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【note】甲州街道・関野宿から鶴川宿まで歩いてみた(4)-上野原宿を往く-

2017-10-10 | 旧甲州街道を往く

【上野原宿内の甲州街道】


ラーメンと餃子とチャーハンで空腹も満たされた我々は、いよいよ上野原宿に入ります。国道20号線と合流する辺りから、かつての上野原宿が始まるようです。JR上野原駅とは、ちょっと離れた位置関係にありますので、要注意です。

上野原宿の概略
(「甲州道中宿村大概帳」天保14(1843)年)

本陣…1軒
脇本陣…2軒
問屋場…2ヶ所
旅籠…20軒
宿場内の家数…159軒
宿場内の人口…784人

上野原宿を含む郡内地方の特産は、郡内織と呼ばれた絹織物。江戸時代の領主・秋元氏の殖産興業政策によって大いに発展したそうです。江戸の越後屋(現在の三越)でも、店頭に並べて商っていたとか。
そして上野原宿は、郡内地方で唯一、六斎市(月に6回開かれる定期市)が開かれる町として賑わったとのこと。しかしながら当時の宿並みは、ご多分に漏れず、明治以降の火災で焼失…だそうです。

ちなみに上野原という地名の起こりは、
「四方岸高く新田辺りよりは岸上の広原と見ゆ故に上の原と称せるなるべし」(「甲斐国志」)
地形からきているわけですね。

【上野原名物・酒まんじゅう1】


そしてこの地の名物といえば、「酒まんじゅう(さかまんじゅう)」なのだそうです。…という情報を事前に仕入れていましたが、確かにかつての宿場に入った途端、道の両側に「酒まんじゅう」のお店が目につくようになりました。
酒まんじゅうとは、「小麦粉の生地に酒を入れて作った皮であんを包んで蒸した饅頭」とのこと。この近辺ではかつて、祭りやお盆など、人が集まる折に各家庭で作られていたようですが、さすがに今はそういう風習もなくなっているそうです(以上、ネット情報の受け売りです、悪しからず)。

【上野原名物・酒まんじゅう2】


そんなわけで、最初に通りかかったお店で、満腹にもかかわらず我々も食べてみました。そう言われてみれば、ほのかに酒の香りというか味がするかなぁ…?

【上野原宿内の案内板】


道沿いには、こういった案内標識があちこちに立っています。古い町の記憶を残そうとしていることに、温かみを感じたのでした。

【上野原宿脇本陣跡】


ホテルルートインコート上野原のある場所が、かつての脇本陣・若松屋の跡。ガイドブックによると、和宮が江戸に降嫁する際の荷を扱い、屏風が下賜されたとのこと。現在は脇本陣の面影は皆無でした。

【上野原宿商人宿(あきんどやど)跡】


脇本陣と街道を挟んでちょうど向かいあう位置に、商人宿(主に行商人を泊める比較的お安い旅籠)「たち花屋儀兵衛」があったそうです。現在は駐車場になっていて、とくに面影はありませんが、ガイドブックには門を残しているとありました。最近、変わってしまったのですね。

【上野原宿本陣跡】


脇本陣から少し歩いて、消防団の脇の小道を入ると、かつての本陣跡に出ます(かつては街道に面していたらしいです)。立派な門が残されています。明治天皇行幸の際には行在所となりました。いろんなエピソードがありそうな感じなのですが、ネットで調べてみても、あまり詳しいことは出ていないようです。

【本陣付近の甲州街道】


ちょっと奥まった本陣の門から街道に復帰して、さらに西へ向かいます。駅から離れていることもあってか、とても静かで、一昔前の懐かしさを感じさせる町並みです。ただ、国道は車の通行量は多いので注意しながら歩きましょう。

【屋号】


道沿いに「三井屋」の屋号。どういったお店なのか、帰ってからネットで調べてみましたが、これといった情報にヒットしませんでした。それにしても、なかなかの重厚感です。

【上野原宿の西端辺り?】


しばらく進むと、道は三差路となります。真ん中が国道、右は県道、そして左に入る小道が旧甲州街道となります。
ところで、上野原宿の西の端はどの辺りになるのだろうか?ガイドブックによると、宿並み6町18間(約700メートル)とあるので、この三差路辺りがそうでしょうか。
ネットで調べてみても、上野原宿についてのストライクな記事にヒットしないのが残念です。それは上野原宿だけのことではなく、いよいよこの先、ディープな街道歩きになるのでしょうか?
ま、とにかく、ここで上野原宿を出た…ということにして、本日のゴール・鶴川宿へと向かいます。


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