本日は、埼玉県外の番外編ということで、千葉県市川市の真間山弘法寺を紹介いたします。
市川市と真間山弘法寺は、行きたい場所の一つでした。
幾つか理由がありますが、一つは小学校時代に見た時代劇のロケ地として、
真間山弘法寺が使われていたことです。
この時代劇では、菅貫太郎さんが、「心形流」(心形刀流ではない)の裏太刀十三番「左逆手」の
を使う、浪人の役を演じていました。
また、市川氏は永井荷風先生隠棲の地であり、散策のため弘法寺によく通っていたことも、
行きたかった理由の一つです。
弘法寺のある国府台は下総の国衙があった場所であり、中世下総の政治的要衝でした。
また、弘法寺は千葉氏の防衛拠点の一つで、千葉介常胤の館跡であったと言われています。
長い参道は静かで趣きがありますが、ここではいきなり弘法寺に入ります。
境内入り口は急な石段になっています。
弘法寺の本堂は建て替えられ、新築の公民館のようになっています。
見どころはやはり山門だと思います。
ここで杉良太郎さんと菅貫太郎さんが立ち回りを演じていました。
この角度に見覚えのある方はいらっしゃるでしょうか(笑)
上の写真お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、山門右側奧に櫓台があるのがわかります。
現在は、鐘楼がありますが、この櫓台は平安から鎌倉期の館というよりも、
室町以降の城郭のように思われます。弘法寺そのものが一種の武装寺院だったのでしょうか?
山門の楼閣は渋い朱の色で、好ましく見えます。
市川市と真間山弘法寺は、行きたい場所の一つでした。
幾つか理由がありますが、一つは小学校時代に見た時代劇のロケ地として、
真間山弘法寺が使われていたことです。
この時代劇では、菅貫太郎さんが、「心形流」(心形刀流ではない)の裏太刀十三番「左逆手」の
を使う、浪人の役を演じていました。
また、市川氏は永井荷風先生隠棲の地であり、散策のため弘法寺によく通っていたことも、
行きたかった理由の一つです。
弘法寺のある国府台は下総の国衙があった場所であり、中世下総の政治的要衝でした。
また、弘法寺は千葉氏の防衛拠点の一つで、千葉介常胤の館跡であったと言われています。
長い参道は静かで趣きがありますが、ここではいきなり弘法寺に入ります。
境内入り口は急な石段になっています。
弘法寺の本堂は建て替えられ、新築の公民館のようになっています。
見どころはやはり山門だと思います。
ここで杉良太郎さんと菅貫太郎さんが立ち回りを演じていました。
この角度に見覚えのある方はいらっしゃるでしょうか(笑)
上の写真お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、山門右側奧に櫓台があるのがわかります。
現在は、鐘楼がありますが、この櫓台は平安から鎌倉期の館というよりも、
室町以降の城郭のように思われます。弘法寺そのものが一種の武装寺院だったのでしょうか?
山門の楼閣は渋い朱の色で、好ましく見えます。
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