聖天院館は、平安期の武将、長井庄の総鎮守として、斎藤実盛によって創建されたものです。
現在は、本殿が国宝に指定されています。
わたしは父の実家が聖天院にゆかりが深かったせいで、子供のころから、聖天院境内の山で、
遊び暮らしていました。
聖天院館は、この聖天院境内の全体にわたっていると思われます。
今回の調査は、聖天院館の遺構をつぶさに見て回ることなのですが、国宝の整備の過程で、
立ち入りにいくつかの制約が掛かっていること、館の遺構が広大なためにすべてを把握することが
出来なかったため、明らかにできる範囲でお伝えしたいと思います。
調査日は、2018.01.31です。
聖天院館遺構の基本的な位置づけですが、本殿の建物周囲を方形に囲む土塁と水堀が中心になっています。
水堀の一部は、寺院背後を流れる川とつながっていたと思われます。
今回は、本殿裏の土塁と水堀をみたいと思ってやってきましたが、その前に、境内の池と裏山を少し見たいと思います。
上の写真、右側にあるのは土塁です。
本殿脇には、大きな欅の生えた築山状のものが点在しているのですが、それは土塁の残欠です。
本殿裏に行くと立ち入り禁止になっています(笑)。
しかし、ここからでも、充分に土塁の規模がわかります。
高さも1.5mくらいはある高いものです。
外側にはちょろちょろ水の流れている水堀があります。これは、わたしが子供のころ、何度もこの裏山に
入ったことがあるから知っているわけですが、当時はもちろん立ち入り禁止ではありませんでした。
自然保護のためというのがなんとも・・・。
背後の土塁は、南西端の稲荷社裏まで続いています。
以前は、本殿裏に境内社がたくさんあったのですが、現在はどうなっているのやら。
本堂南脇にある、土塁の残欠です。
現在は、本殿が国宝に指定されています。
わたしは父の実家が聖天院にゆかりが深かったせいで、子供のころから、聖天院境内の山で、
遊び暮らしていました。
聖天院館は、この聖天院境内の全体にわたっていると思われます。
今回の調査は、聖天院館の遺構をつぶさに見て回ることなのですが、国宝の整備の過程で、
立ち入りにいくつかの制約が掛かっていること、館の遺構が広大なためにすべてを把握することが
出来なかったため、明らかにできる範囲でお伝えしたいと思います。
調査日は、2018.01.31です。
聖天院館遺構の基本的な位置づけですが、本殿の建物周囲を方形に囲む土塁と水堀が中心になっています。
水堀の一部は、寺院背後を流れる川とつながっていたと思われます。
今回は、本殿裏の土塁と水堀をみたいと思ってやってきましたが、その前に、境内の池と裏山を少し見たいと思います。
上の写真、右側にあるのは土塁です。
本殿脇には、大きな欅の生えた築山状のものが点在しているのですが、それは土塁の残欠です。
本殿裏に行くと立ち入り禁止になっています(笑)。
しかし、ここからでも、充分に土塁の規模がわかります。
高さも1.5mくらいはある高いものです。
外側にはちょろちょろ水の流れている水堀があります。これは、わたしが子供のころ、何度もこの裏山に
入ったことがあるから知っているわけですが、当時はもちろん立ち入り禁止ではありませんでした。
自然保護のためというのがなんとも・・・。
背後の土塁は、南西端の稲荷社裏まで続いています。
以前は、本殿裏に境内社がたくさんあったのですが、現在はどうなっているのやら。
本堂南脇にある、土塁の残欠です。
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