暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

鬼鎮神社

2019-04-11 23:31:14 | 神社仏閣・その他
2019年02月02日に鬼鎮神社にお参りに行きました。

鬼を祀るかわった神社です。

豆まき神事が有名ですが、豆まきの直前に行ったのは混雑を意識したわけではなく偶然です。

創建は1182年で、菅谷館の鬼門除けとして祀られたということなのですが、

川越城の鬼門除けとも、松山城の鬼門除けという説も聞きました。


鬼門って、どっちの方角なんだ?

というか、鬼門とは北東のことですよね。裏鬼門というのもありますが、これは南西です。

すると菅谷館にとっては、北東になります。川越城にとっても北東なのか・・・。

松山城にとっては南西といえば南西ですね。

さて、実は私、鬼神神社に行くのは3度目。

いずれも水房館に行く途中に立ち寄りました。

昭和50年代末から60年代のことですから、当時はまだ周囲が舗装されていなくて、

土に玉砂利が踏み固められた道でした。

人気もなく、名前に比してその閑散さに驚いた記憶があります。

しかし、最近はお寺・神社ブーム。きっと何か変わっていると当て込んで久しぶりに訪ねたのです。



あ・・・あれ?



先客のご夫婦がいらっしゃって、写真を撮影していましたが、何か困惑しているご様子。

つうか、高校時代と変わってないじゃん・・・・。



どうやらご夫婦は御朱印が欲しかったようです。

私も、最近になって城関係の自社で御朱印をいただくようになってしまいましたが・・・。

まあ、正直、収集癖が強すぎるので絶対に手を出すまいと思っていたんですよ。ですがぁ!


「あの、こちらの神社は御朱印はやってらっしゃらないのよ」と声を掛けられて、

思わず苦笑いです。



鬼神の奉納額があります。



金棒が奉納されています。




なんでも、地域の神社というのは人材難、財政難などの課題が多く、どんな有名な神社でも

地元有志が多く集まらなければ維持存続が難しいのだそうです。

鬼鎮神社も大変なのですね。まして御朱印は手間のかかる揮毫を精神を集中させて書かなければならないわけで、

書き手志願者も多くはないでしょう。

いろいろ考えさせられる参拝でした。

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