日日の幻燈

歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと

【note】甲州街道・関野宿から鶴川宿まで歩いてみた(3)-上野原宿を目指して-

2017-10-08 | 旧甲州街道を往く

【諏訪番所を越えて】


甲斐に入って最初の難関・諏訪番所を無事に通過したあと、今少し、上野原へ向かう坂道が続きます。

【慈眼寺】


10分程歩いたところで、街道から右手の小道に入っていくと曹洞宗のお寺、慈眼寺(じげんじ)。慶長7(1602)年開山の古いお寺です。

【慈眼寺・愚痴聞地蔵】


この慈眼寺の境内の一角にあるのが「愚痴聞地蔵」。建てられたのは10年程前のようですが、ガイドブックにも載っていたということは、地元では有名スポットなのかな?大きな耳で愚痴を聞いていただけるのだとか。
普段から愚痴ばかりこぼしている私たちとしては、それぞれが、これ幸いとばかりに
「ちょっと聞いてくださいよ、お地蔵様…」
となりました。少しはみんな、スッキリしたのかな?

【慈眼寺付近の甲州街道】


お地蔵様に愚痴を聞いてもらって、心も軽やかに街道に復帰します。

【船守寺】


慈眼寺から街道に戻って歩き出すと、すぐのところに船守寺(ふなもりじ)があります。日蓮宗のお寺です。
日蓮上人は、鎌倉幕府の弾圧にあい、伊豆のまな板岩(満潮になると海面下に沈んでしまう!)に流罪、というか置き去りにされました。その時、日蓮を救い出したのが上野原出身の漁師・弥三郎でした。ここ、船守寺には弥三郎の遺骨が分骨されておさめられているそうです。それにしても弥三郎、山国の甲斐出身で、伊豆で漁師か…。180度真逆の生活ですね。
私たちは、境内には入らずに先へ進みました。

【諏訪神社】


船守寺に続いて、諏訪神社。
現地の案内板によると、平安時代末期に武蔵国横山党の横山忠重がこの地で古郡忠重と名を改め、一族の氏神として古郡神社を創建したのが始まりとされます。鎌倉時代、古郡氏は和田義盛の乱に連座して滅亡しますが、建長寺開山の大覚禅師が荒廃した社殿を再建し、諏訪大社の御霊を分霊して祀り、古郡神社諏訪大明神と称したと伝わるそうです。
そうそう、先程無事に通過した諏訪番所は、もともとはこの辺りにあったのだとか。

【諏訪神社・拝殿】


横山党?八王子のわが家のすぐ近くではないですか。
あれ?こんなところで奇遇ですね!って、旅先でご近所さんに偶然会ったような、そんな感じ。
拝殿には古郡神社の扁額が掛かっています。

【諏訪神社・芭蕉句碑】


拝殿前にある松尾芭蕉の句碑。
「稲妻や悟らぬ人の尊さよ」
崩し字で、しかも摩耗しているから読みにくい(そもそも崩し字という時点で、私には判読不能です)。

【諏訪神社・古い石碑】


街道に向かって古い石碑が立っています。真ん中は二十三夜待ちの碑でしょうか?あとふたつは何かな?

【上野原宿を目指す甲州街道1】


諏訪神社を後にして、再び上野原宿を目指します。途中「油屋」の屋号の大きな門構えのお宅。立派な蔵もあります。奥で何かを販売している雰囲気でしたが通過します。

【旧甲州街道碑】


街道沿いに立派な石碑。
「あいさつをかわす思いやりの道」
「昔をしのぶ思いでの道」
と刻まれています。
個人的に立てたのかな?とも思える石碑です。

【上野原宿を目指す甲州街道2】


静かな住宅街の真ん中を街道を進みます。たまに畑なんかもあったりして、長閑な雰囲気。

【上野原宿を目指す甲州街道3・中央道越え】


中央道を越えます。高架を歩くというより、街道の下に中央道が潜り込んでいるような感じです。

【疱瘡神社】


中央道を越えるとすぐ、疱瘡神社と塚場一里塚跡に到着。
まずは疱瘡神社。万治4(1661)年の創建。案内板によると、この地で行倒れた老婆が村人の手厚い介護に感謝して、生国の越前から疱瘡神を勧請して祀ればこの地を疫病から守る、と言い残して亡くなったとか。その遺言通りに、ここに疱瘡神社が建てられました。
ここで言う疱瘡とは天然痘のこと。今では聞かなくなりましたが、江戸時代にはそれこそ死の病として恐れられていたことでしょう。

【塚場一里塚跡】


疱瘡神社の裏手に一里塚跡と伝わる小さな墳丘が残っています。拝殿の右側の狭いスペースを進むと見ることができますが、塚そのものへの立ち入りはできません。神社の鳥居の前、街道沿いに案内板が出ていますので、見落とすことはないと思います。
江戸から18番目、塚の上にはカヤの木が植えられていたとも。そもそもこの一里塚、古代の古墳の可能性もあるとか。

【上野原宿を目指す甲州街道4・塚場一里塚付近】


一里塚を過ぎると、街道は気持ちいいくらいに真っ直ぐ、上野原宿に向かって伸びていきます。

【上野原宿を目指す甲州街道5・上野原宿入口】


一里塚から10分弱で国道20号線と合流し、この先は再び国道を歩くことになります。この辺りから、かつての上野原宿となるようです。いよいよ到着しました。
ところで、藤野駅を出発したのが10時45分頃。今は午後1時。上野原宿を歩く前に、どこかこの辺で昼食を…となりました。

【来々軒】


どこか、食べる場所はないかな?
周辺を探すと、国道20号線を少し戻ったところに発見したのがラーメン屋さん。
ここでボリュームたっぷりのラーメンと餃子をそれぞれがオーダー、さらに大盛りチャーハンを4人でシェア。かなりの満腹度で、そして味も文句なし、とても美味しかったです。
でも結果的に言うと、ここで腹が大いに膨れてしまったことが、この日の夜の、とある悲劇につながることになるのですが-それはまた別の機会に。


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