セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

霞が関官僚出身候補の「つながり力」とは何か

2009-04-15 22:11:41 | 名古屋
名古屋市長選挙で、経産官僚出身の細川候補が「つながり力」という。おやこの間までの全国の自治体の首長選挙では、中央官庁出身の候補は、良心に目覚めた人は別として、たいがいは「中央との太いパイプ」をアピールしていたのに、変わったのかなと思ったら、よく考えれば、「パイプ」=「つながり」だから、「太いパイプ」=「つながり力」で、相変わらずの官僚候補のスローガンである。

そういうと細川候補は、そうではなくて「市民どうし、会社同士のつながりだ」と言うかもしれない。でもそれがまた問題なのだよな。日本の官僚の問題点は、自分と繋がっている利益共有者のつながりしか見ずに、本来の自己の役割及び給料をもらう根源となっている国民の利益は無視されることだ。薬害肝炎にたいして厚労省は何をしたか?日頃から付き合いのある製薬業者の利益だけが関心事となり、患者や国民の利益はまったく視野に入ってこない。さらにキャリア官僚集団だけに輪をしぼると「つながり力」は強力となる。公務員制度の改革の委員会での事務次官出身の委員の態度は、北朝鮮の外交官にも匹敵するかたくなさである。そこには自分自身による良識の判断はなく、母体の既定方針にいかなる変更もない。

細川氏が昨年9月に鉄鋼連盟理事から中京大学の教授となってから、期を同じくして名古屋のよくわからない財界グループから名古屋市長に細川氏を推すという記事が散発的に新聞に流れた。おそらく財界グループと細川氏が示し合わせて、それに中京大学が便宜を図ったと思われる。韓流時代ドラマの「張禧嬪」で、張禧嬪が王様の子供を産んだら、「つながり」をつけようと、官職や利益便宜を求めるものが贈り物をもって張禧嬪の実家に列をなして群がったのを思いだす。まあ「つながり」というのは、コネともマフィアともいうから。

細川氏は旧来の重厚長大の経済官僚候補となんら変わることはない。見てくれは新しいが、中身はかなり時代遅れだ。また中京大学を利用したり、財界グループをつかったりとかなり姑息なキャラクターだ。

備中松山藩の藩政改革を成し遂げた山田方谷は「理財論」で「それ善く天下の事を制する者は、事の外にたちで、事の内に屈せず。」と言っている。新市長は事つまり旧来の慣習や既得権の外に立って、事の内に屈しないようにしてほしい。