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何かと気忙しい時節ですが・・
ちょっと一服・
京の年の瀬
毎年年の瀬に話題の知恩院で行なわれる除夜の鐘の験し撞き。
この鐘の音を聞いたイギリス人の記事が載っていました。
時は明治22年(1889)当時祇園の円山公園に在った也阿弥ホテルに泊まった
イギリスの作家キプリングは、
地震だ!と? 飛び起きた。
その震源地を知ろうと外へ出て、
「小さな切り通しを抜けると、私の目の前には6~7メートルもある青銅の大鐘が現れた。
大鐘は太い木の幹を用いて精巧に作られた鐘楼に吊り下げられていた」
「高さは地上からわずかに1メートル半ほどしかなかったので、
私はこぶしを軽く鐘の縁に触れてみた。
そのときこの怪物は深い息づかいで喘いだ。
次にステッキで打つと、
その薄暗い鐘楼全体に何百と言う鋭いこだまが響いた。
大鐘に向き合って、
鉄材でつくられた、3メートル半もの長さの太い棒が5・6本の綱で支えられ、
吊るされていた。
その先端は鐘の胴の周囲にぐるりと盛り上がっている中帯の中央にある菊の模様の撞座にピタリとねらいをつけていた」
すると「六人の男が声を掛け合いながら撞木を数回前後に揺すった。
するとその撞木は十分な勢いを獲得し、
彼らの手が綱から離れるやいなや、
菊の花びらめがけて身を躍らせた。
強打された青銅の大梵鐘が発する響きは、
足元の地面と鐘楼を囲む山々の斜面に吸い込まれていった」。
「イギリスの鐘作り職人なら、その三倍の音は出したと思う。
しかしそうすれば20メートルも離れたところの岩や石や松の木を震わせたり、
すぐ傍に立って聴いている者の身体の中を、
あたかもひどく遠く離れた場所で起こった爆発のように通り抜け、
静かに足元で姿を消す
というような響きを生み出すことは出来なかったろう」と・・・・
日本の梵鐘を造った職人技に感心している様がうかがえる。
ちなみ当時梵鐘を造っていたのは京都の釜座(今も通り名として残っている釜座通り)の職人たちの技です。
すご~い。釜座の梵鐘職人の技・・