日日の幻燈

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【note】八王子城攻略記(3)-激闘!猛暑の本丸攻め-

2018-08-19 | 新参者の八王子探検

【管理棟】


八王子城攻略の3回目。前回までに御主殿を制圧し、残るは標高460メートルの山頂で我々を待ち受ける本丸のみとなりました。

八王子城攻略記(1)-御主殿へ向けて、いざ出陣!-
八王子城攻略記(2)-御主殿制圧!-

御主殿の滝から、いったん管理棟へと引き返し、駐車場前の自販機で飲み物を補充。夏場、とくに飲み物は必須です。この先、もちろん自販機などありません。ここが給水ポイントです。W氏も私も500mlのペットボトルを2本を購入、万全の態勢で臨みます。
管理棟前で枝分かれしている道を、今度は右手へ進み、山頂の本丸を目指します。ちなみに管理棟のおじさん曰く、本丸までは普通は40分程度だけど、今日は暑いから50分くらいかかるかなぁ…だそうです。

普段、運動不足のW氏と私。この猛暑の中、50分の山道を突破して、無事に本丸攻略を成し遂げられるのか…。


【本丸への登城ルート(現地の野外模型より)】


登城ルートの確認。下部中央のトイレマークのある場所が管理棟。ここから、9金子曲輪→10柵門跡→12高丸→15八王子神社→16本丸という、一番真っ当なルートで攻め登るとしましょう(標識などに沿って行けば、結果的にこのルートを進むことになります)。


【本丸への登城口】


さて、いよいよ攻略開始です。登城口の八王子神社の鳥居の向こう、本丸への山道が続いています。
本丸へのルートはいろいろとあるようですが、中には崩落の可能性があったり、極端に道幅が狭かったりと、危険な道もあるそうなので注意が必要です。管理棟のおじさん曰く、年にひとりくらいは滑落して救助を求められる。ご油断なきよう、とのことでした。
前述のとおり、私たちは一番オーソドックス、それこそ道なりに進んでいけば本丸へ到達するコースをとりました(新登城道)。ところどころに休憩のためのベンチがあり、道標も設置されているので安心です。
ここで、家族4人連れが行こうか、行くまいか迷っていましたが、結局断念した模様。そこの奥方様、日傘をさしたまま本丸を目指そうなどと、ちょっと無理ではありませぬか?


【金子曲輪(金子丸)1】


登り始めるとすぐに金子曲輪。パンフレットには、「尾根をひな壇状に造り、侵入を防ぐ工夫がなされている」とのこと。石段を登りながら、ひな壇状の曲輪を着実に制圧していきます。ただし、当日は「ひな壇状」を確認するほどの余裕はすでになく(この時点で早くもヘタレ始めていました)、黙々と攻め登ったのでした。


【金子曲輪(金子丸)2】


登城口から、ひな壇状に造られた金子曲輪の最上部に到達するまでに、約10分少々。曲輪は山道を除き夏草が茫々と生い茂っている状況。

この曲輪、攻城戦では金子三郎右衛門が守備していました。

「金子郭 金子三郎右衛門家重が籠りし廓なり。一の丸なり」
「金子三郎右衛門家重は義を鉄石に比し粉骨を砕き相戦って終に生害す」
(「武蔵名勝図会」)

「利家父子しきりに下知して士卒をすすめ、金子丸を乗とり、金子三郎右衛門を討取けるにぞ…」
(「新編武蔵風土記稿」)


【金子曲輪(金子丸)3】


休憩用のベンチが早くも我々を誘います。攻城戦はまだ始まったばかり。休んでいる場合ではないのですが、すでに息があがっています。


【柵門跡1】


金子曲輪からさらに10分程度で、柵門跡に到達。
現地の案内板によると「山頂の本丸方面へ続く道の尾根上に築かれた平坦地で柵門跡と呼ばれています。名前の由来など詳しいことは不明です」とのこと。ここに門や木戸でもあったかのようなネーミングですね。


【柵門跡2】


ここで道は二手に分かれます。左(八王子神社)が目指す本丸ルート。右(松竹バス停)へ進むと城の搦め手(裏口)へ抜けます。上杉景勝はこの搦め手から攻め寄せました。
ちなみに搦め手辺りは滝の口(滝の沢)とも呼ばれていたそうです。氏照がそれまでの滝山城から八王子城に居城を移した理由のひとつに、「滝」は落ちるので城には縁起が悪いから、というものがあったとかなかったとか。なので、滝の口という地名も霧降ヶ谷に変えてしまったそうです。「滝」という地名があると落城するなんて俗説だろ…と、「武蔵名勝図会」ではバッサリ。

「6月23日、北国勢朝がけに八王子の町口を押破り、霧間がくれに張番の軽卒等を撫切にし、追て城外へ詰よせたり」(「新編武蔵風土記稿」)

霧降ヶ谷というネーミング、ちょっと洒落ていますが、その「霧」に乗じた攻城軍に「降る」ことになった八王子城。地名を変えてみたものの、かえって逆効果だった?

さて、この辺りが登城口からの中間地点。あとまだ400メートルもあるのか?平地の400メートルなんて、なんでもない距離なのに、この山道の400メートルは、かなりきついぞ。そんなわけでここでもベンチでひと休み。息があがっているうえに、太ももがパンパン。口数も少なくなりました。予想していたとはいえ苦戦中。この先に大いに不安を抱く私たち攻城兵二人組なのでした。


【高丸】


柵門跡から10分少々、高丸に到達。地図で見ると、だいぶ山頂部に近づいているようです。高丸に関しての具体的な説明はありませんでしたが、数多い曲輪のひとつなのでしょうか。


【見晴台】


すでに攻城半ばで心が折れかけてきた私たちですが、すれ違う人たちは、この先に絶景の地があるから頑張りな、と励ましてくれました。
それは…(ハァハァ)、きっと…(ヒィヒィ)、山頂本丸からの眺めだよね…(フゥフゥ)、結局、そこまで行くのかい…(ヘェヘェ、ホォホォ)、と、口には出さなくても、もう許してくだい状態だった私たちの前に、噂の絶景の地が突然出現。
高丸から本丸方面へ歩いてすぐのviewポイント。
まさに関東平野を一望。写真ではわかりませんが、八王子中心街の向こうに新宿のビル群。スカイツリー、そして遠く筑波山まで確認できました。W氏曰く、常陸(茨城県)の佐竹が筑波山で狼煙をあげたら、ここから確認できるよなぁ~と。この眺望、関八州の雄・北条家の面目躍如といったところですね。


【中の丸】


見晴台からすぐ、中の丸に到達。最早、攻城軍というよりも、敗走兵の雰囲気を醸し出している私たち。攻め込むというより、ヘロヘロになって逃げこんできた、という表現の方が合っているかもしれません。

それはさておき、ここは本丸のすぐ下にあたり、中山勘解由が守備していました。

「勘解由ヶ丸 中山勘解由家範が籠りし廓なり。中の丸とも号す」
「前田慶次利太乱軍を纏めて再び中の丸へ攻めかかる処に、中山勘解由家範は武篇場数の驍士…八州無双の達者なれば、大軍に屈せず、城辺まで敵を引き付け矢炮を発して寄手数百人を討ち殺す」
「中山勘解由は勇兵二百ばかりにて数回突いて出て猛勇を振いけれども、その勢次第に討ち死し、いまはわずかに十六人に及べり」
(「武蔵名勝図会」)

寄手の大将・前田利家は、勘解由の奮戦ぶりを大いに称賛して、命を助けようとしたものの、すでに妻とともに自害したあとだったそうです。この時の奮戦ぶりが家康にも評価され、勘解由の長男・照守は取り立てられて幕府の槍奉行を勤め、次男・信吉は水戸徳川家の家老となり、ついには大名の地位を手に入れました。兄弟による華麗なる敗者復活です。


【本丸周辺の曲輪(現地案内板に赤字で加筆)】


中の丸を中心に、本丸の下には守備を固める曲輪が配置されています。小宮曲輪は、狩野一庵が守将として籠りましたが、ここが突破されたたことで、早々の落城に繋がったとされます。

私たちも他の曲輪へも攻め込むべきか?
いえいえ、そんな気力も体力も、もう残っていないことは先刻承知でしょう…。


【八王子神社1】


他の曲輪の攻略は断念しても、本丸だけは落とさないわけにいきません。中の丸からさらに裏手へまわり、重い足を引きずりながら、見えてきたのは八王子神社。そう、この神社こそ、この地が八王子と呼ばれる起源と言われています。


【八王子神社2】


八王子神社の起源は、平安時代にさかのぼります。
昔々、あるところに妙行という僧がおりました。妙行がこの地(深沢山)で修業中、牛頭天王(ごずてんのう)と、その眷属神である8人の王子が現れました。彼は周囲の峰に牛頭天王と8人の王子を祀る祠を建て、それがこの地で八王子信仰として根付いていきましたとさ。おしまい。

■牛頭天王
インドから中国を経て伝来。もともとは疫病神の性格を備えていたが、後には疫病や農作物の害虫、その他の邪気を退散させる神として定着。

■牛頭天王の8人の王子
人間の吉凶を占う方位の神。もともと牛頭天王の眷属神だったが、そのうち牛頭天王から独立した形で信仰されるようになった(八王子信仰)。

氏照が城を築いた際に、ここに古くからあった八王子神社を鎮守としたため、八王子城と呼ばれるようになったと言われています。まさに、ここが八王子市民のルーツと言ってもよいかもしれません。
尚、ご神体は落城時に城兵が奉戴して逃れ→洪水で流出→近くの農民が発見→現在の八幡八雲神社に遷座、八王子宿の氏神様として信仰され続けていきます。


【古井戸】


神社の脇に古い井戸があります。八王子城時代のものでしょうか。井戸の上を金網が覆っていますが、とくに標識などはないので、踏み抜かないように注意してください。


【本丸1】


八王子神社のある中の丸から、いよいよ最終目的地の本丸へ。ここまで来れば、あと、もうひと踏ん張り。神社の裏手の高みへと登っていくと…。


【本丸2】


お、お、お、お、お-----、ついに到達!
ここが天下に名高き八王子城の本丸跡。
苦戦しながらも、本丸へたどり着きましたぞ。

おお…ここが八王子城の本丸か…。感無量です!


【本丸3】


本丸は横地監物が守備していました。

「本丸跡 三十間四方の地。この辺に石雁木、築地などあり」
「城将の内、横地監物は切り抜けて死を遁る。横地はこの場を切り抜けて、檜原村の山中へ入って自殺すると云」
(「武蔵名勝図会」)

「藤田能登守信吉、甘粕備後守清長等、前登りし本丸へおし入り、散々に責めかかりければ、大将横地監物防ぎ兼て落ち行けるにぞ」
「利家、景勝眉目を施せしと云々」
(「新編武蔵風土記稿」)

そのスペースは思っていたよりずっと狭い。この敷地内に何か建てられるとしたら、いいところ、簡単な物見櫓程度かな?生い茂る木々のため、見晴らしはまったくきかず、本丸跡の石碑と小さな祠があるのみです。
それでも、ここで最後の決戦が行われ、八王子城はその短い役割を終えたんだよなぁ…と思うと、胸に迫るものがあります。


【本丸4】


いやはや、私たちもなんとか本丸を攻略して、「眉目(面目)を施せし」となりました。
登城口から本丸まで、何度も休みながら費やした時間は約50分。管理棟のおじさんの予想攻略時間、まさに大当たりでした。
しかし、私もW氏も口には出さなかったものの、途中で何度、攻略を断念しようと思ったことか。
山頂本丸には、下界の猛暑が嘘のような涼しい風が吹き抜けていました。登城中は強烈な陽射しも木々に遮られ、あまり苦にはならなかったというのが正直なところ。結局、これほどまでに苦戦した理由は、単に普段の運動不足ということなのか…。


本丸からの下山は、足取りも軽く、約35分程度。
管理棟の水道で顔を洗った時の、あの清涼感!
管理棟のおじさん曰く、え?上まで行ったの?いや~本丸までよく行ったね~、実は無理じゃないかと思ってたんだよね~、とのこと。ほんと、途中で引き返さなくてよかったです。

再度言おう、「眉目を施せし」と。


■■余禄■■
八王子城を攻略し、気分を良くした私たちは、その余勢をかって滝山城攻略をもくろみました。
しかしながら、滝山城大手口は「近年まれに見る大きさのスズメバチの巣が発見されたため閉鎖」(←こんなニュアンスでした)されていて、勢いに乗った私たちでしたが、滝山城スズメバチ守備兵にあっさり撃退されてしまったのでした。


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