日日の幻燈

歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと

【note】甲州街道・関野宿から鶴川宿まで歩いてみた(5)-鶴川宿へ-

2017-10-13 | 旧甲州街道を往く

【上野原宿~鶴川宿の甲州街道1】


上野原宿の西端(と思われる)三差路を小道に入り、鶴川宿へと向かいます。この近辺で、声をかけてきた近所の方が鶴川宿へ向かう道筋を教えてくれました。感謝!

【上野原宿~鶴川宿の甲州街道2】


段丘の上にある上野原宿を出ると、徐々に下り坂になっていきます。道沿いは長閑な感じ。

【上野原宿~鶴川宿の甲州街道3】


この辺り、古碑古仏が道端に続きます。
ガイドブックによると、文政10(1827)年の木食白道上人の井戸跡碑(完全に見落としました)、同じく文政10年の大乗妙典廻国供養塔(何の碑かわからずに深く考えずに通過)、文政5(1822)年の馬頭観音(前に車がデデーンと駐車していて、ほとんど見えませんでした)。わずかに写真に撮れたのが、この道祖神。いつのものなのかな?

【上野原宿~鶴川宿の甲州街道4】


道祖神のすぐ先で、道は左右に分かれます。旧街道は右側です。標識が出ているので迷うことはないかと思います。そういえば道を教えてくれた方も、ここを右だよ!って念を押していました。間違えてしまう人もいるのかな?確かにぼーっと歩いていたら、そのまま左へ行ってしまうかもしれない…と、ボチボチ疲れが出てきた私は思うのでした。

【上野原宿~鶴川宿の甲州街道5】


道はまだまだ下ります。道端の小川(用水路かな?)の水も、かなりの速さで流れ下っていきます。

【上野原宿~鶴川宿の甲州街道6】


秋です。柿の実の下のトンネルをくぐるように進んでいきます。まだまだ下り坂が続きます。

【上野原宿~鶴川宿の甲州街道7】


柿の実のトンネルを抜けると、歩道橋となり国道20号線を越えます。その先、県道30号線を進みます。

【甲州街道案内板】


歩道橋の先に甲州街道の案内板。国道を越えると、目指す鶴川宿はそう遠くないようです。こういったガイドブック的な案内図は、視覚的にも親切です。素人の私でも、位置関係がよ~くわかりました。

【遥かに鶴川を望む】


そうこうしているうちに、木々の切れ間から鶴川と、川に架かる鶴川橋が見えてきました。あの橋を渡れば本日のゴール・鶴川宿です。それでも、まだかなり下るような感じです。上野原宿、ほんとに高い段丘上にあるのですね。

【上野原宿~鶴川宿の甲州街道8】


県道から分かれる小道を行くのが旧街道のようです。結局は大きくS字を描いて下っていく県道に、また合流するのですが…。

【鶴川橋】


鶴川に架かる鶴川橋に到着。川を渡れば鶴川宿です。もちろんこの橋は後世になってかけられたもので、鶴川は甲州街道で唯一、増水時には川越し人足による渡河が行われる川だったそうです(冬の間だけ仮橋が架けられたとのこと)。通常の水量の時は、人足の世話にならずに、旅人が歩いて渡河したということでしょう。濡れちゃうけど仕方ないのかな?それとも飛び石伝い?

【鶴川】


鶴川橋の上から見た下流方面です。現在の橋の位置よりやや下流の地点が、川越しのポイントだったそうです。
なんでも、ここの川越し人足は番所役人より恐れられていたとのこと。荒くれ者どもがそろっていたのでしょうね。渡し賃のトラブル(ゆすり・たかり・ぼったくりの部類でしょう)もあったようです。

◆◆2017.10.14追記◆◆
日野宿方面から歩いてきて八王子宿に入る手前の浅川も、一部徒歩渡しで、増水時には川越し人足による渡河が行われていたそうです(「新八王子市史」など)。
すると、鶴川が「甲州街道で唯一、増水時には川越し人足による渡河が行われる川」ではないことに…。ガイドブックやネットを鵜呑みにしてはいけないということか…。

【鶴川宿】


鶴川を渡ると、本日のゴール・鶴川宿の入口に到着です。何だか立派なモニュメント。
時刻は午後2時半少し前。藤野駅を出発してから4時間弱。もう少しかかるかと思いましたが、あまり寄り道をしなかったので早い到着となりました。
それでも、久しぶりだから疲れました。どんだけ、普段運動不足なのでしょうかね…情けなや。

さて、ここからどうしようか?
やはり上野原駅に戻るのが無難という意見にまとまりました。幸い1時間に1本のバスがもう間もなく来るとのことですし。さすがに歩いて戻ろうとは誰も言い出しませんでした。



反省会は、最近のお決まりコース・八王子にて。
4時前から開始です。
ところで、酒飲みには少なくとも2パターンあるようです。飲むときはモノを食べない人。飲んでも大いに食べる人。私は後者。食べないで飲むと酔いが一気にまわり、記憶をなくすなどロクなことにならない。でもこの日、昼に食べたラーメンと餃子とチャーハン+酒まんじゅうが、いまだに胃の中に居座り、とても食べるどころではありません。
そして、食べずに飲み続けた私は…

その夜の記憶をなくしましたとさ。

翌日、反省会の「反省」をひとりする羽目になったのでした。


おしまい。


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