日日の幻燈

歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと

はじめての江の島めぐり

2014-11-24 | 日日の幻燈

神奈川に住んでいながら、江の島に行ったことがなかった。
そんなわけで初めての江の島。

【小田急片瀬江ノ島駅】

はじめて降り立つ江の島。私は地元の駅から小田急一本で行けるので片瀬江ノ島駅。駅舎はご覧のとおり竜宮城をイメージ。


【広重の浮世絵に描かれた江の島】

幕末、歌川広重の浮世絵に描かれた江の島。作品名は「相州江乃嶋辨才天開帳参詣群集之図」というのだそうです。


【2014年11月22日江の島遠景】

で、こちらが平成の世の江の島。
江の島へ向かう大勢の人々、雰囲気は幕末と変わっていない。


【江島神社・青銅の鳥居】

江の島は、島全体が江島神社といった感じです。
この江島神社は辺津宮、中津宮、奥津宮の三社からなる神社で、創建は552年にまでさかのぼるそうです。552年と言えば、古墳時代の末期、飛鳥時代の直前。聖徳太子の誕生よりも少しだけ古い時代ということになります。由緒などに興味のある方は江島神社のホームページで調べてみてください。
この青銅製の鳥居は1821年に建てられたもの。広重の浮世絵が描かれたときには既に建っていたのですね。ちなみに、この鳥居は江島神社の三の鳥居。一の鳥居は遠く藤沢の遊行寺前にあったとのこと。そういえば、広重の東海道五十三次の藤沢に描かれてましたね…あれなんだ。
残念ながら一の鳥居もニの鳥居も現存しないのだそうです。


【江島神社・朱の鳥居と瑞心門】

朱の鳥居は1936年に寄進されたもので、その奥は瑞心門。


【江島神社・辺津宮(へつみや)】

普段運動不足の身には辛い石段をのぼっていくと、まず辿り着くのは源実朝が創建した辺津宮。祈祷などは辺津宮で行われるとあるので、ここが三社のうちでも中心的な位置づけにあるようです。


【江島神社・弁天堂】

江の島と言えば、サザン、サーフィン、弁天様。
辺津宮の隣にある弁天堂(正しくは奉安殿)に、その弁天様が祀られています。そう、裸の弁天様です。日本三大弁財天のひとつで、あとは広島の宮島と滋賀の竹生島の弁天様。でも、どれを三大弁財天にするのかについては異論もあるのだとか。
その裸の弁天様(妙音弁財天)、拝んできました。真っ白な肌、裸に琵琶を持つ姿、鎌倉時代の作品とは思えないほど綺麗で妖艶でした。その横には八臂弁財天。こちらも鎌倉時代の作。
江戸時代にはこの弁天様を見ようと観光客が押し寄せたとか。でも私が訪れたときは、ほとんどの人がスルー。
え?いいのかな?
ここまで来て有名な弁天様を見ていかないで…。


【江の島からの眺望1】

辺津宮をあとにして中津宮へ向かいます。その途中での眺望。横浜・東京方面です。


【江島神社・中津宮】

こちらは853年の創建。奈良時代です。江戸時代になって5代将軍綱吉によって再建されたとのこと。


【江島神社・中津宮の石灯籠】

江戸時代に奉納された石灯籠が境内に残っています。
左は台座部分に「江戸新肴場」とあります。新肴場は日本橋の魚市場に対抗して成立した新しい魚市場。江戸の魚市場というとすぐに日本橋の魚河岸を思い浮かべますが、実は4カ所にあったそうです(あとふたつは、四日市と芝)。
右は歌舞伎の市村座。中村座が奉納した石灯籠もあるそうですが、残念、そこまでチェックしませんでした。う~ん…返す返す残念。


【江の島からの眺望2】

中津宮から奥津宮へ向かう途中にて。突き出た岬(岩?)の合間に太平洋を望む。

【庚申塔】

中津宮から奥津宮に向かう道の途中。多くの猿が群れている様子から「群猿奉賽像庚申塔」という。台座の部分には蛇が浮き彫りになっている。写真ではちょっと見にくいかも。


【江島神社・奥津宮の鳥居】

三社の最後は奥津宮。正面の石造りの鳥居は源頼朝が寄進したと伝わる。


【江島神社・奥津宮】

かつては岩屋(島にある洞窟で江の島信仰発祥の地ともいわれる)が海水に浸される4月から10月まで、ここに岩屋の本尊が遷座したのだとか。1841年に火事で焼失、翌年に再建されました。


【江島神社・八方睨みの亀】

奥津宮の拝殿天井に描かれた亀。江戸時代、酒井包一によって描かれたオリジナルは社務所で保管され、現在天井で睨みをきかせているのは模写されたもの。どこから見てもこっちを睨んでいるように見えるそうだ。


【江の島からの眺望3】

奥津宮を出て岩屋へ向かいましたが、稚児ヶ淵でちょうど日没となりました。海に夕日はよく似合います。ちなみに岩屋は時間切れ。すでに閉門されていました。


石灯籠と夕日。これもまた江の島らしい乙な風景です。


富士山も見えました。普段は海に縁のない私なので、海と富士山の組み合わせは非常に新鮮な感じ。しかも夕日とセット…痺れます。


【岩本楼】

岩本楼はもともとは岩本院と称し江の島の寺社の総別当として勢威を振るったそうです。江戸時代には同時に将軍や大名の宿泊所も兼ねていたとのこと。明治の世になると、廃仏毀釈やらなんやらで寺院の部分は廃業(?)し、岩本楼と名を変えて旅館業に専念することに。由緒のある旅館なんですね。



そんなわけで、日没とともに江の島めぐりは終了。
江の島って、もっと若者向けのスポットかと勝手にイメージしていたので、島全体が神社っていうのは完全に予想を裏切られました。
それと観光客が多いのは想像通りでしたが、神社をめぐる若いカップルの多さにちょっと違和感。あ、でも恋愛成就を謳っているようなので、それはそれでありなのか…。
個人的には岩屋へ行かれなかったのが心残りでした。次回があるのかないのか定かではありませんが、そのときは是非に…と思いつつ、江の島をあとにしたのでした。