熊谷市から松山県道を走って、旧大里村と東松山の東平で大谷方面に右折します。
すこし直進すると左側の丘の斜面に大谷瓦窯跡があり、右側にはゴルフ場が見えます。
鎌倉時代、源頼家の後ろ盾となり、北条氏に討たれた名族、比企氏の館跡はここにあります。
私が比企氏の館跡を訪ねたのは、昭和58年末頃だったと思います。
周辺にお住まいの方に話を聞いたところ、子供時代には、館跡でよく遊んだ、井戸跡や土塁、堀跡が残っていたと、
教えられました。
この写真は近くの水田で仕事をしていた男性にナビゲートされて撮影したもので、写真中央左寄り、
池向うの奥の小高い丘の松林の中にあるということでした。
ゴルフ場自体は地下の遺構を壊すことがないため、そのままゴルフ場が作られたわけです。
「中に行けば、まだお堀だの井戸だのが残っているかもしれないけど、どうなっているがなあ」
この周辺は、木枯し紋次郎の舞台の一つとなった土地でもあり、近くには雷電神社のような古社、
古墳が数多く残っております。
鎌倉の名族、比企氏の館跡を遠く眺める事しかできないのは残念なことです。
すこし直進すると左側の丘の斜面に大谷瓦窯跡があり、右側にはゴルフ場が見えます。
鎌倉時代、源頼家の後ろ盾となり、北条氏に討たれた名族、比企氏の館跡はここにあります。
私が比企氏の館跡を訪ねたのは、昭和58年末頃だったと思います。
周辺にお住まいの方に話を聞いたところ、子供時代には、館跡でよく遊んだ、井戸跡や土塁、堀跡が残っていたと、
教えられました。
この写真は近くの水田で仕事をしていた男性にナビゲートされて撮影したもので、写真中央左寄り、
池向うの奥の小高い丘の松林の中にあるということでした。
ゴルフ場自体は地下の遺構を壊すことがないため、そのままゴルフ場が作られたわけです。
「中に行けば、まだお堀だの井戸だのが残っているかもしれないけど、どうなっているがなあ」
この周辺は、木枯し紋次郎の舞台の一つとなった土地でもあり、近くには雷電神社のような古社、
古墳が数多く残っております。
鎌倉の名族、比企氏の館跡を遠く眺める事しかできないのは残念なことです。
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