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2018年8月15日、晴、猛暑。
数年来の念願叶って、八王子城へ行ってきました。と言っても八王子市民の私、行こうと思えばいつでも行ける距離ではあるのですが。
まずは八王子城の概略を。
1582(天正10)年頃、八王子市西方の深沢山に北条氏照(小田原の北条氏康の三男)によって築城開始。氏照が拠点を移したのが1587(天正15)年頃、そして秀吉の小田原征伐で落城したのが1590(天正18)年。落城後は廃城となったため、築城から僅か10年も経たずに打ち捨てられた城です。
でも、ここは関東屈指の壮大な山城で(規模が大きすぎて、落城時にはまだ完成していなかったとも言われています)、「日本100名城」にも選ばれているほど。
その勇名は随分前から聞こえてきてはいたものの、100名城に選ばれるほどの城なのか?というのが、城に行くまでの率直な感想。
城マニアは、お城に行くことを「攻城」「城攻め」「登城」などと言うらしいので、私もそれにあやかって、八王子城を「攻略」しに、いざ出陣!
(尚、当攻城記はガイダンス施設で入手したパンフレットや地図に
何?関東屈指の心霊スポットでもあるだろうって?
…さぁ、それはどうなんでしょうかねぇ…
【ガイダンス施設】
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朝9時30分。職場のW氏(直属の上司で、街道歩きの旅の仲間でもあります)の車で八王子城に到着。駐車場に車を止めたらまずは隣接するガイダンス施設へ。ここは八王子城の概略がパネルやビデオで分かりやすく説明されていて、詳しい知識なしの我々にはとてもありがたかったのでした(もちろん入館無料)。
何々、北条氏照とは、文武両道に優れた名将だったのか…。
ほほぅ、八王子城築城の背景は、そういうことだったのか…。
入口には「北条氏5代を大河ドラマに!」の幟。そう言えば、似たようなものが、数年前に小田原に行った時にもあったぞ、と。ちなみに北条つながりで小田原市と八王子市は姉妹都市なのです。あと、埼玉県の寄居町も。
【管理棟前】
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ガイダンス施設を出て、いざ城攻めへ!
まずは道なりに進むと管理棟へと出ます(ガイドさんとかの詰所的な感じ)。ここで道は二手に分かれます。管理棟の前を通って左へ進めば居館地区と称されている八王子城のメイン区域へ。城主氏照が住み、政務を執り、客を迎えた城の主要スペースの御主殿跡があります。そして右へ進むと、要害地区と言われる山頂(標高460メートル)の本丸跡、八王子神社へ。こちらは、いざ戦になった際、まさに要塞としての役割を担います。
【大手門跡】
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まずは居館地区へ。
居館地区へ向かう道は遊歩道のように、とても歩きやすく整備されています。
管理棟から5分程度で大手門跡。発掘調査により門の礎石や敷石が出てきましたが、現在は埋め戻されているとのこと。
【居館地区へ向かう古道(大手道)】
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大手門を過ぎて城内を進みます。右側には道に沿うように城山川が流れています。綺麗に整備されていますがこの道が築城当時の大手道で、川の反対側にもう一本、城内へと向かう道があるのですが、こちらは江戸時代の林道だそうです。
【曳橋(ひきばし)】
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大手道から城山川を越えて御主殿へと向かいます。川を越える橋が架かっていますが、これは当時の橋を再現したものではなく、あくまで見学者用に掛けた橋とのこと。築城当時、川を渡る橋はもっと簡易なもので、敵が城内に攻め寄せた場合は、壊して侵入を防げるようにしてあったらしいです。
曳橋という名称は江戸時代の地誌「武蔵名勝図会」の記載によるものだそうです。
「曳橋跡 本丸の西に石垣ありて、幅9尺ほど、長さ3間ばかり、高さ6、7尺にて、橋台の跡なり。その下に谷川あり。その向こうは山崩れにて、路跡絶えたり」
ここで言う本丸とは、山頂の本丸跡ではなく御主殿のことで、谷川は城山川でしょうね。
【御主殿の虎口(こぐち)の石垣】
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曳橋を渡ると御主殿へと続く虎口(曲輪への出入り口)。ここの石垣は築城当時のものをそのまま残してあります(埋もれていた石垣を発掘したままの状態にしてあるとのこと)。
【築城当時の石垣】
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石垣に使われた石は、この山から切り出した砂岩で、積み上げた後、隙間へも小石を詰め込んで、より強固な造りにしてあるそうです。
【御主殿の虎口】
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左手の土塁上が御主殿になります。城攻めとしては、ここを突破すると一気に八王子城の中枢を制圧ということになります。
【御主殿の虎口の礎石】
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矢印の4か所に礎石があります。この場所に櫓門が建っていた可能性があるようです。
【御主殿の入口】
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いよいよ御主殿に到達です。ここまで管理棟から約20分、大手門からは約15分です。
ここから先が城主・北条氏照の居住スペース。八王子城の中枢となります。
いざ、勇を奮って攻め込まん!