ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

【替り目】/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年12月22日 09時26分35秒 | owarai
【コラム:】
落語家のなりそこないの私は
今でも落語があきらめきれず、
夢で高座に上がっている。

亡き、志ん生さんは無類の納
豆好き。昔、納豆売りに失敗
したとき、やんなるほど
食べただろうに。

志ん生さんが演る『替り目』
の噺ん中にも、出てくるんで
す、納豆が。

『替り目』というのは、―――
飲んだくれた亭主がいつもの
ように酔っ払って帰ってきて、
まだお酒を飲むと駄々をこね
る。

だけど、肴がないってんで、おか
みさんにおでんを買いにいかせる
です。その後、今までさんざん威
張ってた亭主が、独り言で

「ウチの女房ほどいい女はいな
い。苦労させてすまねぇと思って
るんだ」って、日頃言えない本音
を吐くんです。

ところが、おかみさんはまだ出掛け
てなくて、後に立っていた―――
って、いうような人情噺で、志ん生
さんの十八番(おはこ)の一つ。

倒れた後に初めて上がった高座でも
演った。

この『替り目』ん中に、夫婦の
こんなやりとりがあるんです。

「今朝、食べた納豆の残りが十三
ばかりあったろう、あれ、出して
くれ」

「ああ、それ食べちゃった」
「おなえは何でも食べちゃうな」
これなんかも、志ん生師匠が納豆
好きから出てきた台詞だと思うん
です。

ここのお嬢さんがエライ、弟が生まれて
忙しくなったからと麻布の貯金局を
辞めてしまった。

弟の志ん朝さんを、このお姉さんの
美津子さんが面倒を見た。

だが、志ん朝師匠に、大人になって
からも感謝されたことはなかったと
いう。

志ん生師匠とお母さまのりんさんが
亡くなった後、お姉さんの美津子さ
んが一人っきりになったときから、

志ん朝師匠は、黙って仕送りを美津子
さんにしていた。お正月にはお年玉
をあげたり。

志ん朝師匠が家を建て替えたとき、
わざわざ美津子さんの部屋を造って
いた。それが志ん朝さんの
「姉ちゃん、ありがとね」って、
言葉の代わりだったんですね。

お後がよろしいようで・・・。

※五代目、三遊亭圓楽が
倒れて後、復帰演目は「芝浜」。
近代落語の傑作。
野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』




「年惜しむ」/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年12月22日 05時35分16秒 | owarai
【コラム:】
「行き合った人 行き過ぎた人
喧嘩した人 握手した人

今年もまた たくさんの贈り
物を授かった

出会ったすべての人たちに
ありがとう」

『今年もあとわずかな日々』
十二月も残すところわずかと
なると、その一年が終わって
しまうことが急におしくなり
ます。

今年もいろいろあったなあと
と、行く年を振り返り、しん
みりとした気持ちになってし
まいます。

この気持、何かに似ていませ
んか。古い服を捨てるときの
気持に似ているかもしれませ
ん。

もう絶対に着ないことが
わかっているのに、いざ捨てる
となると何だか名残惜しくなっ
てしまう。

フランスの高校生は、母親や
お婆様から例えば、ツイードの
コートを譲り受け可愛いボタン
につけ変え着ます。

渋谷や吉祥寺にボタン専門店が
あるのはそのせいです。

欧米人は、下着にお金を出し
洋服は、着心地を含め慎重に
選びます。

話しはそれましたが、
きっぱりと古い服を捨てられ
ないように、行く年を潔く振
り捨てていくのは、

いろんな意味でなかなかむず
かしいことのようです。

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』