本日は、中条氏館跡について書きたいと思います。
調査日時は2018.02.02及び02.03です。
中条氏は鎌倉幕府成立前からの、源氏の郎党で、幕府の評定衆を務めた名族です。
また、中条流剣術を創始するなど、優れた事蹟を残しました。
さて、中条氏館跡は熊谷市北東部の中条地区の常光院にあります。常光院は、名族中条氏の館跡にふさわしい
京都風の落ち着いたたたずまいです。周囲は、水堀に囲まれています。
さて、門前には館跡であることを示す石碑があります。
石碑には延享2年に描かれた館跡の古図が刻まれています。
本日は、この館跡古図に基づいて、現況がどの程度保たれているのかを、追いかけてみたいと思います。
まず、館跡の東側に常光院専用の駐車場があります。
この駐車場は館跡を噛んでいます。
ここはすでに発掘調査が行われた場所のようです。
館跡は複数の郭に分かれていたようです。
常光院に隣接した民家脇にも、空堀跡と思われる溝が残されています。
山門をくぐると、すぐ左側に土塁と水堀があります。
また、山門は言って右側にも、郭跡の土塁と平場があります。
さて、常光院本堂です。未だに茅葺きの屋根を保存しています。
次に本堂裏に回り込みます。
本堂裏には水堀を利用した池があります。
本堂裏の平場
本堂裏の土塁
この土塁に沿って移動してみましょう。
土塁の外側には堀跡があるのがわかります。
土塁上を歩きます。
最後の写真辺り土塁が終わります。
中条氏館の中でもこの土塁に囲まれた本堂付近が、本郭に相当すると思われます。
さて、今度は、池の後方にある切れ目から、外に出てみます。
本堂を取り囲む土塁の外側にある堀跡です。
常光院裏はこのようになっています。
墓地裏の状況を確認します。
土塁跡、堀跡と思われる畦畔や溝がしっかり残っています。
次は本堂裏に戻って見ましょう。
(つづく)
調査日時は2018.02.02及び02.03です。
中条氏は鎌倉幕府成立前からの、源氏の郎党で、幕府の評定衆を務めた名族です。
また、中条流剣術を創始するなど、優れた事蹟を残しました。
さて、中条氏館跡は熊谷市北東部の中条地区の常光院にあります。常光院は、名族中条氏の館跡にふさわしい
京都風の落ち着いたたたずまいです。周囲は、水堀に囲まれています。
さて、門前には館跡であることを示す石碑があります。
石碑には延享2年に描かれた館跡の古図が刻まれています。
本日は、この館跡古図に基づいて、現況がどの程度保たれているのかを、追いかけてみたいと思います。
まず、館跡の東側に常光院専用の駐車場があります。
この駐車場は館跡を噛んでいます。
ここはすでに発掘調査が行われた場所のようです。
館跡は複数の郭に分かれていたようです。
常光院に隣接した民家脇にも、空堀跡と思われる溝が残されています。
山門をくぐると、すぐ左側に土塁と水堀があります。
また、山門は言って右側にも、郭跡の土塁と平場があります。
さて、常光院本堂です。未だに茅葺きの屋根を保存しています。
次に本堂裏に回り込みます。
本堂裏には水堀を利用した池があります。
本堂裏の平場
本堂裏の土塁
この土塁に沿って移動してみましょう。
土塁の外側には堀跡があるのがわかります。
土塁上を歩きます。
最後の写真辺り土塁が終わります。
中条氏館の中でもこの土塁に囲まれた本堂付近が、本郭に相当すると思われます。
さて、今度は、池の後方にある切れ目から、外に出てみます。
本堂を取り囲む土塁の外側にある堀跡です。
常光院裏はこのようになっています。
墓地裏の状況を確認します。
土塁跡、堀跡と思われる畦畔や溝がしっかり残っています。
次は本堂裏に戻って見ましょう。
(つづく)
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