↑担架に固定されている母
(この記事は、3月11日投稿の「父が新型コロナの濃厚接触者になりました」の続編です)
3月6日、母は、新型コロナの濃厚接触者となった父(=感染はしていなかった)に近づかないようにと、僕たちからは見えないところで、家の裏の柚子の木から落ちた柚子を拾おうとしていました。
母は、元々「もったいない教」の信者だったのですが、昨年の暮れにはその信仰が柚子に向かい、柚子の木から落ちた柚子も拾って食べるようになりました(前年までは、落ちた柚子は放っておいて土に還らせていたのですが)。僕は、母が落ちた柚子を食べている様子を見て、「ようやるわ」と冷めた目で見ていたのですが、実は1週間ほど前、そんな柚子を食べてみました。すると、落ちた柚子もまだ食べられるのです! 酸味が弱くなっていて、ほのかに甘みも感じられました。
この日は、ときどき強い風が吹いたので、家の裏の柚子の木から、柚子が揺れ落ちていました。しかし、僕がそれを先に拾っていたのです(母さんごめん)。最近視野が狭くなってきている母は、柚子の木の近くでは落ちた柚子を見つけることができず、手押し車を押しながら、柚子を探して山の方に入っていったそうです。古い山道を登って行くと、手押し車は押しにくくなり、途中からは手押し車を引っぱって登ったそうです(根性のある人!)。近ごろ脚が弱ってきている母は、引っぱるのがきつくなりました。でも、ここまで来たんだから、上の砂防ダム(10年ほど前に設置されたものです)を見ておこうという気になったみたいで、手押し車をそこに置いて、登って行ったそうです。砂防ダムに近づくと更に勾配がきつくなりましたが、母は後ろ向きになってお尻を地面につけ、足のかかとで地面を押しながら、少~しずつ登って行ったそうです。砂防ダムに着いてみると、期待に反して、水は全く溜まっていませんでした。ダムの中央に進み出すと、急に下り坂になり、そこに落ちて、腰を打ち、痛くて痛くてほとんど動けなくなったそうです。そこで、「おーい」「おーい」と大きな声で助けを呼んでいました。辺りは最初明るかったのですが、夕方から夜になり、暗くなっていきました。
僕は、夕飯にご飯と人参グラッセと残り物のおかずなどを用意して、まず父の部屋に運んで食べてもらいました。それが午後6時半ごろでした。次に母の部屋に運んだのですが、母は部屋に戻っていませんでした。これまでは父も母もそろってから食べ始めていましたが、濃厚接触問題で別々の部屋で食べるようになりました。たまに母は、やりかけた片づけ事などを済ませて少し遅れて戻って食べ始めることもありました。この日は、母の様子がつかめなかったのですが、そのうち帰って来ると思い、僕も夕ご飯を食べました。その後、7時半ごろになると心配になり、家の中や周辺などを探して回りました。柚子の木の辺りとか、たまに行くことのある場所など思いつくところを何度か回り、もう探すところがなくなりました。
午後9時ごろ、近所のKさんに相談の電話をすると、すぐにご夫婦で来てくれ、「早う言ってよ」と言いながらいっしょに探してくれ、その後、組内の6軒がすべて出てくれ、いっしょに探してくれました。僕は、我が家にいる妻に電話で状況を報告する中で、以前に母が裏山にウドを取りに行ったことがあることを知り、裏山を少し登ってみました。すると、母の手押し車を発見! 僕はその周辺を探し始めました。若手のFさんも裏山に来てくれ、FさんとKさんは森のようになっている山道を登って行きました。後で聴くと、若手のFさんには「おーい、おーい」という声が聞こえたそうです。20~30分後、「見つけたぞー」という声がして、母が発見されたことがわかりました。午後10時前でした。
←発見された母(腰が痛くて動けない状態)
応援に駆けつけてくれた町内会長さんが消防署に電話してくれていて、発見されて間もなく救急車が着いて、救急隊員さんが登ってきてくれました。隊員さんたちは、母を板状の担架に載せて4角を持ち、他の隊員さんは草などをかき分けながら、途中で2回休憩して、救急車が待つ道まで母を下ろしてくれました。そして、家族である僕が救急車に同乗して出発。隊員さんが最初に連絡を取った地元の病院からは、受け入れができないと言われ、次に連絡を取った国立医療センターで受け入れができると言われてその病院に向かいました。12時前に病院に着いて、僕はそこで妻と合流。母はそこでCTを撮ってもらい、当直のドクターの受診があり、骨折は無いようだが、明日専門医が診て連絡すると言われました。母を自家用車に乗せて、いったん自宅に寄り、田舎の家に着いたのは翌日の明け方に近いころでした。
翌日(7日)、病院の専門医さんから電話があり、微量の内出血があるが骨折はないと言われましたが、母は歩けない状態でした。
その後、母は介護施設でショートステイを利用しながら、回復を待つことになりました。
(最近は、時間のゆとりがないのと、自分の文章作成能力が衰退してきたのとで、でき事とブログ掲載がずれてしまいました)