恒例の今年の漢字は「絆」 2位「災」、3位「震」
森貫主は「みなが手をひとつに携えて復興を重ねていこう。
そんな願いを込めて書きました」と語った。
「今年の漢字」は阪神大震災が起きた1995年の「震」に始まり、
今年で17回目。
1.17 阪神淡路大震災からもう17年
そしてあの3.11 東日本大震災からもう9ヶ月・・
たしかに「絆」という言葉はよく聞きましたねぇ・・・
俺的には・・「希望」と言う漢字を推薦します。
復旧・復興・希望・・
森貫主は「みなが手をひとつに携えて復興を重ねていこう。
そんな願いを込めて書きました」と語った。
「今年の漢字」は阪神大震災が起きた1995年の「震」に始まり、
今年で17回目。
1.17 阪神淡路大震災からもう17年
そしてあの3.11 東日本大震災からもう9ヶ月・・
たしかに「絆」という言葉はよく聞きましたねぇ・・・
俺的には・・「希望」と言う漢字を推薦します。
復旧・復興・希望・・
12/13
千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その弐百六拾四
代々の室町将軍は、その邸宅に観音殿を造るのが普通でした。
金閣を造立した 義満も花の御所に観音殿を造っていたし、
その後の 将軍義持、義教も観音殿を造っている。
もちろん 義政も銀閣造立以前から将軍の御所の室町殿に観音殿を設けていた。
したがって、東山殿だけに観音殿が造られた訳ではないし、
その際、金閣だけがとりたてて意識されたものでもない、
義政にとってみれば、有って当然のもの、無くてはならないもの、との認識・
義政が金閣をそれほど意識していないのだから、
銀箔の貼り付けについても、同様で。
観音殿には銀箔を貼ったような形跡が無いばかりか、
銀箔を貼る意志自体かあったかどうかも疑わしい。
東山殿の造営に関して 義政は、むしろ 西芳寺を意識し、
建物の配置などは模倣さえしているのです。
そもそも 銀閣という名称は、江戸時代以降のもののようで、
数多く出版された地誌類のなかで用いられるようになったようです。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
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