今回は、小川町の中城跡について書きたいと思います。
調査日は2019.02.10です。
中城跡は東上線小川町駅の西側、小川町市街地の真ん中につきだした台地上の「梅香岡」にあります。
ちょうど、小川町の町営運動場の固まっているところです。
この台地上は当地に勢力をもった増尾氏の根拠地らしく、中城跡は台地の東側先端部分にあります。
また、鎌倉幕府最後の将軍守邦親王が、幕府滅亡に際して増尾氏の庇護を受け、仮寓した館跡でもあり、
守邦親王の勧請したといわれる八幡神社は中城跡の西側にあります。
中城跡はやや見つけにくく、対戦戦死者慰霊塔の向かい側にある民家のわき道を入っていかなければなりません。
小道を直進すれば、テニスコートのある郭内に入ることができますが、これは後知恵です。
普通ならば、民家前を通ってそのまま空堀と土塁に到達します。
中城跡は、現在、かなり整備が進んで非常に見やすくなっております。
民家付近はそうでもありませんが、中城跡の空堀はかなり深く、土塁は高いです。
土塁には木製の階段がつけられており、そこから本丸内に入ることができますが、
テニスコートの裏側になります。
仙覚律師遺跡の開設板はこちら側にあります。テニスコートの関係もあるので
土塁と空堀伝いに移動するのがいいと思います。
空堀は台地と城跡を分断するように配置されています。
北側は台地の急斜面になっているので、空堀も浅くなります。
この辺りで空堀の痕跡がなくなりますが、土塁は高いです。
城跡東側に行くと、虎口があり土塁上に小さな祠があります。
本丸内にはテニスコートがあります。
ちょっと、足場が悪いのですが、東側の土塁をもう少し見てみましょう。
東側の土塁下には、帯郭のような平場が削平されていました。
本丸内に上がります。
土塁上にはもう一つ大きな社がありました。こちらが御嶽神社なのでしょう。
様々な石碑や祠があるので、びっくりします。
参道の五百羅漢のような石像がちょっと違う雰囲気を醸し出していました。
調査日は2019.02.10です。
中城跡は東上線小川町駅の西側、小川町市街地の真ん中につきだした台地上の「梅香岡」にあります。
ちょうど、小川町の町営運動場の固まっているところです。
この台地上は当地に勢力をもった増尾氏の根拠地らしく、中城跡は台地の東側先端部分にあります。
また、鎌倉幕府最後の将軍守邦親王が、幕府滅亡に際して増尾氏の庇護を受け、仮寓した館跡でもあり、
守邦親王の勧請したといわれる八幡神社は中城跡の西側にあります。
中城跡はやや見つけにくく、対戦戦死者慰霊塔の向かい側にある民家のわき道を入っていかなければなりません。
小道を直進すれば、テニスコートのある郭内に入ることができますが、これは後知恵です。
普通ならば、民家前を通ってそのまま空堀と土塁に到達します。
中城跡は、現在、かなり整備が進んで非常に見やすくなっております。
民家付近はそうでもありませんが、中城跡の空堀はかなり深く、土塁は高いです。
土塁には木製の階段がつけられており、そこから本丸内に入ることができますが、
テニスコートの裏側になります。
仙覚律師遺跡の開設板はこちら側にあります。テニスコートの関係もあるので
土塁と空堀伝いに移動するのがいいと思います。
空堀は台地と城跡を分断するように配置されています。
北側は台地の急斜面になっているので、空堀も浅くなります。
この辺りで空堀の痕跡がなくなりますが、土塁は高いです。
城跡東側に行くと、虎口があり土塁上に小さな祠があります。
本丸内にはテニスコートがあります。
ちょっと、足場が悪いのですが、東側の土塁をもう少し見てみましょう。
東側の土塁下には、帯郭のような平場が削平されていました。
本丸内に上がります。
土塁上にはもう一つ大きな社がありました。こちらが御嶽神社なのでしょう。
様々な石碑や祠があるので、びっくりします。
参道の五百羅漢のような石像がちょっと違う雰囲気を醸し出していました。
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