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秋の夜長は・
読書してます・
千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その壱百九拾六
そのうち、「 法勝寺 」はほぼ四丁の規模で、
金堂を中心に五大堂、講堂、阿弥陀堂などが建ち並び、
藤原道長の法成寺をもしのぐ、
という意味で「 法勝寺 」と名付けられた。
当初の堂に続いて、
永保三年 ( 1083 ) には薬師堂・八角堂と同時に九重塔も完成している。
九重塔は法勝寺の伽藍の中心ともいうべきもので、
金堂の南に広がる池の中島に建てられ、
その高さは90メートルに近い壮観な八角の大塔だったと推測されている。
現存する最大の東寺の五重塔が55メートルだから、
その規模の大きさが推し測られます。
白河天皇の権力を象徴するようなこの九重塔は、
中島に建てられたという悪条件もあって、
建立当初から湿気の為柱などが腐食し度々修復されたが、
元暦二年 ( 1185 )7月の京都北部を襲った大地震で壊滅的な被害を蒙った。
かろうじて倒壊は免れたものの、垂木はすべて落ちて、
各層の柱と連子窓だけが残ったという状況のようでした。
この年3月には、平家は壇ノ浦で滅亡し、
代わって鎌倉では 源頼朝が台頭していた。
このような社会情勢の変動と時を同じくして、
安元三年 ( 1177 )と翌年には、
太郎焼亡 と 次郎焼亡という二つの京都大火があり、
養和元年 ( 1181 )には、全国的な大飢饉、
そして、この年の養和大地震と続き、
法勝寺九重塔 の崩壊は、
時代の大変動を象徴するような事件として、
人々に大きな不安をもたらしたのです。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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