※2019/9/24更新 新たなデザインマンホール蓋を追加しました。
旧伊香保町の経緯は、明治22年に町村制施行に伴い西群馬郡伊香保村、湯中子村、水沢村の3村が合併し西群馬郡伊香保町が誕生します。明治29年には、西群馬郡と片岡郡が合併し群馬郡となった事により、群馬郡伊香保町となります。昭和24年には群馬郡より北群馬郡が分立した事により、北群馬郡伊香保町となります。その後、平成18年2月20日に旧渋川市、伊香保町、小野上村、子持村、赤城村、北橘村が新設合併により現在の渋川市となりました。
旧伊香保町は、榛名山東麓に位置し、首都圏の奥座敷として知られる「いで湯のまち」です。
伊香保温泉は、今より約1,900年前の時代に発見されたと伝えられます。町の中心にある石段街は、天正4年(420年前)頃に形成されたと伝えられ、独特の温泉情緒をただよわせています。(渋川市HPより)
旧町章は、伊香保の「伊」を草書体で意匠化したデザインのようです。(昭和47年12月27日制定)
旧伊香保町は、町の花が「ツツジ」、町の木が「モミジ」、町の鳥が「ホトトギス」のようです。
旧伊香保町は公共下水道が導入され、物聞沢処理区、水沢処理区、湯沢処理区に分かれ、物聞沢処理区は合流方式を採用し物聞沢水質管理センターで最終処理され、水沢処理区と湯沢処理区は分流方式を採用し水沢水質管理センターと湯沢水質管理センターで最終処理されているようです。
また、特定環境保全公共下水道も導入されているようですが、その地区は把握できませんでした。
こちらは、2019年8月7日に配布を始めた第10弾のマンホールカードです。「群馬県渋川市のマンホール蓋(その1)公共下水道関係」でマンホールカードは整理しましたが、こちらでも同様の内容を再掲する事にします。
カード裏面のデザインの由来は以下の通りです。
上毛三名湯のひとつ伊香保温泉のシンボルである「石段街の風情」をデザインしたものです。 「石段街」は、戦国時代に長篠の戦いで傷ついた兵を癒やすため、武田勝頼が当時の温泉街から湯を引き、現在の場所に温泉街として整備したもので、この時、引いてきた温泉を効率的に宿に分配するため、計画的に町並みが造られました。 石段は終点の伊香保神社まで続いており、その段数は365段を数えます。 伊香保温泉は、萩原朔太郎、徳富蘆花、田山花袋など多くの文学者や画家の竹久夢二が逗留したことでも知られています。 また、第二次世界大戦終戦までは、伊香保御用邸が存在していました。
それでは、マンホール蓋の整理です。
最初は、第10弾のマンホールカードに描かれたデザインカラーマンホール蓋とノンカラー蓋です。
こちらのカードを頂いた際、「渋川市マンホールカードのご案内」と言う冊子を頂戴しました。この冊子の中に、こちらのデザイン蓋は特定環境保全公共下水道の蓋である記載がありました。
こちらもデザインマンホール蓋です。
町の木「モミジ」、町の花「ツツジ」、町の鳥「ホトトギス」が円形に配置されるデザインです。
こちらのデザイン蓋も、冊子では特定環境保全公共下水道の蓋である記載がありました。
(2019/9/24追加)
こちらは、町の花「ツツジ」を前景に榛名山を望む伊香保温泉街をデザインした公共下水道のデザイン蓋です。(2019/9/24追加)
次は、規格模様と呼ばれる蓋です。
最初は、JIS規格模様の蓋です。
中央に下水道の「下」、下部にカタカナで「イカホ」と書かれています。
こちらは、亀甲模様の蓋です。
こちらは、スリップ防止模様の蓋です。
最後は、コンクリート製の蓋です。
最初の蓋は、中央に「イカホ」その上と下に「下水」と思われる文字ります。次の蓋は、中央に「イカホ」の文字のみ、最後の蓋には、中央に町章が描かれています。
町章は、昭和47年12月27日制定とありますので、それ以前に作られた蓋なのかも知れません。
次は、小型マンホール蓋や枡蓋です。
こちらは、名古屋市タイプのJIS規格蓋です。右は亀甲模様の蓋です。
こちらは、コンクリート製の蓋と右は「あみだくじ」模様のような汚水蓋です。
こちらは、枡蓋のようです。
以降は、上水道関係他の蓋を整理します。
最初は、消防関係の消火栓の蓋と防火貯水槽の蓋です。
こちらは消火栓の蓋です。
こちらは防火貯水槽の蓋です。
次は、上水道関係の制水弁蓋です。
最後は、空気弁の蓋になります。
以降は、源泉から温泉街にあるホテル、旅館、公共浴場などに配湯している配管に関係すると思われる蓋です。ただ、確認は全くしておりませんので個人の推測に過ぎません。
以上で、その6.旧北群馬郡伊香保町のマンホール蓋の整理は終了です。
その7.では、旧北群馬郡小野上村のマンホール蓋を整理します。