暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

平将門伝説と埼玉① 大内沢郷と恒持王 その1 (東秩父村)

2019-08-28 20:06:09 | 城館跡探訪
今日は、「平将門伝説と埼玉」をテーマに、その伝承の残る土地と、

館跡について書いてみたいと思います。

本記事の調査日は2019.07.28です。

東秩父村には、かつて「大内沢郷」と呼ばれた地域がありました。

地域は東秩父村の大内沢(近くには、近年、「桃源郷」として有名になった花桃の郷があります)、

から、登谷山を越えて寄居町の風布、皆野町三沢までを含む広大な山村地帯です。

ここに、平家の祖となった高望王の弟、恒持王が配流されてきたという伝説があります。

大内沢にある大内沢神社(大内神社)は、恒持王を祀ったものだそうです。

下の写真は大内神社です。










さて、突然ですが、わたしは別に平将門ファンではありません。

にも、かかわらずこんな問題に首を突っ込むことになったのは、親戚の子供からこの件について、

調べるように頼まれたからです。

この神楽をやっているとかいう面倒くさいガキは、「おじさん、大内神社って知っている?」の言葉を皮切りに

ねちねちと絡みだし、「恒持王の館跡を調べて、見つけ出してほしいんだけど」といいやがるのです。

もちろん私自身、そんな館の跡の話は聞いたことありません。

さっさとけりをつけようと、とりあえずネット検索をかけましたが、恒持王の館跡なんてありません。

家にもそんな資料はありませんから、仕方なく炎天下を自転車に乗って図書館に行きました。

郷土資料コーナーを見回していると、『武蔵國郡村誌』という面白そうな資料を見つけました。

その中から大内沢村の項を見つけました。

『武蔵國郡村誌』によれば、御堂貝戸、井戸、長者屋敷という地名があり、御堂貝戸、井戸は、

恒持王、あるいは平将門に関係する旧跡であることがわかりました。

この情報を手に、現地に入ることにしました。

ところが、御堂貝戸・・・などと一口に言っても、それほど簡単な話ではありませんでした。

地図で貝戸という地名の場所を探して、その付近だろうと見当をつけましたが、現地に入っても、

折からの高温状態で、地元の方はほとんど外にいません。

また、実際に話伺っても、「御堂貝戸」などという小字を知っている人はいませんでした。

とりあえず、調査過程で立ち寄った寺院です。


正善寺


















高円寺






馬頭観音




お寺のお堂は比較的新しいもののようです。

馬頭観音の碑は、なかなか雰囲気があります。


さて、肝心の「御堂貝戸」ですが、ようやくご存知の方に話を伺うことが出来ました。

「御堂貝戸」(みどうかいと)は、地元では「ミドガイト」と発音します。

場所は下を走る県道沿い、「井戸」という場所も「御堂貝戸」の周囲だということでした。

(つづく)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿