暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

須賀広陣屋跡(旧江南町)②

2018-04-18 21:43:18 | 城館跡探訪
さて、問題は南側です。

地形を概観すると、南側は緩やかながら傾斜があり、南に向って低くなっていますが、

やはり、人工的な改変の痕跡があります。



池の前面にある標柱は漁業権の存在を示すものですが、こうした形態の標柱は非常に珍しいです。

この池の特殊性が示されているといえるでしょう。


この池の反対側、つまり池に正対した部分になりますが、いきなり、大きな段差があります。



次に、注目すべきはこの下の写真になります。



この個所は、池と関連付けられていた・・・つまり大きな水堀の跡と考えるのが適切と思われます。

理由は、「陣屋」と呼ばれる耕地との位置関係にあります。

下の写真は、「陣屋」と呼ばれる耕地です。つまり、陣屋だったということですね。



この耕地のさらに南側に回ってみます。



手前の耕地は白菜跡ですが、その先に、一段せり上がった耕地があります。

あそこまでが陣屋耕地です。



奥にあるネギ畑がそうですが・・・・。



少しわかりにくいので、横に回ってみます。



上の写真の段差の延長ラインが、陣屋耕地です。

ここが須賀広陣屋の南側ということになります。

これ等のことから、水堀・土塁の残されている北側部分とほぼ同じ大きさ、

一目でわかる遺構の約2倍の広さがあったと推定されるわけです。

個人の好みの問題もあるでしょうが、整備されていない城館跡の方が、遺構と地形の関係を読み込む楽しみがあると

思う次第です。

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