かわい美容院 閉店伝説の私の叔母さんは、昭和47年から創業した、かわい美容院を、今年四月をもって閉店した。思えば私が幼稚園のころから、この店にたびたび訪れては、叔母さんにお小遣いなんか貰ったり、小学......
現在94才 フヨおばさん。
フヨは私が、4歳の時から、昨年まで、美容師として、盛岡で美容院を営んでいた。入籍したことはなく、おつきあいしていたお相手の方は、すでに亡くなり、身一つで、実家の私の両親のもとで、生活しはじめました。それが昨年のこと。
実家の草取りを一所懸命にやっています。
そろばんは小学生の時、学校で賞をもらったようで、今でも得意です。耳は遠いのと、腰がまがっていますから、お年寄りにはちがいありませんが、私より断然記憶力はよいし、私より断然しっかりしています。
私が小学生にあがるとき、中学に上がるとき、高校、就職、すべて、このおばさんに、準備資金を出してもらい、やっと社会人になりました。そして私が結婚し、4人の子をもうけましたが、この子らも一度も欠かさず、このおばさんから、お年玉、お盆のこづかいを、もらいました。
おばさんの美容院に私が行くとき、私の子どもが行くとき、絶対にお金をくれます。いらないといってもくれるんです。こころから、お金をあげたがるんです。500円か千円程度ですがくれるんです。根負けして私や子供らはありがたくもらいます。自分の作った野菜が育つたび、呼ばれるので、野菜をもらうのです。
フヨの母親はとても働き者で、そして謙虚で、無欲で、堅実でした。宮沢賢治の雨にも負けず、そのままの人間でした。明治生まれの実直な人間でした。
悪口一つ言わず、愚痴一つ言わず、歩けなくなって寝たきりになったのは、なくなる1週間前か、2週間ほど前でした。
最後は老衰ということでねむるようにしてなくなりました。
わたしは祖母を尊敬していました。そして深く愛していました。その長女、フヨにも同じく感じています。
フヨも、フヨの母親も、一切贅沢はしませんでした。そんな時代であったのを、受け止めて、自分へではなく、自分の血縁のだれかれのために、一所懸命に自分が働いた分のお金を、人に与えてきました。見返りは一切求めずです。
あっぱれ、あっぱれです。私は足元にも及ばす。及ばず
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