歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈




八日市宿を進み、西に連なる八幡宿に入ったところで、ちょっと寄り道。街道を左折して、八幡宿の南側、かつての小門(おかど)宿へと向かいます。小門宿は八王子十五宿の中でも加宿とされた小さな集落だったようですが、かつては、ここに八王子宿の基礎を築いた大久保長安の陣屋がありました。


【産千代稲荷神社(大久保長安陣屋跡)】


産千代稲荷神社が、かつての大久保長安の陣屋跡です。
長安は、もともと猿楽師の出身で甲斐武田家に仕え、武田家滅亡後、家康に召し抱えられました。武人というよりは行政官として頭角をあらわし、佐渡金山や石見銀山の経営にも手腕を発揮しました。
家康は、長安の実力を高く評価して八王子の再興を任せたのでしょうね。何しろ、江戸の西の固めとなる地なのですから。

【産千代稲荷神社・社殿】


江戸時代に書かれた「武蔵名勝図会」にも記載があります。
この書物が書かれた頃(文政年間=1820年頃)には、
「陣屋跡はかつて西南三方に土手があって、井戸もあったけれど、近年、切り崩して西の隅の土手の上に稲荷の小さな祠があるのみ」
という状況だったようです。
この稲荷の祠が産千代稲荷神社なのでしょうね。

【陣屋の井戸】


社務所の傍らに残る井戸。「武蔵名勝図会」に、かつて井戸もあった…と記されている、まさにその井戸でしょうか?見落とし注意です。

こちらも参考までに→ 産千代稲荷神社と大久保長安


【信松院】


産千代稲荷神社から、さらに南へ10分ほど歩きます。十五宿のうちの上野原宿の西端、目指す信松院は異国情緒漂う本堂が目を引く曹洞宗の寺院です。
開基は武田信玄の娘・松姫。織田信長の嫡男・信忠と婚約を結びながら、結局は嫁ぐことなく武田家は滅亡。甲斐から八王子へ逃れ、この地に隠棲しました。

【信松院・本堂】


立派な本堂です。青瓦と壁の白、ところどころの金箔(?)のコントラストがいい感じです。境内では庭木の手入れ中でした。市守大鳥神社、そして信松院、寺社にとってこの時期は、庭の手入れの季節なのでしょうかね?

【信松院・松姫墓所】


本堂の裏手に松姫の墓所があります。
武田家の遺臣からなる八王子千人同心の心のよりどころでもあったと言われる松姫。後々まで慕われたようで、没後100年たった延享5(1748)年に、墓所を囲む玉垣が、千人同心たちによって寄進されています。

【松姫マッピー】


そして現代。
八王子のゆるキャラとしてよみがえった松姫。特技は「みんなを笑顔にする魔法」だそうです。残念ながら、まだお目にかかったことがありません。それは私が御目見(おめみえ)以下の身分だからかな…。
ちなみにマッピーは、信松院とは直接には関係ありません。八王子商工会議所が生みの親のようです。


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