ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

人生の“主人公”になる二つの条件ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年12月15日 08時29分52秒 | owarai
【コラム:】
あるベテラン脚本家の話。
「ドラマの主人公には共通する
二つの条件があります。
一つは、ドラマは揉め事から成り
立っているので、トラブルを解決
する能力のない者は主人公になれ
ない」

実社会でも同じだと思います。
人間関係や仕事でも、うまくいっ
ている間は能力や人間性はあまり
関係がありませんが、

トラブルや失敗したときにどう
対応し解決していくかで、その
人の本性が試されます。逃げず
に、問題に真正面から取り組む
ことです。

もう一つの条件は、「ドラマの
主人公は、個性を生かしている
からこそ魅力的に見える。

だから独自の人生観を持っていな
いと、ドラマの主人公にはなれ
ない」

これも、実社会と全く同じです。
これからは差別化の時代ですから、
自分しかできない能力、自分が
生まれてきた役割は何かを見極め、

それを磨いていかなければ生きて
いけません。

筋書のない、しかも撮り直しの
きかない人生のドラマを、どう
演じるか真剣に考えてみたこと
がありますか?

ハッピーエンド人生のシナリオ
づくりを今こそやってみては如何
でしょうか。

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』


*アーカイブス「母がのこした”ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年12月15日 05時09分23秒 | owarai
【コラム:】
*アーカイブス
「母がのこした”壮絶な愛”」
以前、書いたものです、

私は幼い頃、母と別れたのですが、
作家の西村滋さんは、母の恩に
ついてこう語っている。

「優しかった母が結核に罹って
隔離された。大人たちは近寄ら
ないようにと言うが、幼時のこ
とで母恋しさに近寄ると、

母は私を見るなりに罵声を浴び
せ、コップやお盆などを手当り
次第にぶつけてくる。

顔は青く、髪を振り乱して荒れ
狂う姿は、鬼としか思えず、次第
に母を憎悪するようになった。

いつか、ぐれて少年院にいた。
そのときに、昔の家政婦さんが
来て告げた。

『私はもっとあの子に憎まれたい。
私はあと一年か二年の命です。
あの子は幼くして母を失うのです。

幼い子が母と別れて悲しがるのは
優しく愛された記憶があるからで、
憎らしい母親なら死んでも悲しま
ないでしょう。

夫もまだ若いから、新しいお母さん
が来るでしょう。

その方に可愛がってもらうためにも、
死んだ母親なんか憎ませておくほ
うが、あの子のためです』と。

それを聞いて、私は立ち直ることが
できた」
なんと壮絶な母の愛ではありませ
んか。

お金とか土地とか家などは、残して
かえってためになりません。

自分のつらさを隠して無償の慈しみと
愛の強さを、心から痛感しました。
野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』


“心の身じたく”はできているかブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年12月15日 05時09分06秒 | owarai
【コラム:】
四十六歳になる婦人が乳がんと
診断され、しかも手遅れで、あ
と数か月の命と宣告された。

婦人は、父親の故郷である山口
に旅し、旅から戻ると、大学生
と中学生の二人の息子に向けて

自分の生い立ちや生き方などを
書き綴った。そして、母親がい
なくなっても困らないようにと、
息子たちに料理を教えた。

「交通事故で突然死ぬことを考え
れば、むしろありがたい、やるべ
きことはすませられるだから」と、

気丈に自宅で闘病生活を送った。
最期の一か月は、美しい母親と
しての思い出を残したいから
日々衰える姿を見せたくないと、

息子たちの病室への入室を禁止
した。

やがて婦人は亡くなり、地元紙
の広告欄には、訃報とともに

「この度、私は病気により急ぎ
旅立つことになりました。・・・
皆様に、心からお礼を申し上げ
お別れをしたいと思います」
という自筆のお別れの言葉が
掲載された。

誰にも死は訪れます。取り乱して
いたずらに時を過ごすのではなく、
死をきちっと見据え、

自分はこれだけのことをしたと胸
を張れるように、今をしっかりと
生きたいものです。

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』