今回は、旧江南町野原にある文珠寺にある増田館について書きたいと思います。
調査日時は、2018.02.09です。
増田館は増田四郎重富の館跡で、「受験の神様」として有名な「野原の文殊様」(のっぱらのもんじゅさま)の
境内にあります。
館跡はほぼ正方形で、長大な土塁と空堀に囲まれています。
館跡内部は、空堀によっていくつかに区切られていたようですが、現在は、かなり埋まっていて、
遊歩道を歩いている限り、ちょっとわかりにくい状況です。
増田館自体は、1985年前後に何度か訪れているので、当時の境内内を分割する空堀を見ていますが、
今回の調査では上記のような制約もあり確認できませんでした。
そこで、今回は、主に外周を囲む、土塁、空堀の状況、そして、これ等に付随する注目すべき
遺構の存在を確認するという方針で臨みました。
文珠寺は山門のある東側と、南側に大きな駐車場があります。わたしは、南側の駐車場を利用しました。
お参りシーズンを過ぎていたので、参拝客はほとんどいませんでした。
まず、境内裏西側に回り込むと、すぐに土塁と空堀が現れました。
土塁は西側および北側が最もよく残っていますが、とくに、西側土塁の南端付近が最も高くしっかりしています。
これが北に向かうにつれて、大分、形が崩れてしまいます。
堀の底は、一面、笹に覆われて、写真ではわかりにくいですが、かなり深いものです。
境内西側にも新たに駐車場が作られていました。受験シーズンにはにぎわうのですね。
この辺りで北側に回り込みます。
文珠寺の隣には、立正大学の熊谷キャンパスがあります。
北側の空堀はかなり幅が広かったようですが、埋没状況も激しいようです。
堀の底に立ってみます。
熊谷キャンパス裏の駐車場出口付近に、土橋遺構がありました。
上の写真では、確認しづらいので、もう少し寄ります。
下の写真でわかるように、ここは外周の空堀と、郭内部を分割する空堀の合流点なのですね。
そして、左側に外周の遺構を渡す土橋があるのがわかります。
さらに、郭を分割する空堀を渡る土橋遺構が右奥に確認できます。
この辺りが、増田館の見所の一つと言えるでしょう。
調査日時は、2018.02.09です。
増田館は増田四郎重富の館跡で、「受験の神様」として有名な「野原の文殊様」(のっぱらのもんじゅさま)の
境内にあります。
館跡はほぼ正方形で、長大な土塁と空堀に囲まれています。
館跡内部は、空堀によっていくつかに区切られていたようですが、現在は、かなり埋まっていて、
遊歩道を歩いている限り、ちょっとわかりにくい状況です。
増田館自体は、1985年前後に何度か訪れているので、当時の境内内を分割する空堀を見ていますが、
今回の調査では上記のような制約もあり確認できませんでした。
そこで、今回は、主に外周を囲む、土塁、空堀の状況、そして、これ等に付随する注目すべき
遺構の存在を確認するという方針で臨みました。
文珠寺は山門のある東側と、南側に大きな駐車場があります。わたしは、南側の駐車場を利用しました。
お参りシーズンを過ぎていたので、参拝客はほとんどいませんでした。
まず、境内裏西側に回り込むと、すぐに土塁と空堀が現れました。
土塁は西側および北側が最もよく残っていますが、とくに、西側土塁の南端付近が最も高くしっかりしています。
これが北に向かうにつれて、大分、形が崩れてしまいます。
堀の底は、一面、笹に覆われて、写真ではわかりにくいですが、かなり深いものです。
境内西側にも新たに駐車場が作られていました。受験シーズンにはにぎわうのですね。
この辺りで北側に回り込みます。
文珠寺の隣には、立正大学の熊谷キャンパスがあります。
北側の空堀はかなり幅が広かったようですが、埋没状況も激しいようです。
堀の底に立ってみます。
熊谷キャンパス裏の駐車場出口付近に、土橋遺構がありました。
上の写真では、確認しづらいので、もう少し寄ります。
下の写真でわかるように、ここは外周の空堀と、郭内部を分割する空堀の合流点なのですね。
そして、左側に外周の遺構を渡す土橋があるのがわかります。
さらに、郭を分割する空堀を渡る土橋遺構が右奥に確認できます。
この辺りが、増田館の見所の一つと言えるでしょう。
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