クズラのブログ

日頃の農作業や社会活動、そして両親の介護などを綴ります(22年1月記)

キウイジュース濃縮液できました

2025-01-09 | その他
 田舎では畑の端にキウイを植えています。畑の肥料分が多すぎるのかどうかよくわかりませんが、そのキウイは甘みが少なく酸味が多い実が生るので、砂糖などで甘みを加えないと食べにくいのです。

 昨年キウイを収穫してかごに入れたままにしていたので、実は軟らかくなりかけていたのですが、皮は乾燥して硬くなっていました。

 妻との協議が成立し、僕が硬い皮を剥き、妻が果実をつぶすことになりました。ところが果実も硬くなっていたので、ジューサーにかけてつぶし、それを鍋で砂糖といっしょに煮ました。今回は小瓶10個ほどできましたが、水分が多くて、ジャムというよりも、水やお茶で薄めてジュースとして飲めるようなものになりました。キウイソースとして料理の仕上げにも使えるかな。

”大きくなったら白川さんのような仕事をしたい”ー白川よう子さんの対談を紹介

2025-01-06 | その他
 数年前、香川県議時代の白川よう子さんと統一教会問題で連絡をとったことがありました。その白川さん(写真左)の対談記事が『岡山民報』2025年新春特別号に載っていました。白川さんは日本共産党参院選挙比例予定候補です(対談相手は大平よしのぶ元衆院議員)。

大平:あけましておめでとうございます。今年夏の参議院選挙で日本共産党は、比例4から5への議席増、選挙区3議席(東京、埼玉、京都)の絶対確保と議席増をめざします。昨年発表された比例5候補のうち、中国、四国、九州・沖縄の17県を活動地域とするのが白川よう子さんです。中国地方の皆さんにとって「初めまして」という方も少なくないかと思います。

白川:新年おめでとうございます。白川よう子です。私は徳島県に生まれ、幼少の頃から阿波踊りに親しんで育ちました。徳島健康生活協同組合に就職し、結婚で香川に移り、主に民医連の診療所に勤めました。
 1988年の参院選で、香川選挙区からの立候補要請を受けましたが、その時は子どもが小さくて、一度はお断りしたんですね。
 当時「しんぶん赤旗」の日米ガイドライン改定の記事を読んで、子どもを一生懸命育てるのは親としての責任だけど、それだけではなくて、自分に何かできることがあるなら、選挙に出て頑張ってみることが戦争への道を止めることになるのでは……という思いで立候補を決意したんです。
 この参院選は日本共産党が一番躍進した選挙で、香川選挙区でも10万票近い得票でした。
 その後2003年の地方選挙で香川県議会議員に初当選。4期目途中の17年に衆院比例候補に転任して四国4県を駆け回ってきました。

大平:白川さんは香川県議として県民要求実現に奔走し、県議を辞めるときには県職員から残念がられたという話も聞きました。

白川:1期目で、初めての一般質問が子ども医療費の無料化でした。当時、無料化は5歳まで窓口での立て替え払いだったんです。受付でいったん医療費を支払い、月末にまた来てもらって書類を市役所に申請すれば数カ月後に戻ってくる。お父さんお母さんから、窓口で払わなくてもいい無料化をやってほしいという声がすごく多くて。制度のおかしさを繰り返し県議会で追及しました。
 当時は共産党の県議は私一人だったこともあり、私の質問にヤジが飛ぶんですよね。でもヤジを飛ばした議員とエレベーターで乗り合わせると、「白川さん、あれなあ、わしもそう思うんだわ」「娘から、何で建て替えなあかんのて言われる」と言われました。県議会で繰り返し追及する中で、無料化の年齢が徐々に引き上がり、現物給付ということになったんです。住民のみなさんと力を合わせた、大きな運動の成果だったと思います。今や香川県でも全ての自治体で18歳まで無料です。みんなの声で運動してこそ政治って動いていくんだと痛感しました。
 もう一つ心に残っているのが、2人の子どもを連れて夫のDVから逃れてきた方が県営住宅に入居され、いろいろな生活の相談に乗ったりしていたんですけど、何回か訪問を繰り返していたら、ある時から家に上げてくれなくなったんです。そしてある冬の寒い日の朝、「お母さんが息をしていない」と子どもから連絡があり、駆けつけた時にはもう亡くなっていて、久しぶりに入った室内は足の踏み場もないような状態で。「もっと踏み込んでいれば救えたかもしれない」という後悔でいっぱいになりました。
 幸い、子どもたちには里親さんが見つかり、引き取られることになりましたが、急に母親が亡くなった状態を子どもたちは受け入れられません。子どもたちと一緒に家の片付けをしました。毎日、私が福祉施設から子どもを家に連れて行き、何日もかけてゴミの山を整理する中で子どもたちもお母さんの死を何となく受け止められてきたように思います。その間、その子を連れて県議会に行ったりしたんです。そうしたら「白川さんの仕事ってどんな仕事?」って聞いてきて、いろいろ話をする中で、子どもなりに何となく理解してくれて、最後別れる時に「大きくなったら白川さんのような仕事をしたい」っていってくれて、本当にうれしくて。
 人としての幸せや、幸せをつくる環境というのは、私たち自身がつくっていかんと、子どもたちだけではどうすることもできない。政治や議員の役割はすごく重要なんだと思いました。政治だけじゃなくて、地域のつながりや、支えてくれる人の存在、一人ひとりの子どもの成長に目を向けていく、人間としての役割みたいなところも感じて、強い印象が残っています。

大平:白川さんは「後悔」という表現を使われましたが、問題の解決へ政治を変えることとともに、目の前の困っている人、苦しんでいる人に徹底して寄り添ってこられた方なんだということがよくわかり、とても感動しました。
(次号後半へ続く)

コーヒーが排尿回数に影響するか? 結果は微妙

2022-02-19 | その他
←お好み焼をつくりました(2/19)。

 今週、父は、14日(月)、15日(火)、19日(土)がデイサービス、16日(水)~18日(金)はショートステイでした。
 15日は、あさ、整形外科を受診してから介護施設に送りました。父は数年前に腰を骨折してから下半身の痛みが続いていて、定期的に痛み止めなどを処方してもらっています。

 母は、16日(水)に歯科を受診し、抜いた2か所に入れ歯を入れるための型取りをしました。
 17日(木)はデイサービスの日でしたが、左腕などの痛みが続いていて、前日の歯科受診の疲れもあって、お休みしました。
 その17日は、予約していた整形外科で肩と腕の様子を診てもらい、先生から1カ月くらいで痛みは引くよと言われました。
 母は、左腕が上がらず左手で茶碗が持ち辛くなっていて、右手は箸が持ちにくくなって、スプーンで食べるようになりました。
 昼間でもちょくちょくベッドで寝るようになりました。

 僕の方は、14日(月)は昼間に自宅に帰って家事などをして、市政ニュースも少し配って、田舎に戻りました。
 15日(火)は父の受診に付き添い、田舎で家事などをして過ごしました。
 16日(水)からは父のショートステイが始まりました。午前中は母の歯科受診に付き添い、午後は少し家事をしてから田舎を出発、途中で市政ニュースを配りながら夕方自宅に帰りました。
 17日(木)は、朝から田舎に戻って母の整形外科受診に付き添い、田舎で昼食を済ませ、午後自宅に帰りました。
 そして、毎週木曜日には赤旗日曜版が岡山出張所に届くので、それを取りに行って支部の配達担当者に届け、自分は15人くらいの読者に配り、少し集金もしました。
 18日(金)は、残っている市政ニュースを封筒に入れたり、それを配ったりしました。
 またこの日から、共産党北区委員会が作成した「アンケート」のお願いビラ(下の写真)も同封して配るようにしました。
 この日が父のショートステイ最終日だったので、夕方に田舎に戻って、3人で夕食をとりました。

 19日(土)、僕は午前中に泌尿器科を受診。雪やみぞれが降ったり雨になったりの外に出にくい日だったので、自宅に帰らず、午後は田舎でお好み焼(上の写真)を作ったり、ブログを書いたりして過ごしました。
 泌尿器科は、田舎で両親を介護していて、夜間の排尿回数を減らした方がやりやすいなあと思って、昨年3月から受診を再開しました。
 受診前には夜間の平均回数が4回半くらいありましたが、ベタニスなどを処方してもらって、3月は平均3.2回になり、4月2.9回、5月2.6回と少なくなっていましたが、6月3.0回、7月3.2回、8月4.0回と、利きが悪くなってきました。
 妻から「コーヒー飲み過ぎじゃない?カフェインは利尿作用があるみたいじゃから、やめてみたら?」と言われ、ノンカフェインを決意!9月前半の3.9回から、コーヒーやチョコレートなどを断ってからの9月下旬が3.6回、10月が3.6回で、ほとんど効果が感じられませんでした。そして11月からコーヒー解禁。11月が3.8回、12月前半が3.9回とわずかに増えて、コーヒー断ちは微妙な結果でした。
 ベタニスは続けて飲んでいましたが、12月中旬の泌尿器科受診のとき薬の変更をお願いし、ベオーパを処方してもらいました。そして、12月後半が3.2回、今年1月3.1回、2月前半が2.8回と減ってきています。

(アンケートのお願いビラ)

→アンケートのサイト

タイヤがパンクしたけど、下手なタイヤ交換しなくてよかった

2022-02-13 | その他
←寒い日、氷が張った湛水田にうっすらと雪が積もっています。

 2月7日(月)は、朝、母が起きてきませんでした(最近までの母は、早起きして洗濯や父の着替えの手伝いなどをしてくれていました)。僕が、まずベッドの父にミルクを運んで、全部飲み干すのを待ちます(ミルクが残ったままコップを布団の上に置いていてこぼれたことがあったので)。そして朝食の味噌汁と焼魚を用意をしながら、途中で母の部屋に行ってみると、ベッドに横になったまま、「しっこが漏れて敷布団まで濡れた。大きいパッドに替えるのを忘れて小さいパット(80cc)のまま寝とった」と言います。父の支度の方が優先するので、母はそのままにして、ご飯の用意をして、父の着替えや顔拭きを手伝って、父に母の様子を簡単に伝えて、2人で朝食をとりました。母は、2人の朝食が終わるころに食卓に出て来て朝食をとり、また寝室に戻りました。父を送り出し、食器洗いと洗濯をし、メールで妻のアドバイスも得ながら母の敷布団にお湯をかけて竿に干しました。

 2月8日(火)は、田舎に居て、家事やふすまの修理などをしました。午後3時ごろ、田んぼに行こうとしたら、軽トラのタイヤがパンクしていました。タイヤ交換をしようとしたのですが、日頃軽トラに乗っていないので、ジャッキの場所が分かりません。自動車屋さんに来て診てもらったら、タイヤに釘が刺さっていたのですが、軽トラに積んでいたスペアタイヤはサイズが小さすぎて走行できないことが分り(父が「適当な」タイヤを積んでいた)、釘を抜かないまま自分で自動車屋に乗って行って、タイヤをもらって交換しました。田舎の家で下手にタイヤ交換していたら、タイヤが合わず危ないところでした。

 2月9日(水)から11日(金)まで、父はショートステイだったので、自宅に帰って用事をしました。共産党の活動では、市政ニュースなどの配達の続きをしました。時間を見つけて「あなたの『?』におこたえします」という「はてなリーフ」を読んでみると、簡単で分りやすくできていることが分り、次回から、配り物の「北区の風」の代わりに「はてなリーフ」を入れて配ることにしました。

 2月11日(金)は、市政ニュースなどを配るつもりだったのですが、なんとなく手帳を見ると「あっと驚くゲンゴロウ!」、10時から北区の共産党「支部長会議」と書いてあり、以前に「出席できます」と連絡していたのでした(両親の介護と重なって出られない会議も多いけど)。急いで駆け付け数分遅れで会場に入ると、ソーシャルディスタンスをとって皆さん座って討議していました。僕は、最近は介護などで忙しく、党の活動があまりできていないので、発言することがありませんでしたが、最後に「はてなリーフ」を読んだ感想とともに、活用の仕方で党への支持を広げることができそうだと発言しました。

 2月12日(土)は、朝、田舎の家から父を送り出し、田んぼ近くの畑にコンポストでできた残飯落葉堆肥を撒いてトラクターで引きました。お昼は自宅に帰って食事を摂り、市政ニュースなどを配達しながら田舎に戻りました。配達先の中に、胃がん仲間のおばあちゃんがいて、話していると、僕の両親と同じ91歳で、1月からすい炎で入院していたこともわかりました。お互いを励まし合って、「憲法改悪を許さない全国署名」にも署名してもらい、居合わせた息子さん娘さんも署名してもらいました。

森脇ニュースの「知ってほしい日本共産党のこと その1」を転載

2022-02-08 | その他

←1月末から、日本共産党岡山市議団の市政ニュース(2022 1/30)、岡山市北区後援会ニュース「北区の風」(1/23発行)といっしょに、森脇ひさきさん(前県議)のニュース「お元気ですか」(2022年1月 通算第97号)を後援会員さんに配っています。

 この森脇ニュース裏面に掲載の「知ってほしい日本共産党のこと その1」を当人の了解をもらって次に転載します。なお、2月に「安保条約 自衛隊 天皇 共産主義 あなたの『?』におこたえします~日本共産党綱領の話」が党中央委員会から発行されましたが、さて、どちらが分りやすいでしょうか。

 知ってほしい日本共産党のこと その1

 昨年秋の総選挙では、政権党などが日本共産党の綱領・理念をゆがめるネガティブキャンペーンを繰り広げました。
 日本共産党の「綱領」は、現在から未来に向けて、日本の政治を変える方向、道筋を示した「羅針盤」です。これをもとに時々の政策を発表するとともに、国民の苦難を解決し、様々な要望に応える活動をおこなっています。
 総選挙を通じて私たちは、この「綱領」をさらに多くの人々に知ってもらわねばと、痛感させられました。そこで今回から何回かに分け、日本共産党の綱領の要旨を紹介させていただくことにしました。
 お読みいただけたらありがたいです。

Q 現在日本が必要としている変革は・・

A 日本共産党綱領では、「資本主義の枠内で可能な民主的変革である」としています。
 その要点を抜粋すると以下のようになります。

〈安全保障・外交の分野で〉
・横暴勝手な米軍、経済面での介入などの基にある日米安保条約をやめて、対等平等な日米友好条約に
・自衛隊を海外派兵する安保法制などを廃棄し、憲法9条にもとづく平和外交

〈憲法と民主主義の分野で〉
・憲法の全条項を守る
・民主的議会運営、「住民が主人公」の地方自治
・基本的人権の尊重、ジェンダー平等社会の実現
・教育・スポーツ・信教の自由
・汚職・腐敗の一層
・天皇の制度は、憲法の条項を厳格に守る

〈経済的民主主義の分野で〉
・労働者・国民の生活と権利を守る「ルールある経済社会
・大企業に対する民主的規制
・食料自給率の向上、農林水産業の振興
・原発ゼロ、温室効果ガス排出量実質ゼロ、再生可能エネルギーへの転換
・社会保障制度の拡充
・子どもの健康と福祉、子育て支援の重視
・負担能力に応じた税制度で社会保障財源を確保

川の上流をサス(指す)サス(砂州)を発見

2022-02-06 | その他
 2月2日から4日までは父のショートステイで、僕は自宅に帰って用事をしました。

←2月3日は、午後から共産党市議団の議会報告(年4回発行)など約30部を自転車で後援会員に配りました。左の写真は、旭川にかかっている中原橋を通っていて見つけた、川の上流をサス(指す)サス(砂州)です。

 僕が配達する議会報告は約400部あり、配達には自転車で8日、車で2日で、合わせて10日かかります。1回の配達を90分程度にしていますが、それには、体力不足の問題と、頻尿の問題があるためです。結局、父のショートステイの時を待って少しずつ配っているので、配り終えると、次の議会報告が出来上がるころになります。

 2月3日15時ころ、母のデイサービス先から電話があり、「体温が38度あります。このまま自宅に送るのも心配です。病院を受診しますか?」と言われました。どんな状態か訊くと、「布団をかぶって寝ていたので、熱がこもったのかもしれません。もう少しして熱を測りなおしてみます」と言われました。再度の電話で「熱は37度5分でした。普通通り自宅に送ります」と言われ、こちらは「心配なので田舎に帰って母といっしょに居ることにします」と応答しました。田舎に帰る支度をしていると、家に着いた母から「熱は37度1分じゃから心配いらん。帰らんでええ」と言われました。念のため、翌日の赤旗日刊紙の配達を代わってもらい、いざという時に帰れるようにしていましたが、無事に翌日を迎えました。

 2月4日は、議会報告を別の地域に配りました。午後は田舎の家に戻り、電気屋さんにエアコンを診てもらいましたが、壊れてなかったようです。リモコンの「風量」を「しずか」に設定していたために風が弱く(「しずか」って、風が極弱いから「しずか」と表示されているのか!)、温かく弱い風に室内機の温度センサーが反応してしまい、部屋全体の温度が温かいと誤認して、あまり温かい風を出さなかったことも原因で、部屋が温まらなったようです。無料修理期間でしたが、「修理」ではなかったので、出張料の支払いが必要でした。

 昨日(2月5日)は、朝は田んぼに行って電気柵のバッテリーを交換。昼間に自宅に帰って用事を済ませ、夕方に田舎の家に帰りました。

 今日(2月6日)は日曜日で、3人が田舎の家で暮らしています。朝食後に父がトイレに行き、そのあとで母がトイレに行くと、便器やマットがうん〇まみれで、母は少し拭いたけど諦めて、奥の父の部屋のトイレに行きました。僕は、うん〇拭きは慣れてきましたが、今回は窪んだところなども拭いたので、部屋は寒いけど汗が出そうでした。父は「便が出たかどうか分からんかった」と言っていました。飲み薬の中から、便を軟らかくする酸化マグネシウムを抜いておけばよかったと後悔中。

父のショートステイの間は自宅に帰って作業

2022-01-21 | その他
 今日(1月21日)は父がショートステイから帰ってくる日で、僕が17時前に田舎に帰ると、父と母は父の部屋で何か話していました。僕は「帰ったよ」と言った後、車から荷物を下ろし、炊事場の片付けなどをしていました。しばらくして父の部屋から「ご飯にしよう」という声が聞こえ、庭に出ていた母も戻ってきて3人で夕食。夕食の途中、父が食べかけていた唐揚げが箸からすべって床に落ち、母から「食べるときは口の下にお皿を受けて・・・」と注意が入り、僕も母に賛同してしまい、父は機嫌を損ねて「お前ら、親子してお爺さんを悪う言う」とすねました。父は文句を言いながらも、部屋に戻って寝てくれました。

 自宅にいた3日間の僕は、田舎の買い物の清算、我が家の家計簿への記帳、請求書に対する送金、介護施設や役所・農協・共産党などの書類のチェックや作成、残飯暈しの準備、残飯暈しの埋設、残っている家事などのいつもの作業をしました。また、遅くなっていた共産党議員の議会報告配り、赤旗日曜版の配達、集金、赤旗日刊紙の早朝配達(金曜日が僕の担当です)も行いました。やり残したこともありますが、時間を見つけてハマチと大根の煮付、かぼちゃと豚肉の甘煮も作り、煮大根とかぼちゃは少し田舎に持って行きました。

 毎週木曜日は母のデイサービスです。母はデイサービスに行くのが楽しみで、前の日から行く用意をして、後で聴くと「楽しかったー」と言います。

田舎で木を伐採。慣れないチェンソーで疲れる

2022-01-19 | その他
←剪定した梅の木(左上に少しだけ枝を残している)

 今日(1月19日)から3日間、父はショートステイです。
 6時過ぎ、父の部屋に蓋つきのコップに入れたスキムミルクを持っていくと(朝スキムミルクをお湯で溶いて父に飲んでもらうのは、母がかなり前からやっていた習慣です)、父は部屋のトイレから出たところだったので、声をかけてスキムミルクをベッドの端に置き、トイレのかごを見ると軽めの使用済み尿取りパッドが2枚あり。これなら紙パンツの方は濡れていないなと思いました。以前は、2回分吸収用のを使っていて尿が漏れることがあり、3回分に替え、4回分に替え、最近は5回分のパッドを使っています。
 父はゆっくり動作で、母に手伝ってもらいながら着替えを済ませ、食事と薬の服用、検温を済ませ、トイレにも行って、施設からの迎えに間に合ってショートステイに出かけました。

 午前中は、先日から母に頼まれていた、下の雑種地に生えている木の伐採をしました。チェンソーを家の温風ヒーターで温めてからエンジンをかけ、まず枇杷の木に取り掛かり、太めの枝を切り落としていき、最後に根本近くを切り倒しました。その琵琶の木は、世話ができていなかったので、まともな実がならなくなっていたそうです。次に花枝の木を何本か切り倒し、そして梅の木の太めの枝を切っていきました。チェンソーに不慣れだったので、枝の切り落としのときにチェンが2回はずれ、切れ味も悪くなって、途中でほとんど切れなくなってしまい、本日の伐採はここで終了しました。

 父がショートステイで施設に宿泊しているときは、僕は自宅で宿泊します。田舎では母が1人になりますが、ご飯だけは自分で炊けるので、おかずを作り置きしておけば大丈夫のようです。
 僕は、お店で買った海苔巻き弁当を食べながら車で自宅に帰りました。慣れないチェンソーで疲れていたのか、お腹の調子が少し悪くなり、ときどき横になったりしていて、出席予定の共産党県委員会主催の動画作成講習会には行けませんでした。行ったとしても、大半は居眠りしていたと思います。

「怖い信用スコア」

2020-03-27 | その他
「中国では『芝麻(ゴマ)信用』の信用スコアによって、社会の階層化が進み、恋人選びもスコア次第という状況が生まれています。低スコアの人がSNS上で友人になってると自分のスコアも低下するため、交友関係に大きな変化が生じるだけでなく、就職や婚活サイトにも活用され、スコアの高低が人生に決定的な影響力を持つ場合がある」

「信用スコアの格付けにより、就職に失敗して低賃金の仕事を転々とすれば、さらにスコアが下がってしまします。このシステムの構造上、一度こうした負の連鎖におちいると抜け出しにくく、社会の底辺で生きることを余儀なくされてしまいます。だから中国では人びとが信用スコアを上げるために必死になっています」

「『中国のように日本でも信用スコアを根付かせたい』というのがラインの狙いです」
(以上は「怖い信用スコア 中」から)

 ラインなどのスーパーアプリとの付き合い方を考えないといけないなと思います。







アシスト自転車が来ました

2019-11-22 | その他


 電動アシスト自転車「ビビ」(Panasonic)がやっと来ました。
 9月に注文したのですが、増税前の品切れで、2カ月後の今日の納品となりました。
 自転車屋さんには、「お待たせしたので」と、消費税分を5%で計算してもらいました。この自転車屋さんには、消費税率5%への引き下げ署名に協力してもらったことがありました。

 一昨年、カブで転んで大腿を骨折してから、バイクの購入に家族から猛反対されていて、後援会ニュースなども普通の自転車で配ってきました。でも、急こう配の道では自転車を押すこともあり、時間もかかっていました。
 これで快調に配れるかなと期待しています。

ゴーヤのお菓子ができました

2019-10-19 | その他


 ゴーヤのお菓子づくりにチャレンジしています。
 最初は、青いゴーヤを使ったので、苦みが強いのができ、
 次は、塩抜きで苦みを抑えようとして、水分が多すぎて失敗し、

 今回は、少し白っぽくなったゴーヤを使い、砂糖といっしょに炒めました。苦みと甘味のバランがいいのができました。

市立保育・幼稚園の廃止・民営化に対し声を上げようとビラ配り

2019-03-30 | その他
 日本共産党牧石支部は3月27日、北区牟佐の市立牟佐保育園前で、園児迎えの保護者に市議会報告(日本共産党岡山市議団発行)などのビラを配り、市の保育園・幼稚園の廃止・民営化方針に対し声をあげましょうとアピールしました。

 岡山市(大森雅夫市長)は、122の市立保育・幼稚園を30程度のこども園にする方針で、牟佐保育園など多くの市立園が廃止・民営化の対象になっていて、すでに10園以上がなくなっています。
 日本共産党市議団は、待機児童が全国で2番目に多いにもかかわらず、廃止・民営化するのはとんでもないと、反対を主張してきました。

 ビラ配りしていると、市の方針を知らない保護者が多く、「保護者のみなさんが声をあげましょう」という呼びかけに「ありがとうございます」と応えていました。

※廃止・民営化の対象となっている幼稚園、保育園(「市議会報告」から)


「選挙で変えたい 保育園事情」(日本共産党宣伝局制作のWEBアニメ)

やっと復旧したパソコン・・・ふっ、やれやれ(^^;)

2019-02-20 | その他
2月11日、雪が降った朝のJR玉柏駅。

 2月初め、ノートパソコン(東芝dynabook)がたびたびフリーズするので、修理のため家電量販店(エディオン)に持参しました。

 数日後、エディオンから「東芝からの報告は、ハードディスクとヒンジ(蝶番)、液晶ディスプレイカバー、トップカバーDCジャック部などの不具合があるということでした。エディオンではハードディスクとヒンジは無料修理の対象となるが、その他は有料で合計3万円余りかかる」と連絡がありました。

 このパソコンは4年半前の購入なので無料修理の期間(5年)内なのに、一部が無料修理の対象にならないことに納得がいかなかったのですが、購入時の文書に無料修理の対象外になる部分が記されていて、それに該当すると言われたので、承諾するしかありませんでした。そして使えるなら、壊れるまでもう少し使いたいと思って、無料修理(ハードディスク、ヒンジの交換)だけしてもらい、16日に返却してもらいました。

オフィスのプロダクトキーが出てこない

 パソコンを起動させ、2・3時間かかって初期設定をして使えるようになったのですが、オフィスソフトがインストールされていなくて(購入時にはインストールされていたのに、、、)、その再インストールにはプロダクトキーが必要なことがわかりました。が、いろいろ探し回ったのですが、出てきませんでした。

オフィスの代替品を買ってしまった

 17日、仕方なく電気店に行って、店員に「オフィス」の陳列台を案内してもらって、「オフィス」を買ってきてインストール。ところが、これがオフィスの代替品(ソースネクストの「Thinkfree Office Neo」)だった。ワードの代替品(「Word」)は何とか使えたのですが、エクセルの代替品(「Cell」)が使いにくい。それに、エクスプレス(メールソフト)がなくて、メールの送受信がうまくできない。

 結局、他のメールソフトがうまく使えず、本日(20日)やっとマイクロソフトの「オフィス」を約3万円で買って、インストール開始。これが途中でフリーズし、マイクロソフトに電話して遠隔操作してもらって、やっとインストール完了。やれやれでした。

 この間は、ほこりをかぶっていたデスクトップを使ってみたのですが、これが旧バージョンで使いにくく苦労しました。