日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

期末考査「拾遺」

2017-07-08 00:30:59 | 授業
ごぶさたしています。あんまり書かないでいると、ブログも広告が表示されてしまうようですので、今日、短く一気に書いてアップしてみようかと。

学校は、期末考査が終わり、採点や授業プリントのチェックなどに追われています。とにかく人数が多いので、果てしなく続く感じがします。昨日は21時まで学校にいて、今日も20時までやっていました。

2年生の日本史Aの試験問題では、前回と今回、最後の問題で作文してもらうことにしていました。今回はこんなものにしました。

「明治初期に近代の国境が確定したが、国境問題について、考えたことを書きなさい。日本に限らず、また、現代に至る内容を含めて書いてよい。または、最近のニュースや自分の身の回りの出来事で、印象に残ったことを挙げ、それについて自分が考えたことを書きなさい。」

私が教員になってから、年に何回かはこういう形式で、全日制でも定時制でもやってきました。結構生徒の皆さんはたくさん書いてくれます。

今の学校の生徒の皆さんは、書くことが好きなのか、本当にたくさん書いてくれます。だいたい5、6行分しか解答用紙には用意していないのに、はみ出すほど、おそらく原稿用紙にしても2枚くらいは書いちゃう人も中にはいます。
自由に文章を書けるのは、とても大事なことです。

「国境問題について」一生懸命書いてくれた人も結構いましたが、どちらかというと、最近のニュースや身の回りの出来事について考えたことを書いた人の方が多かったです。

今回多かったのは、まずは歌舞伎の市川海老蔵さんの奥さんの小林麻央さんが若くして亡くなったことについてでした。高校生も関心があるんですね。さまざまなやさしい気持ちが書かれていました。あとは、前回もそうでしたが、北朝鮮のミサイルの問題についてが多かったです。今回は将棋の藤井四段の連勝の話題も多く、やはり高校生は年齢が近いので、刺激を受けているようでした。

政治の話題も多いです。先日、都議会議員選挙がありましたので、その話題を取り上げた人も多かったです。いずれにせよ、加計学園や森友学園問題、議員の暴言や防衛大臣の応援演説問題、首相の街頭演説時のヤジへの対応の大人げなさ、など、高校生はシビアな目でよく見ていて、安倍さんや都議会選挙で大敗した自民党を援護するような意見はほぼありませんでした。まだ全部採点はしていないのですけれども今までのところ。
いくら官房長官が「問題ない」と言い続けたとしても、高校生には実際の所を見透かされているようです。それをつくづく感じました。
18歳になると選挙権が得られるので、そういう意識から、高校生は政治にも関心を高く持つようになっているのだなと感じました。

どんな政権でも、国民相手に、ごまかしきれるとか逃げ切れるとかいう考えをいまだに持っているとしたら、高校生をはじめとする若い人々からもあいそをつかされるでしょう。

そんなこんなで、現在の高校生の、世の中を見る目について身近に見ている立場から書いてみました。

たくさんの文章を書ける生徒の皆さんを頼もしく思い、採点しながらこちらもいろいろと考えさせられています。

今日は学校を出たのが20時過ぎで、空を見上げると昨日も今日も星がよく見えました。かなり都会にあるのですが、結構星がいくつもよく見えるのです。

今日は七夕でした。学校の玄関を出て空を見上げて、意外とよく見える星に、何かお願い事をしようかなと思って、ふと浮かんだ言葉は、
「○○高校の生徒が、将来健康で幸せな人生が送れるように、そのための体力と学力を与えてください」
というものでした。本当ですよ。今年はこれだけでいいかなあと思いながら帰って来ました。

今の勤務校は、本当に歴史のある伝統校で、たくさんのOBがいらっしゃいます。そうしたOBも、あたたかく生徒の皆さんを応援していることが感じられます。もしかしてこの世にいないOBの方々も、応援してくれているような、そんな気配を校内で感じるような気がするくらいです。
そんな有象無象のものがみんな応援してくれているのですから、生徒の皆さんも、そういったものを力に、自信を持って、学校生活の中で成長を続けてほしいと思います。

学校の敷地内で見つけた花。
ちょっとしたすき間に、案外きれいな、可憐な花が咲いているのです。誰かがそこに種をまいたのか、勝手に生えたのか?

5月19日、道場の扉下のすき間に咲いていた花。


7月1日、敷地内にこれもすき間に咲いていた花。

こういう所にも、趣を感じる学校です。
一応、今日は試験にまつわる「拾遺」ということで、このくらいで終わりにしておきます。
と書いている間に、日付が変わってしまいました。このへんで失礼します。


「戦後70年」に寄せて その2 ヴァイツゼッカー大統領演説「水に流してはならない」

2015-08-23 15:45:35 | 授業
前回の続きで、日本の戦後70年にちなんで、ドイツ大統領ヴァイツゼッカー(1984~94年在任)の、もう一つの演説について紹介します。

これも、前回の記事と合わせて、授業で配布したものです。
敗戦50年の来日時のものとのことですが、70年の現在にもあてはまる、深い言葉が述べられています。
自然にこのような考え方に行きついているか、それとも、生理的に受け入れがたい話であるのか、人によって、全く異なるものなのでしょうか?
以下、お読みください。感想などあればおきかせください。

以下、授業プリントの後半部分。


・・・・・

水に流してはならない――ドイツと日本の戦後50年

ドイツ大統領退任後の1985年、来日。日本の敗戦50年に合わせた演説旅行を行った。
「荒れ野の四十年」同様に、歴史を直視するべきことを力説している。英語に訳された「水に流す」という日本語の言い回しを引いて・・・また口先の「謝罪」が不信の解消には役立たないと述べるなど、日本での「歴史」論議に明確かつ率直な態度を示している。


・・・過去は歴史です。しかし過去はただの歴史でしょうか。それとも現在でもあるのでしょうか。過去を解釈するのは歴史家の仕事で、ドイツでも日本でも歴史家たちはそのことで論争をしています。

しかし、過去の解釈は歴史家だけのものでしょうか。われわれ政治家や精神的指導者たちも参加する責任があるのではないでしょうか。

私は「ある」と確信しております。

仮に責任ある立場のドイツの政治指導者が

――自国の戦時中の行為を歴史的に評価する用意がなかったり、あるいはそうできないとすれば、
――戦争を始めたのがいったい誰であり、自国の軍隊が他の地で何をしたのかについての判断を拒むようなことがあれば、
――さっさと戦利品に手をだしておきながら、他国に対する攻撃を自衛だと解釈するようなことがあれば、


そんなことがあると、道徳的な結果はまったく論外としても、現在のわれわれにとって外交上の重大な結果をもたらすことになるでしょう。隣国から政治的・倫理的判断力に欠けるという評判をとったり、まだまだ何をするのか分からぬ危険な国だとみなされる――そんなことを望んだり、したりする余裕がドイツにあるものでしょうか。
・・・自らの歴史と取り組もうとしない人は、自分の現在の立場、なぜそこに居るのかが理解できません。そして、過去を否定する人は、過去を繰り返す危険を冒しているのです。
・・・
このような経験や報道から結論を出すとすれば、こうです。もし仮に、われわれドイツ人が「過去を川のように流してしまえ」Let the past flow away like the river (=水に流す)という原則に従っていたならば、何も解決できず、外交面での孤立を長引かせ、内政面では硬直状態を助長していただろう、ということです。

われわれの経験では、過去の出来事について広く公に議論することは不可欠であり、結局は有益なものであります。議論の結果、より誠実になれるからで、これは国の内外にとって大きな価値があります。人間同士の個人的な付き合いの上での経験が、国と国の関係にも当てはまります。ときには謝罪が必要ですが、嘘偽りのない謝罪でなければ効果がありません。信じてもいない謝罪なら、むしろ止めておくべきでしょう。本気でなければ、謝罪などしない方がましです。ドイツでの経験では、謝罪と償いの行動には特段の意味があり、ときには単なる言葉よりも大切であり効果的でさえありました。

・・・人間が歴史から学べるという証拠はありません。しかしながら、誠実かつ率直に過去と向かい合うことは、遠近の隣人との、信頼にみち、国民としての利害にもっとも役立つ協力関係にプラスの作用をもたらすもので、このことをわれわれは経験で知っております。
日本とドイツは、地理的にはずいぶん距離がありますが、そうした協力関係を結ぶにあたって、実りのある・有効的な共同作業をすることができます。これが日本とドイツの両国の今後の課題であると確信しております。

以上 プリント部分終わり

以下、本日8月23日記す そういえば、今年1月に、亡くなったヴァイツゼッカー氏のお葬式があり、各国の首脳級が参列したようなのですが、日本から誰が行ったのか、報道ではわからず、もしかして、誰も行っていないのか?と気になりました。ネット上では少数ですが、同じように気になった人もいたようでした。日本はお呼びでないのか、日本政府がスルーしたのか、わかりませんが、本物と偽物と区別した場合、今の政府は本物に近寄ることができない次元にいるのかもしれません。

首相の言葉は役人の作文が基調であるという話は前回書きました。そういえば、70年談話の直後、新聞を見たら、読者の「声」欄が、教員(現役も引退後の人も両方)の投稿ばかりで埋め尽くされていた日がありました。主に、「作文」に対するダメ出しの声でした。やはり、全国の先生たちの多くが、そんなふうに受け止めたんでしょうね。

一方で、天皇陛下のお言葉は、ご自分で考えられることも多いという話をどこかで読みました。どんな人であっても公平に見た場合、天皇陛下のお言葉は、深い配慮が行き届いていて、仮に宮内庁のお役人が書いている部分があるにしても、天皇陛下また皇后陛下自身の思いが含み込まれていることが感じられます。

天皇は、現在の憲法下では日本国の象徴ということになっていますので、政治には口出しをすることはできません。現在の日本の社会・政治状況について、本当にもどかしい思いで、ご自分の思いを明確に表に出すことを押し殺し、折々の行事、お誕生日その他の機会でのお言葉に、ひそかに思いを込めていらっしゃるようです。
時々、マスコミがそれをくみ取って解説を加えたり、逆に、某放送局が現政権に不都合な部分をカットして放送した、と指摘されたり、ということがあります。

過去には、昭和天皇に叱責された首相(誰でしょう?)もいましたが、現代の憲法下ではそんなことはありえませんから・・・
それにしても、言いたいことがあっても自由に言えない、窮屈な立場では、体にも悪いでしょうね。
両陛下のご体調を悪くするような、政治のかじ取りは、やめてほしいですね。

心ある人たち、学校でしっかりと、国語をはじめさまざまに学び、教養を高めた人たちは、いろいろな人が公に発する言葉の真意(真贋)を、しっかり受け取る・見極めることができますように。

このくらいでやめておきましょう。



写真は、なら燈花会より。興福寺にて。字を表しているのですが、画像を小さくした方が、なんて書いてあるかわかりますね。現地ではわかりませんでした。



「戦後70年」に寄せて ヴァイツゼッカー大統領演説「荒れ野の40年」・・心に刻むことなしに和解はない

2015-08-15 20:09:20 | 授業
日本は、戦後50年、60年と首相が談話を発表してきて、今年は70年の談話が14日に発表されました。いろいろな立場の人がそれぞれに突っ込みたい所はあるでしょう。

私は教員になる前に10年以上役人をやっていたので、上の人が読むあいさつ文なども書いたことがあり、議会の答弁、役所のさまざまな実施計画書のたぐいも書きました。

ですから、14日に首相が発表した談話も、四つのキーワード(「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」)が盛り込まれているかというのがポイントだったそうですが、結局はそのキーワードをうまく盛り込んで仕立てたお役人の作文だったなと、まずは端的に思います。それで、目をくらまされた人がたくさんいると思います。

ああいった長文を100%首相が自分の言葉で考え、伝えたという印象は残念ながらありません。
細かい内容についてはここではパスします。

そもそも、日本の首相が、このような談話を発表するようになったのが、戦後50年、60年、70年とのことで、ドイツのヴァイツゼッカー大統領のドイツ敗戦40年の演説「荒れ野の40年」をまねて、まず村山さんが50年の談話を発表したのではないでしょうか?

キリスト教的には「荒れ野の40年」の「40年」に深い意味があるのですが、それを「まねて」、日本で50年、60年、70年と、単に10年ごとの節目で談話を発表する慣習ができたのだとしたら、本来の始まりの趣旨と違うだろうになと思います。ドイツで10年ごとであるのかは知りません。

そのヴァイツゼッカー大統領の演説というのが非常に格調高く、心を揺さぶられるもので、私は、前任校の日本史Bの授業で、その内容を要約して、生徒に配ったことがあります。歴史を学ぶ意味を考える材料としてもよいのではないかと思ったのです。

前任校の生徒には、なかなか、理解してもらえないかもしれないだろうと予測しながらも、当時持っていた二つのクラスのうち、一つのクラスには、チャレンジしてみようと思い、プリントを配ったうえで、説明をし、心にとどめてもらいたいという趣旨の話をしました。

すると、その授業の終わりに、自主的にそのプリントに関する感想のメモを書いて、私に渡してくれた男子生徒がいました。とても真摯な内容でした。一人でも、心にとどめて、何か考えるきっかけになってくれたとしたら、うれしいな、と思っていましたので、これは本当にうれしいできごとでした。

もう一つのクラスは私の担任クラスで、そちらでは、授業でやるのはちょっと無理かも、とややくじけて(前者のクラスよりも全体的に精神性が少し幼い感じがしたもので)、確か、日本史Bの最後の授業の時に、プリントを配布し、各自で最後まで読み、考えてほしいという話をしました。その版が最終的に残っていましたので、ここで、少しそれを省略しながらも、紹介したいと思います。

ドイツが降伏したのは5月8日で、日本にとっての8月15日と同じです。


以下、授業プリントのやや省略版

・・・・

日本史B ・・・1年間の最後に
未来の日本を背負って行く皆さんに  最後まで読んでいただければさいわいです

ドイツ大統領ヴァイツゼッカー(1984~94年在任)の名演説から  歴史を学ぶ意義を考える
『言葉の力  ヴァイツゼッカー演説集』
(岩波現代文庫  2009年)より

※日本にもこのような格調高い演説ができる政治家を求む。

荒れ野の四十年

ドイツの統一が実現する4年前の1985年5月8日、第二次大戦でのドイツの敗戦40周年にあたって西ドイツの国会で行われた演説。
当時、東西ドイツの分裂状態は続いており、戦後の四十年をどう評価するのかの甲論乙駁が沸騰していたが、大統領は「捕囚」からの「救い」をもたらすのは「心に刻む・記憶する」ことだとのユダヤ教の格言を引いて、一つのヒントを提供している。


5月8日(※日本にとっての8月15日)は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには真実を求めることが大いに必要とされます。

われわれは今日、あの戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
・・・
戦いが終わり、筆舌に尽くしがたい大虐殺(ホロコースト)の全貌があきらかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。

一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたのもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方々、その人たちは今日、一人びとり自分がどう関わり合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自らが手を下してはいない行為について自らの罪を告白することはできません。
・・・
罪の有無、労幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております。(以下太字はブログ筆者ツツコワケによる)
・・・
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでしょう。われわれは人間として心からの和解(フェアゼーヌング)を求めております。

まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はない、という一事を理解せねばならぬのです。何百万人もの死を心に刻むことは世界のユダヤ人一人びとりの内面の一部なのでありますが、これはあのような恐怖を人びとが忘れることはできない、というだけの理由からではありません。心に刻むというのはユダヤの信仰の本質でもあるのです。

  忘れることを欲するならば捕囚は長びく
  救いの秘密は心に刻むことにこそ

これはよく引用されるユダヤ人の格言でありますが、神への信仰とは歴史における神のみ業(わざ)への信仰である、と言おうとしているのでありましょう。
・・・
われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。かつて起こったことへの責任は若い人たちにはありません。しかし、歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

・・・人間は何をしかねないのか――これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。


道徳に究極の完成はありえません――いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。これからの人間として危険にさらされつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。

ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
若い人たちにお願いしたい。
  他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。

  ロシア人やアメリカ人、
  ユダヤ人やトルコ人、
  オールタナティブを唱える人びとや保守主義者、
  黒人や白人、
  これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
  若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
  民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。

 自由を尊重しよう。
 平和のために尽力しよう。
 公正をよりどころにしよう。
 正義については内面の規範に従おう。
 今日5月8日にさいし、及ぶかぎり真実を直視しようではありませんか。

※この演説の4年後の1989年11月10日、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一された。
 戦後、ドイツや朝鮮半島などが二つの国家に分断されてきた中で、日本は国を分割されることもなく、急速に復興を果たし、先進国の一つとなった。この奇跡や幸運を理解し、また、ドイツがユダヤ人に対して行ったことを、この演説で「心に刻もう」と呼びかけているように、日本人としても、同様に、戦時中、アジアの人々に対して行ったことを、戦争を知らない世代としても「心に刻む」ことの大切さを認識してほしい。
(以上この※ツツコワケ記)


以上が、私の授業プリントのやや省略版です。文中の「※ツツコワケ記」は本名の名前を入れて配布しました。

このような演説は、お役人の作文としては決して書けない内容です。

昨日の談話の案を練るにあたっては、この頃の内閣支持率低下も気にしながらであったとか(マスコミ報道ですから本当かわかりませんが)・・・そんなことを気にしているようでは、格調高い、高邁な内容など、望むべくもありません。

このいみじくも『言葉の力』というタイトルの本を、ぜひ、読んでいただきたいと思います。政治家の方々も、手遅れかもしれませんが・・・バイアスをかけないで、素直な心で読んでほしいです。

まだもう一つの演説について、紹介したいのですが、今日はこれで終わりにします。

写真は、先日の「なら燈花会」より。


「世界の工場」

2013-07-06 23:34:13 | 授業
全国的に期末考査も終わった頃でしょうか?
今日は日本史の話じゃなくてごめんなさい。今年は世界史も地理もやっているものですから。

世界史で、ヨーロッパの勢力が南アフリカを植民地化していった話題の中で、コイサンという先住民は、コイコイという牧畜民族とサンという採集・狩猟民をあわせた呼称で、ヨーロッパ人は、前者はホッテントット、後者はブッシュマンと呼んで軽蔑していたと教科書に書いてあったので、『ハイジ』にホッテントットの話が出てくるの知らない?と聞いてみましたが、生徒は知りませんでした。
『ハイジ』の中では、ペーターにハイジがアルファベットを教える時に、覚えなければ、ホッテントットのとこへ行け!と歌でおどかすのですが、今の人は知らないのかなあ?とぼやいていたら、生徒が、
「時代が変わったんだよ」
とある男子生徒。ハイジはもう古いんでしょうかね。

ついでに、ブッシュマンという映画があって、コーラの瓶が空から降って来て・・・という話をしても、生徒はわからないようでした。それはまあそうでしょうね。調べてみると、もう30年前の映画のようですし。

さらに、産業革命に成功したイギリスについて「世界の工場」と世界史の教科書に書いてありますが、1年生の地理の教科書を見ていたら、現代の中国について「世界の工場」と、どちらもゴシックで書いてあるのに気付きました。それで、「世界の工場」といったら、昔はイギリス、今は中国なんだねえ、とちょっと話したら、
「時代は変わるんだよ」
とまた同じ生徒が。
イギリスが「世界の工場」と言われてきたのは知っていましたが、今では中国なんですね。というのが、今年、日本史と世界史と地理を同時に担当して気が付いたことでした。確かに、今はイギリスでないのは明らかです。
「時代は変わるんだよ」と突っ込みを入れた生徒も鋭いです。
世界の工場は、これから先、どこの国が担っていくのでしょうか。中国の時代は、いつまで続くのでしょうか?
今日は、感想めいた内容になってしまいました。

さて、七夕ですね。梅雨明けもしたし、今年は織媛彦星はうまくデートできるでしょうか?

一球入魂

2012-11-07 05:33:27 | 授業
3年生の日本史の授業は、選択ですので、12月でおしまいとなります。あと、各クラス4、5回ほどしかありません。まだ教科書は終わっていませんし、3年間の皆さんとの付き合いももう終わりということで、私も心を込めて授業をしています。
一球入魂です。全部聞き逃さないでほしいと思っています。

ですから、どうか授業を休まないでください。

来週には進研模試(マーク式)を実力テストとして実施しますから、そのための準備もしてほしいです。つまりは全範囲をおさらいしておくこと。

このところ、小テストをしています。点が取れなかった人には課題を出しています。休んだ人にも同様に出します。また、次の小テストのネタを配布していますので、休んでいると次のテストの時にも困ります。
休んだ人は、休んだ時間の配布物を取りに来るようにしてください。宿題、課題がどんどんたまっていきます。
また、『ゼミナール日本史』の解答も配布しました。これももらっていない人は取りに来てください。
問題集を買わずに受験するのは無茶です。『ゼミナール日本史』は、何も持っていない人はこれだけでも最低限やってください。1冊の問題集を最後までやらずに受験を迎えてはだめです。3回は繰り返しやってください。
これからの時期は、日本史の教科書や問題集を、何回繰り返しやれたかが重要です。文字を追いかける眼球のスピードを上げて、だだだだっと量をこなしてください。だらだらのんびりやらないように。

確実にできた問題は印をつけて、次回はとばせば、繰り返すスピードは速くなります。
11月に1周やり、12月に2周。簡単な問題集をやっていた人は早めに終わらせて、本格的な問題集を年内に3周くらいはできるように計画してください。