暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

谷城跡(滑川町)

2019-02-22 17:03:12 | 城館跡探訪
こんにちは。

最近、サーバーとGooblogの相性が良くないらしく、

度々アクセス不能になってしまいます。

更新もその状況に合わせてということになりますので、遅くなったりすることもありますがお許しください。

さて、今回は、滑川町にある谷城跡に行きました。

調査日は2019.01.22です。

谷城跡は森林公園の山崎城のある丘陵の低地を挟んで向かい側にあります。

森林公園内には、山崎城に隣接するように山田城があり、また、谷城の直近には

城原城があります。

この挟み込む丘陵と小河川によってつくられた低地が軍事戦略上重要な地位を担っていたということでしょう。


谷城跡の遺構は低地に突き出た円形の丘陵に主郭が、背後の廃寺跡のある鞍部を挟んで尾根続きの

部分に館跡と2か所に分かれています。


主郭のある丘の遠景です。



この丘の東側に未舗装の小道があります。



この先に廃寺跡があり、その名残の谷津堂というものがあるそうです。

と言っても、周囲に住民の方がいるわけでもなく、この先に何があるのかは予想もできません。

まもなく、廃寺跡らしい平場が現れます。





おそらく、明治の廃仏毀釈で廃寺になったのでしょう。

とりあえず丘に登ろうと思います。

小道を登るとなんとすぐに墓地に入ってしまいました。





谷津堂とはこの祠のことですが、さすがにこの墓地を突っ切って丘に登るのはためらわれました。

仕方なく、墓地のはずれの急斜面を強引に上りました。

実は、あとで気が付いたのですが、廃寺跡のずっと手前に城跡に登ることのできる踏み跡状の小道が

あったのです。

さて、斜面を直登すると、あっという間に主郭に到達です。

わかりやすい円形の平場です。





さて、ここからの方針は東側斜面にある2本の堀切を探すことです。

堀切は平行に2本あります。

現場は、やぶというほどひどい状況ではありません。

すぐに1本目の堀切が現れました。



堀の底に降りて写真を撮影しました。



問題は2本目の堀切です。

それほど長大なものではないので、うっかりすると見落としてしまいますし、堀切と見間違えそうな

へこみがあります。

二の郭というべきなのでしょうか、堀切の間には平場があります。





へこみを堀切と誤認しかけましたが、2本目の堀切が見つかりました。



2本目の堀切の底に降りて撮影します。









2本目の堀切の北側には盛り土があります。



帰路を探していると踏み跡がありました。

やはり墓地を突っ切りたくありませんので、その踏み跡に従って歩くと、小道に出ました。



ここから登ればよかったのですね。

次に、3本目のL字型の堀切に向いますが、東側からは丘の上に登りにくそうなので、西側に回ることにしました。

東側の谷筋は日陰で陰鬱な雰囲気なのですが、西側は開けて日当たりも良好です。

ただ、民家が並んでおり、どこから登ってよいかわかりません。

とりあえず一番奥のお宅に声をかけて、登らせていただくことにしましたが、やや困惑した様子。

一つには、城跡を見に来る人もほとんどなく、ご自身もあまり関心がないこと、外側からは分かりにくいのですが、

実は、丘の上はすでにゴルフ場になっており、そこから登るのだから別にいいよということでした。


そこで、谷津の奥から小道を登り、ゴルフ場沿いを歩いて林に入りました。

よく使われているらしい道があります。

すぐに墓地が現れました。

この付近に堀切があるはずなのですが・・・・。

小道を進むと、左側、墓地から少し離れた場所に堀切のようなものを発見しました。







深さは1メートル未満でしょう。浅い堀です。幅も狭いです。土塁はついていません。





この堀状の構築物は、もしかしたら排水用の溝なのかもしれませんが・・・・。

ここは3本目の堀切ではないだろうと判断して、とりあえず、小道に戻ります。

少し直進すると、今度は右側にはっきり堀切とわかる構築物が現れました。











堀切は竹林に覆われ、土塁があるのがわかります。








この、堀はかつてはもっと大規模で、方形の構え堀状であったそうですが、

現在は損壊されてしまったのか、埋もれてしまったのか、L字状の遺構を残すのみとなっているようです。

道の左側にあった堀切状の構築物が3本目の堀切と関連をもったものであるならば、

構え堀の遺構があったというのも、頷けると思うのですが・・・。

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