、興味を持つかどうかはのるかそるかのところがあります。大人の方なら、面白い!とだいたい言ってくれるのですが。そもそも「おりふしに用いる」と説明しても「おりふし」という言葉がわかってくれてるかな?といつも心配になります。「折々に」とか言い直しますが・・・「三々五々」も通じなかったし、若い人に使われなくなっていく言葉ってありますよね。「折節」もそんな言葉かもしれません。
で、その節用集を作った饅頭屋の林さんの先祖で、日本で最初に饅頭を作った林浄因さんを祀っている林神社というのが漢国神社の境内にあるのです。そのようなわけで、林神社は、全国のお菓子屋さんの崇敬を集めているとのことです。
漢国神社も、由緒をよく読むとかなり起源は古く、祭神は「三座」となっており、ホームページによると、
園神(そのかみ) 大物主命
韓神(からかみ) 大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
とのことです。
推古天皇元年(593)2月3日、勅命により大神君白堤(オオミワノキミ シラツツミ)が園神を祀ったのに始まるとのこと。その後、養老元年(717)11月28日、藤原不比等が韓神二座を相殿として合祀したということです。古くは春日率川坂岡社(かすがいさかわさかおかしゃ)と称していたとのこと。
「率川」という文字に私は反応しましたが、「率川神社」が、比較的この神社の近くにあり、以前、この神社についての記事を書いたことがあります。
率川神社は、毎年6月17日に美しい女性たちの行列が行われる三枝祭(さいくさのまつり)という、律令にも定めのある由緒あるお祭りが行われる神社で、大神神社の摂社です。こちらの漢国神社は、大神神社の摂社であるとは書いていないようですが、祭神が大神神社と同じであるので、関わりはあるのだろうと思われます。その他、由緒についてはあいまいな点がありますが、詳しいことは省略します。
漢国神社のHPにかなり詳しく由緒のことは書いてありますので、参考にしてください。
http://www.kangou-jinja.jp/genesis/index.html
徳川家康の鎧というのもあって、今は国立博物館に出陳しているとのこと。
漢国神社についてはこのくらいにして、林神社ですが、祭神の林浄因の命日である4月19日には、菓業界の繁栄を祈願する例大祭「饅頭まつり」が行われ、全国各地の菓子業者が神前に自家製の銘菓を献上するほか、一般参拝者向けにも無料で饅頭と抹茶がふるまわれるとのこと。
その林神社を中心に、写真を撮りました。
鳥居の左側に「饅頭の祖神 林神社」という表示が。
右側に、「縣社 漢國神社」の表示。
林神社の神殿の前、両脇には、この時期に見ると鏡餅のようにも見える、饅頭を模した二段重ねの石が鎮座しています。左側に「菓業繁栄」と書いてあります。
その左側には、「饅頭屋宗二 献木 紅梅」と立て札があり、ちょうど紅梅が咲いていたのはグッドタイミングでしたが、饅頭屋宗二は16世紀の人だとしたら、ちょっと梅の木が細いような・・・
「饅頭塚」なるものがありました。
小さな神社ですが、節用集とか饅頭屋宗二ゆかりの神社として、実地に見ることができてよかったです。4月19日に奈良にいたら饅頭を食べに行きたいですね。
奈良大通信・神話伝承論スクーリングの時に、スーパーホテルLohas・JR奈良駅に宿泊していたのですが、朝、JR奈良駅から近鉄奈良駅まで歩いて行く間に、かねてから訪れたいと思っていた漢国(かんごう)神社に立ち寄って行こう、と思い立ちました。
ガイドブックなどにも小さく載っていることが多いこの漢国神社ですが、高校日本史的には、室町時代の文化の所で、関連事項が教科書に出てきます。
山川の『詳説日本史B』でいうと、p.146に「節用集」の写真が載っています。節用集とは、当時の辞書のことで、教科書本文では、要するに、庶民の間にも辞書が必要になるほど読み書きが広まってきた、という趣旨の説明がされています。
その節用集の写真の下に説明があり、そこに「16世紀には奈良の饅頭屋によって刊本も出版された」とあります。ここに「饅頭屋」と書いてありますが、受験的には「饅頭屋宗二」という名前で覚えることになっていると思います。本当の名字は林さんなのですが、饅頭屋をやっていたのでそう呼ばれています。
「節用集」は、日本史の受験的に覚えるべき用語ですが、なぜ節用集というのかというと、「折節(おりふし)に用いる」辞書だから「節用集」といいます。私は、これをあるルートで入手して所有しており(江戸時代のもの)生徒に回覧したりもするのですが、興味を持つかどうかはのるかそるかのところがあります。大人の方なら、面白い!とだいたい言ってくれるのですが。そもそも「おりふしに用いる」と説明しても「おりふし」という言葉がわかってくれてるかな?といつも心配になります。「折々に」とか言い直しますが・・・「三々五々」も通じなかったし、若い人に使われなくなっていく言葉ってありますよね。「折節」もそんな言葉かもしれません。
で、その節用集を作った饅頭屋の林さんの先祖で、日本で最初に饅頭を作った林浄因さんを祀っている林神社というのが漢国神社の境内にあるのです。そのようなわけで、林神社は、全国のお菓子屋さんの崇敬を集めているとのことです。
漢国神社も、由緒をよく読むとかなり起源は古く、祭神は「三座」となっており、ホームページによると、
園神(そのかみ) 大物主命
韓神(からかみ) 大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
とのことです。
推古天皇元年(593)2月3日、勅命により大神君白堤(オオミワノキミ シラツツミ)が園神を祀ったのに始まるとのこと。その後、養老元年(717)11月28日、藤原不比等が韓神二座を相殿として合祀したということです。古くは春日率川坂岡社(かすがいさかわさかおかしゃ)と称していたとのこと。
「率川」という文字に私は反応しましたが、「率川神社」が、比較的この神社の近くにあり、以前、この神社についての記事を書いたことがあります。
率川神社は、毎年6月17日に美しい女性たちの行列が行われる三枝祭(さいくさのまつり)という、律令にも定めのある由緒あるお祭りが行われる神社で、大神神社の摂社です。こちらの漢国神社は、大神神社の摂社であるとは書いていないようですが、祭神が大神神社と同じであるので、関わりはあるのだろうと思われます。その他、由緒についてはあいまいな点がありますが、詳しいことは省略します。
漢国神社のHPにかなり詳しく由緒のことは書いてありますので、参考にしてください。
http://www.kangou-jinja.jp/genesis/index.html
徳川家康の鎧というのもあって、今は国立博物館に出陳しているとのこと。
漢国神社についてはこのくらいにして、林神社ですが、祭神の林浄因の命日である4月19日には、菓業界の繁栄を祈願する例大祭「饅頭まつり」が行われ、全国各地の菓子業者が神前に自家製の銘菓を献上するほか、一般参拝者向けにも無料で饅頭と抹茶がふるまわれるとのこと。
その林神社を中心に、写真を撮りました。
鳥居の左側に「饅頭の祖神 林神社」という表示が。
右側に、「縣社 漢國神社」の表示。
林神社の神殿の前、両脇には、この時期に見ると鏡餅のようにも見える、饅頭を模した二段重ねの石が鎮座しています。左側に「菓業繁栄」と書いてあります。
その左側には、「饅頭屋宗二 献木 紅梅」と立て札があり、ちょうど紅梅が咲いていたのはグッドタイミングでしたが、饅頭屋宗二は16世紀の人だとしたら、ちょっと梅の木が細いような・・・
「饅頭塚」なるものがありました。
小さな神社ですが、節用集とか饅頭屋宗二ゆかりの神社として、実地に見ることができてよかったです。4月19日に奈良にいたら饅頭を食べに行きたいですね。