【コラム:】
落語家のなりそこないの私は
今でも落語があきらめきれず、
夢で高座に上がっている。
亡き、志ん生さんは無類の納
豆好き。昔、納豆売りに失敗
したとき、やんなるほど
食べただろうに。
志ん生さんが演る『替り目』
の噺ん中にも、出てくるんで
す、納豆が。
『替り目』というのは、―――
飲んだくれた亭主がいつもの
ように酔っ払って帰ってきて、
まだお酒を飲むと駄々をこね
る。
だけど、肴がないってんで、おか
みさんにおでんを買いにいかせる
です。その後、今までさんざん威
張ってた亭主が、独り言で
「ウチの女房ほどいい女はいな
い。苦労させてすまねぇと思って
るんだ」って、日頃言えない本音
を吐くんです。
ところが、おかみさんはまだ出掛け
てなくて、後に立っていた―――
って、いうような人情噺で、志ん生
さんの十八番(おはこ)の一つ。
倒れた後に初めて上がった高座でも
演った。
この『替り目』ん中に、夫婦の
こんなやりとりがあるんです。
「今朝、食べた納豆の残りが十三
ばかりあったろう、あれ、出して
くれ」
「ああ、それ食べちゃった」
「おなえは何でも食べちゃうな」
これなんかも、志ん生師匠が納豆
好きから出てきた台詞だと思うん
です。
ここのお嬢さんがエライ、弟が生まれて
忙しくなったからと麻布の貯金局を
辞めてしまった。
弟の志ん朝さんを、このお姉さんの
美津子さんが面倒を見た。
だが、志ん朝師匠に、大人になって
からも感謝されたことはなかったと
いう。
志ん生師匠とお母さまのりんさんが
亡くなった後、お姉さんの美津子さ
んが一人っきりになったときから、
志ん朝師匠は、黙って仕送りを美津子
さんにしていた。お正月にはお年玉
をあげたり。
志ん朝師匠が家を建て替えたとき、
わざわざ美津子さんの部屋を造って
いた。それが志ん朝さんの
「姉ちゃん、ありがとね」って、
言葉の代わりだったんですね。
お後がよろしいようで・・・。
※五代目、三遊亭圓楽が
倒れて後、復帰演目は「芝浜」。
近代落語の傑作。
野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220
『創業120年』
落語家のなりそこないの私は
今でも落語があきらめきれず、
夢で高座に上がっている。
亡き、志ん生さんは無類の納
豆好き。昔、納豆売りに失敗
したとき、やんなるほど
食べただろうに。
志ん生さんが演る『替り目』
の噺ん中にも、出てくるんで
す、納豆が。
『替り目』というのは、―――
飲んだくれた亭主がいつもの
ように酔っ払って帰ってきて、
まだお酒を飲むと駄々をこね
る。
だけど、肴がないってんで、おか
みさんにおでんを買いにいかせる
です。その後、今までさんざん威
張ってた亭主が、独り言で
「ウチの女房ほどいい女はいな
い。苦労させてすまねぇと思って
るんだ」って、日頃言えない本音
を吐くんです。
ところが、おかみさんはまだ出掛け
てなくて、後に立っていた―――
って、いうような人情噺で、志ん生
さんの十八番(おはこ)の一つ。
倒れた後に初めて上がった高座でも
演った。
この『替り目』ん中に、夫婦の
こんなやりとりがあるんです。
「今朝、食べた納豆の残りが十三
ばかりあったろう、あれ、出して
くれ」
「ああ、それ食べちゃった」
「おなえは何でも食べちゃうな」
これなんかも、志ん生師匠が納豆
好きから出てきた台詞だと思うん
です。
ここのお嬢さんがエライ、弟が生まれて
忙しくなったからと麻布の貯金局を
辞めてしまった。
弟の志ん朝さんを、このお姉さんの
美津子さんが面倒を見た。
だが、志ん朝師匠に、大人になって
からも感謝されたことはなかったと
いう。
志ん生師匠とお母さまのりんさんが
亡くなった後、お姉さんの美津子さ
んが一人っきりになったときから、
志ん朝師匠は、黙って仕送りを美津子
さんにしていた。お正月にはお年玉
をあげたり。
志ん朝師匠が家を建て替えたとき、
わざわざ美津子さんの部屋を造って
いた。それが志ん朝さんの
「姉ちゃん、ありがとね」って、
言葉の代わりだったんですね。
お後がよろしいようで・・・。
※五代目、三遊亭圓楽が
倒れて後、復帰演目は「芝浜」。
近代落語の傑作。
野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220
『創業120年』