※2022.09.18更新 デザイン蓋3枚、デザイン親子蓋2枚、規格模様の蓋1枚を追加しました。
※2022.07.25更新 画像サイズを統一し、現時点で最新の状態に更新しました。
現在の嵐山町は、明治22年に町村制施行に伴い比企郡菅谷村と七郷村が発足しました。その後昭和30年に菅谷村と七郷村が合併し菅谷村が発足、昭和42年に町制が施行され嵐山町となり現在に至っています。
埼玉県のほぼ中央に位置し、都心より60km圏にあります。北は深谷市と熊谷市、西は小川町と寄居町とときかわ町、南は鳩山町、東は滑川町と東松山市に接しています。
人口は1.7万人を超え、世帯数も7.5千に届こうとしています。(平成30年2月現在)
町は、比企丘陵の中枢部を占めており、山あり渓谷あり、平地ありと変化に富んだ自然の宝庫で、国蝶「オオムラサキ」が生息する地としても有名です。また、平安時代末期の武将「源義仲(木曽義仲)」や「畠山重忠」のゆかりの地で、江戸時代には江戸と上州を結ぶ川越児玉往還の菅谷宿として栄えました。
町章は、「ラン山」を上下に配し図化したものです。町章の意図するところは、町民が一致協力して清く明るく田園都市づくりに進む気構えを示し、融和、発展を象徴するものです。
町の花は「つつじ」、町の木は「うめ」です。(以上は、嵐山町HPより)
私は以前、群馬県高崎から旧鎌倉街道上道を歩き神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮まで歩いたことがあります。街道は、嵐山町を通り鳩山町を抜け毛呂山町に向かいます。その折、「大蔵館跡」や「源義賢の墓」等にも立ち寄りました。
また、「武蔵嵐山渓谷(むさしらんざんけいこく)」は、岩畳と槻川の清流・周囲の木々が織り成すみごとな景観と豊かな自然環境をもった、埼玉県を代表する景勝地です。
嵐山町は汚水と雨水を別々に処理する分流方式を採用しています。 町内の公共下水道は8処理分区に分かれ埼玉県が運営する市野川流域下水道に接続し、滑川町にある市野川水循環センターで処理され市野川に放流されます。
前置きはこれ位にして、マンホール蓋の整理に移ります。
最初はデザインマンホール蓋です。
清流が蘇り、維持管理され、国蝶「オオムラサキ」やバッタ、ホタルの飛び交う自然環境の良好な嵐山町をイメージしたデザインのようです。
こちらは、嵐山町役場内に展示されているカラー蓋です。
なお、実設置蓋でカラー蓋は無いとの事でです。
こちらは、市野川水循環センター(右の写真)の左手の塀に埋め込まれているカラー蓋です。
流域下水道に接続する比企郡嵐山町、比企郡滑川町、比企郡小川町と市野川流域下水道の4種類のカラー蓋が埋め込まれています。
以降はノンカラー蓋です。
こちらは雨水蓋です。
(2022.09.18追加)
こちらは枠に模様があります。
こちらは汚水蓋です。
(2022.09.18追加)
こちらは枠に模様があります。
(2022.09.18追加)
こちらは親子蓋です。
こちらはΦ900です。
(2022.09.18追加)
(2022.09.18追加)
こちらはΦ1200の蓋です。
こちらは小型蓋です。
次は、規格模様と呼ばれているマンホール蓋です。
こちらは、JIS規格模様の蓋です。
こちらの蓋には用途記載がありません。
こちらの蓋には、上部に「M」、下部に「PAT」の表記があります。
こちらの蓋には、上部に「AV-1」の表記があります。
こちらは雨水蓋です。
こちらは枠に模様があります。
こちらは、毘沙門亀甲模様の蓋です。
こちらは用途記載がありません。(2022.09.18追加)
こちらは雨水蓋です。
こちらは、幾何学模様の蓋です。
用途記載はありませんが、蓋面に複数の小さな穴があるので雨水蓋と思われます。
次はスリップ防止模様の蓋です。
蓋の上部には、耐荷重量記号「T-25」と日之出水道機器㈱さんのロゴが表記されています。
こちらは雨水蓋です。
蓋の左下には「らんざん」、右下には「うすい」の表記があります。
こちらは汚水蓋です。
蓋の左下には「らんざん」、右下には「おすい」の表記があります。
こちらは、町管理の浄化槽の蓋です。
中央に町章、左右には町の花「つつじ」、上部には国蝶「オオムラサキ」、下部には清流が流れているようです。
(2022.09.18追加)
町では管理型浄化槽事業を行っています。合併処理浄化槽を設置されている方が、「浄化槽使用料」を納付することにより、浄化槽の管理を個人管理から町管理に移管できるようです。
小型マンホール蓋は、前記のデザイン蓋以外に見つけることができませんでした。
以上で、その1.公共下水道関係の蓋の整理は終了です。
その2.では上水道関係の蓋を整理します。
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