今日は、足利基氏塁跡をご紹介いたします。
足利基氏塁跡は、陣城と呼ばれる、臨時設営の野戦用砦です。
以前、当ブログでもご紹介した岩殿観音正法寺の近くにあります。
足利基氏塁跡は東松山高坂の、高坂カントリークラブはずれの南斜面に水堀?が残されています。
写真は昭和57~58年の晩秋から冬の頃のものです。
堀は斜面に対して竪に彫り込んだ竪堀です。
足利基氏塁跡の形は、コの字型をしていたようです。
堀はかなり深く掘り込んであり、斜面下は低湿地だったと思われます。
当時は恐らく空堀であったと思われますが、湧水があったのでしょう。
写真の当時は蓮田になっているのがユニークです。
比企丘陵にはこのほかにも、足利基氏塁跡に似た、斜面にコの字型を描く多くの陣城が点在しています。
こうした陣城を地図上に落として行けば、何か見えてくるものがあるかもしれません。
足利基氏塁跡は、陣城と呼ばれる、臨時設営の野戦用砦です。
以前、当ブログでもご紹介した岩殿観音正法寺の近くにあります。
足利基氏塁跡は東松山高坂の、高坂カントリークラブはずれの南斜面に水堀?が残されています。
写真は昭和57~58年の晩秋から冬の頃のものです。
堀は斜面に対して竪に彫り込んだ竪堀です。
足利基氏塁跡の形は、コの字型をしていたようです。
堀はかなり深く掘り込んであり、斜面下は低湿地だったと思われます。
当時は恐らく空堀であったと思われますが、湧水があったのでしょう。
写真の当時は蓮田になっているのがユニークです。
比企丘陵にはこのほかにも、足利基氏塁跡に似た、斜面にコの字型を描く多くの陣城が点在しています。
こうした陣城を地図上に落として行けば、何か見えてくるものがあるかもしれません。
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