「俺の心は、一人の女性でいっぱい
になるほど狭くはないんだ。何人に
愛を分け与えようと、君への愛が減
るわけじゃない」— 「言ひきりし」
という表現には、なかば開き直った
ような男の態度だ。
実在するのだこういう男が、だから
世の中に男が余る。状況からすれば、
女は相手を憎んでもおかしくなかっ
た。が、彼女は憎まなかった。いや、
憎めなかった。「憎まざりき」では
なく「憎み得ざりき」であるところ
が、この歌の深いせつなさだ。
憎んでも当然だ、憎むことができれ
ばむしろ楽になる、そう思っても、
そうできないのが、恋の辛いところ。
それどころか、競争から脱落しない
ように、いっそひたむきになって
しまったりする。
いわゆる「推し活(おしかつ)」だ。
恋に恋する女は、自分にはこう言い
聞かせていた。「つまらない男を独占
するよりも、素敵な人を共有していた
ほうがいいよね」と。クリスマスプレ
ゼントをいくつも持って、女の家を
はしごするような彼のために、いそ
いそと高校生なのに?シャンパンなど
用意していた。
光源氏を待つ女たちの気持ちとは、
こういうものかしら、なんて思い
ながら。考えてみるとこれは「憎み
得ざりき」よりも重症かもしれない。
こういうタイプの男の、ずるい
というか、うまいところは、愛を
分かつ相手が幾人もいることを、
決して隠そうとしないところである。
「俺は、こういう男が。そういう
男に惚れるかどうかは、おまえが
決めることだ」と言われてしまう
と、他の女性のことも、相手のこと
も、責められない。好きになった
自分をあきらめるか、この恋をあき
らめるか、他に道はない。
「彼の時の」には、時の流れの
重みを感じ、ようやく自分の心の
動きを、冷静に見つめることがで
きるようになったという感慨が、
背景にある。それから、これは
過去の恋であるということを、
強調したい気持ちが込められて
いる。
が、振り返って見ると、女にと
っては、それでも、「彼の時」に
は、シャンパンを飲む一時間が
輝いていた。
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