さて、問題は南側です。
地形を概観すると、南側は緩やかながら傾斜があり、南に向って低くなっていますが、
やはり、人工的な改変の痕跡があります。
池の前面にある標柱は漁業権の存在を示すものですが、こうした形態の標柱は非常に珍しいです。
この池の特殊性が示されているといえるでしょう。
この池の反対側、つまり池に正対した部分になりますが、いきなり、大きな段差があります。
次に、注目すべきはこの下の写真になります。
この個所は、池と関連付けられていた・・・つまり大きな水堀の跡と考えるのが適切と思われます。
理由は、「陣屋」と呼ばれる耕地との位置関係にあります。
下の写真は、「陣屋」と呼ばれる耕地です。つまり、陣屋だったということですね。
この耕地のさらに南側に回ってみます。
手前の耕地は白菜跡ですが、その先に、一段せり上がった耕地があります。
あそこまでが陣屋耕地です。
奥にあるネギ畑がそうですが・・・・。
少しわかりにくいので、横に回ってみます。
上の写真の段差の延長ラインが、陣屋耕地です。
ここが須賀広陣屋の南側ということになります。
これ等のことから、水堀・土塁の残されている北側部分とほぼ同じ大きさ、
一目でわかる遺構の約2倍の広さがあったと推定されるわけです。
個人の好みの問題もあるでしょうが、整備されていない城館跡の方が、遺構と地形の関係を読み込む楽しみがあると
思う次第です。
地形を概観すると、南側は緩やかながら傾斜があり、南に向って低くなっていますが、
やはり、人工的な改変の痕跡があります。
池の前面にある標柱は漁業権の存在を示すものですが、こうした形態の標柱は非常に珍しいです。
この池の特殊性が示されているといえるでしょう。
この池の反対側、つまり池に正対した部分になりますが、いきなり、大きな段差があります。
次に、注目すべきはこの下の写真になります。
この個所は、池と関連付けられていた・・・つまり大きな水堀の跡と考えるのが適切と思われます。
理由は、「陣屋」と呼ばれる耕地との位置関係にあります。
下の写真は、「陣屋」と呼ばれる耕地です。つまり、陣屋だったということですね。
この耕地のさらに南側に回ってみます。
手前の耕地は白菜跡ですが、その先に、一段せり上がった耕地があります。
あそこまでが陣屋耕地です。
奥にあるネギ畑がそうですが・・・・。
少しわかりにくいので、横に回ってみます。
上の写真の段差の延長ラインが、陣屋耕地です。
ここが須賀広陣屋の南側ということになります。
これ等のことから、水堀・土塁の残されている北側部分とほぼ同じ大きさ、
一目でわかる遺構の約2倍の広さがあったと推定されるわけです。
個人の好みの問題もあるでしょうが、整備されていない城館跡の方が、遺構と地形の関係を読み込む楽しみがあると
思う次第です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます