さて、飾磨の古い町並みですが、古代、飾磨津と呼ばれており、小さな港に過ぎなかったそうですが、
姫路城に池田港が入場すると、姫路城下と飾磨津の間を結ぶ運河を開削したため、飾磨津は発展したそうです。
現在の古い町並は、生野銀山に向う飾磨街道と網干街道が交差した飾磨区宮、飾磨区天神一帯に展開しています。
写真には写しておりませんが、緑地帯も多い地域です。
地元の方(友人)のお話では、須永堆積して浅くなった運河や海浜の浅瀬を埋め立て緑地帯としているそうです。
街角には、古い道しるべの石柱のほかに、味のあるいい感じの地蔵尊が祀られています。
立江地蔵尊という名前だそうです。四国霊場第十九番札所立江寺の「写し霊場」と呼ばれるもので、
神社でいうところの分祀に相当する様です。
よく見ると、小さいながら鰐口が下がっています。
お地蔵さまにもう少し近づきます。中もきれいに掃除されていて、地元の人たちが大切にしているのがわかります。
四国霊場らしく「弘法大師」の奉納提灯があります。
鰐口も撮影しました。
奉納提灯の数々・・・。なんだか懐かしい気持ちになります。
実家の方にも地蔵さまはありますが、田舎道にあるせいか雰囲気が違います。集落の御祭りには飾りをつけられていますが、
町場の地蔵尊はにぎやかです。
格子が綺麗です。
道標があります。左の字以外はすっかりすり減っています。
運河には大きなアオサギがいて、魚を取っていました。
初めに見た運河伝いに駅に帰ります。
今回は、夏行ったので曇りとはいえ蒸し暑くて難儀でした。
何の知識も無いまま飛び込みで見て回ったものですから、いろいろ気が付かない部分が多かったのは少し後悔しています。
また、訪ねる機会があったら、もう少し丹念に見て歩きたいです。
姫路城に池田港が入場すると、姫路城下と飾磨津の間を結ぶ運河を開削したため、飾磨津は発展したそうです。
現在の古い町並は、生野銀山に向う飾磨街道と網干街道が交差した飾磨区宮、飾磨区天神一帯に展開しています。
写真には写しておりませんが、緑地帯も多い地域です。
地元の方(友人)のお話では、須永堆積して浅くなった運河や海浜の浅瀬を埋め立て緑地帯としているそうです。
街角には、古い道しるべの石柱のほかに、味のあるいい感じの地蔵尊が祀られています。
立江地蔵尊という名前だそうです。四国霊場第十九番札所立江寺の「写し霊場」と呼ばれるもので、
神社でいうところの分祀に相当する様です。
よく見ると、小さいながら鰐口が下がっています。
お地蔵さまにもう少し近づきます。中もきれいに掃除されていて、地元の人たちが大切にしているのがわかります。
四国霊場らしく「弘法大師」の奉納提灯があります。
鰐口も撮影しました。
奉納提灯の数々・・・。なんだか懐かしい気持ちになります。
実家の方にも地蔵さまはありますが、田舎道にあるせいか雰囲気が違います。集落の御祭りには飾りをつけられていますが、
町場の地蔵尊はにぎやかです。
格子が綺麗です。
道標があります。左の字以外はすっかりすり減っています。
運河には大きなアオサギがいて、魚を取っていました。
初めに見た運河伝いに駅に帰ります。
今回は、夏行ったので曇りとはいえ蒸し暑くて難儀でした。
何の知識も無いまま飛び込みで見て回ったものですから、いろいろ気が付かない部分が多かったのは少し後悔しています。
また、訪ねる機会があったら、もう少し丹念に見て歩きたいです。
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