妻沼の斎藤氏といえば、斎藤別当実盛の名前が知られています。
実盛は幼い源義仲の庇護者にして、平安時代末期の名武士です。
実盛の館跡と考えられる場所は、妻沼町弥藤吾地内にありますが、
他にも、斎藤氏の関連史跡・遺物があります。
今日紹介するのは、妻沼街道と402バイパスの間の福川土手沿いにある実盛館跡です。
ここは実際に、実盛が住んだとは考えられておらず、その子孫の館跡だと考えられています。
現在の福川は改修によって生まれた新しい川筋です。
その川筋に削られる形で、土手から三角形に突き出しているのがそのまま遺構のようで、
周囲と比較すると断崖の様な高台になっています。
館跡はブロックで補強され、中には斎藤家に関連した板碑が建立されています。
写真は、1982年(昭和57年)頃のものだと思いますが、なぜか、写真の空白部分には1985-百年プリント-と書かれています。
明らかに中学3年の時に現像した写真にも、同じように書かれているので、そういうプリントサービス名だったのかな?
実盛は幼い源義仲の庇護者にして、平安時代末期の名武士です。
実盛の館跡と考えられる場所は、妻沼町弥藤吾地内にありますが、
他にも、斎藤氏の関連史跡・遺物があります。
今日紹介するのは、妻沼街道と402バイパスの間の福川土手沿いにある実盛館跡です。
ここは実際に、実盛が住んだとは考えられておらず、その子孫の館跡だと考えられています。
現在の福川は改修によって生まれた新しい川筋です。
その川筋に削られる形で、土手から三角形に突き出しているのがそのまま遺構のようで、
周囲と比較すると断崖の様な高台になっています。
館跡はブロックで補強され、中には斎藤家に関連した板碑が建立されています。
写真は、1982年(昭和57年)頃のものだと思いますが、なぜか、写真の空白部分には1985-百年プリント-と書かれています。
明らかに中学3年の時に現像した写真にも、同じように書かれているので、そういうプリントサービス名だったのかな?
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