暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

平山氏館跡(旧江南町)

2018-09-18 17:42:08 | 城館跡探訪
この記事では、旧江南町荒川低地の平山氏館跡について書きます。

調査日は2018年08月09日です。

平山氏は武蔵七党のうち、西党の一族で府中近辺を根拠にしていたものが、

室町期に上杉氏に従って、現在の江南町に移住したといわれています。


平山氏館は、交通の便がよく、新荒川大橋の東側、

近所にJAくまがやふれあいセンター江南店があります。道の駅みたいなやつですね。

平山氏館跡の周辺は道が細いので、とりあえず、ふれあいセンターの駐車場の

端っこに車を止めさせてもらいました。

ふれあいセンターの裏には、いきなり堀跡と土塁らしきものがありました。












というか、これはもうもろに館跡の遺構ですよね。

自分の得意な展開になったので、期待感が高まります。














平山氏館跡は、国重要文化財平山家住宅として有名ですが、現住建造物なので、お家の方に見学の御願いをします。

非常に快く御許可をいただきました。

敷地入り口附近にも土塁があり、石積みが残っています。

また、虎口状のものと社があります。









石積にはかなり強いインパクトを受けました。土塁も長く、元々かなりの規模をもっていたようですね。


こちらが平山家住宅です。



ご当主がわざわざ出迎えてくださり、解説をしてくださいました。

母屋の背後にも立派な土塁と空堀(元は水堀)があります。







竹林の中に土塁と堀跡があります。











二重土塁だったのかな・・・現地でそう思いました。

裏は、整地されています。













とにかく、竹林の中を歩き回らせていただきました。

下の写真は北側と西側の角の部分です。

西側の土塁は、屋敷裏、北側の土塁よりもやや低くなっています。













大きな稲荷社がありました。











ここで、実際の館跡の大きさについて質問したところ、南側、南西側、西側に現在の敷地があり、

現況の4倍程度の広さがあったということです。

昭和戦前の平山家は、いわゆる自作地主でしたが、南西側、西側の土地は貸しており、

戦後農地解放の際に、手放したとのことでした。

このあと、税金の話で盛り上がりました。やはり、重要な館跡とはいえ、維持費は相当の負担だそうです。

また、ふれあいセンター裏の土塁について尋ねると、「ああ、あの辺りまで家の土地だったんだよ」と

笑ってらっしゃいました。

やはり、かなり規模の大きな館と思われます。恐らく、郭もいくつかに分かれていたのではないでしょうか。



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