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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

旧奥州街道のデザインマンホール蓋(三戸町~青森市)その1

2018-05-14 18:02:05 | マンホール蓋
平成23年5月に日光街道を踏破し、翌6月に宇都宮宿を出発し旧奥州街道歩きを開始しました。
その後、東日本大震災の発生もあり、暫く中止し平成25年春から再開しました。
街道歩きは、春と秋のベストシーズンに各1回連続して5~6泊して歩いていますので、これまで延べ6年(実質31日間)をかけ、平成29年春に青森県三戸宿に辿り着きました。

そして今回、三戸宿(青森県三戸郡三戸町)をスタートし、5泊6日で青森宿(青森市)まで約100㎞を歩きました。
その間通過した自治体は、三戸町、南部町、五戸町、十和田市、七戸町、東北町、野辺地町、平内町、青森市の7町2市でした。
今回は、その間で撮ったマンホール蓋の内、デザインマンホール蓋に付いて整理してみます。

最初は、三戸郡三戸町です。
県立城山公園内にある天守閣風の建物「三戸城温故館」と桜がデザインされています。 ネット上には、左横にいるのは町の鳥「コノハズク」をデザイン化した町の公式マスコット「ぬかべえ」とありますが、三戸町のHPを検索しても「ぬかべえ」は表示されませんでした。
      

次は三戸郡南部町です。
青森県南部地方を中心に行われる冬の伝統行事で、田植え作業を唄と踊りで表現する「えんぶり」をデザインしています。
「えんぶり」とは、農具の「朳(えぶり)」にちなみ呼ぶようになったとか。昭和54年2月に国の重要無形民俗文化財に指定されています。
現在の南部町は、旧南部町、名川町、福地村が2006年1月1日に新設合併し出来た町ですが、街道歩きでは旧南部町しか通りませんでした。
  

次は三戸郡五戸町です。
中央に牧場を走る馬の親子、その周りを町の木「イチイ」の葉と実で囲んでいるデザインです。
現在の五戸町は、旧五戸町が平成16年7月1日に倉石村を合併編入しできた町です。
カラー版はこちらです。
         
ノンカラー版はこちらです。
  

旧三戸郡倉石村も通過しました。
中央に村の花「コブシ」、周りに村の木「アカマツ」で囲むデザインです。
こちらは、公共下水道設部ではなく、農業集落排水設備の蓋になります。
      
次は十和田町です。
現在の十和田市は、平成17年7月1日に旧十和田市と旧上北郡十和田湖町が新設合併して出来た市です。

十和田市では、二種類のカラー蓋を見付けました。
一つ目は、中央に旧十和田市章、周りに市の木「アカマツ」と市の花「ツツジ」がデザインされた蓋です。
こちらは、ノンカラー版を見つける事が出来ませんでした。
               

二つ目は、中央に馬の親子が走り、背景に市の木「アカマツ」と市の花「ツツジ」がデザインされた蓋です。
               

こちらはノンカラー版です。
  

七戸町以降は、その2.で整理します。   
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旧奥州街道歩き(小湊宿(西平内駅)~浅虫温泉駅)2018年春・5日目

2018-05-14 08:45:03 | 街道歩き
4月25日(水)街道歩き5日目、覚悟はしていましたが、やっぱり天気予報通り今日も朝から小雨模様となりました。
昨日の段階で、今回の目的地である青森宿(青森駅)まで残り23.6km程、この距離を一日で歩き最後の一日は弘前城でお花見だ!!と余裕だったのですが、雨空を見るとそうは行きそうもありません。

昨日同様、朝食を6時30分から採り、青森駅7時52分発の電車に乗り込みます。
前日打ち止めとした青い森鉄道・西平内駅に8時20分に到着、駅でポンチョを着て傘を用意します。
青森市内は雨足が強くありませんでしたが、東に向かうほど雨が強く、横殴りとなり、西平内駅を出発する時は街道歩きを中止しようかと思う状況になりました。

そんな事で、いつもスタート地点で撮る写真も忘れ、傘を両手でしっかり持ち、時に傘がおちょことになるのを元に戻しながら街道歩きスタートです。
国道4号線に出て歩きますが、車の水しぶきが飛んできて非常に歩きずらい状況です。少しの間ですが、旧道に分岐するとホッとしますが、直ぐに4号線に戻ります。
駅から3km弱歩いたところで右に分岐し県道9号線に入ります。そこから浅虫温泉駅まで4号線を通らず、車がほとんど通らない県道を4km程歩く事になります。

この間、風雨が増し、歩くには厳しい状態となって来たので、バス停の待合小屋を見付け一時避難をしました。ここで、小1時間雨宿りをし、少し風が収まって来たのを見て出発します。何と、この間1枚も写真を撮っていませんでした。
1時間程歩くと目の前が開け、陸奥湾が飛び込んで来ます。
              
手前が4号線、白根崎方向(島は「裸島」)を写しています。
「裸島」には伝説があり、
昔、里で母親が幼いわが子を木陰に寝かせ畑仕事をしていた時、一羽の大鷲が飛来、眠っているわが子をさらって裸島の頂上に下ろし羽を休めていた。気づいた母親は狂乱し、素手で岩を登ろうと必死で岩肌をひっかいた。元来滑らかな岩だった裸島もその時側面が欠き削られ、母親の血で染まり今の形になったといわれている。母の愛情の貴さを物語っている島となっている。(浅虫温泉HPより)

しばらく進むと、大きな櫓が見えてきます。櫓には「ほたて広場」と書かれています。
               
こちらの施設は、
むつ湾で水揚げされる栄養満点で旨みたっぷりのほたて貝を中心に、青森県内で捕れる魚介類、並びにその加工品を販売・宣伝する、青森県の魚介類に関する情報の発信基地とHPにあります。

1階の販売スペースでは、「ほたて」をはじめ、水産加工品、農産物、おみやげ、そしてホタテエキスが入ったソフトクリームなどが売られ、
                  
2階展示スペースでは漁業の歴史資料やホタテ養殖の模型、平内町名誉町民「高橋竹山」さんの紹介等があります。
           
1階にあった「ほたて広場食堂」は別棟に移るようで、新たに建物が作られ、今は開店していると思われます。

そして街道歩きに戻ると、ここは「土屋御番所」(このあたりは旧奥州街道の要衝にあたり、かつては黒石領と弘前藩領の境であるため、口留番所が設けられていた)が置かれていた場所で、案内板があります。また、現在の道路と旧奥州街道の案内板もあります。
           
雨が止む気配がありません。
街道歩きを再開し、1.5km程歩いたところで奥州街道の標柱と浅虫温泉の案内板が目に入ってきます。
               
このまま街道歩きを続けるか、中止するか、考えどころです。
雨さえ上がってくれたら、残り16.3km程、まだ時刻は11時30分前なので十分に青森宿にゴールできる時間です。
そこで、左手に見える「浅虫水族館」で雨宿りがてら見学し、雨が止んでいたら街道歩きを継続、雨が降っていたら浅虫温泉駅まで歩き今日の街道歩きを打ち止めとする事にしました。
               

      
1時間程見学し水族館を出ると、残念ながら(幸い?)雨は降り続いているので、街道歩きはここで打ち止めです。
駅まで歩き、駅近くにある道の駅「浅虫温泉」に入り昼食を採りました。こちらの施設には、5階に展望温泉施設もありゆっくりしたいところですが、ホテルにも温泉施設があるので14時過ぎの電車に乗って青森に戻りました。

こちらは道の駅から見える「湯ノ島」です。
               

本日の予定歩行距離23.6kmでしたが、雨のため浅虫温泉駅で打ち止めとしたため7km程になったでしょうか。
歩数計は、22,560歩を示していました。
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