この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

ダイイチルビーの思い出

2021-06-05 15:18:35 | たかが競馬、されど競馬
平成3(1991)年第41回安田記念のことである。
相変わらず仕事の上では問題を抱えているわたしだったが、やはり師匠と東上した。師匠が絶好調なので航空券代を出すからぜひ一緒に行こうと強く誘われたのだ。今回は一銀堂も一緒だった。
1番人気はバンブーメモリー(武豊)、2番人気ダイイチルビー(河内)、3番人気レオプラザ(平井)という人気だった。

バンブーメモリーは2年前に安田記念を取っており、次の年は調整に失敗して安田記念は6着だった。ところが秋には復活して天皇賞3着、マイルCS2着、スプリンターズSの1着で休養に入り、京王杯SC4着とひと叩きして臨んできていたのである。
一方ダイイチルビーはクラッシックをアグネスフローラ(桜花賞)、エイシンサニー(オークス)に負けて、力及ばずの成績だった。
古馬になって快速が実ってきた。京王杯1着をあげて安田記念に臨んできていたのである。
われわれはこのダイイチルビーを狙って東上していた。

ダイイチルビーの単勝5万円、バンブーメモリーへの2-7に5万円、6-7、7-8を1万円買った。バンブーメモリーがらみの馬券である。おまけに6-6を1万円追加した。6-6はダイタクヘリオスとハヤブサオーカン(小山内)への夢馬券(520倍)である。
節操がない。主軸への信頼がないのである。こんな馬券を買う奴の気がしれない。(今だから言えるのだが)
外れるときは外れたらいいのだ。どうしてこんなに中途半端な馬券を買おうというのか?

ダイタクヘリオスがいち早く抜け出した。そこへダイイチルビーが猛追する。ワンテンポ遅れてインを突いてバンブーメモリーが驚異の末脚を伸ばす。思わず「2-7!」とわたしは叫んでいた。
ダイイチルビーが1馬身抜け出たところがゴールだった。ダイタクヘリオスか?バンブーメモリーが届いたか?
わたしは2-7が本線だったので祈る気持ちだったが、写真判定の末ダイタクヘリオスが2着に入った。ダイタクヘリオスは10番人気だった。

すると隣の一銀堂が、「やった!窓口!」と叫んだ。そして「2-6だろ!」と興奮していた。
わたしはダイイチルビーの単勝を5万円持っていた。配当570円。28万5千円の大勝ではあった。
しかし、一銀堂は2-6(6,440円)を2万円、128万8千円の配当を手にしていたのだ。
一銀堂は師匠からアドバイスを受けていたに違いない。後で聞くと師匠は10万円買っていたようだ。
わたしは2-6を買っていなかった。まったく信じられない大ポカである。6-7、7-8の抜け目を抑えるのはいい。しかし、6-6を買っていながら肝腎の2-6をまったく買っていないとは?わたしは財布に7万円を残していたから、お金が足りなかったわけではない。最低でも2万円は買っていても不思議ではなかった。とても信じられないが日記に残っているから記憶違いではない。

わたしだけ蚊帳の外だったが、自業自得だから仕方ない。
しかし、師匠も一銀堂もそれで蔵を建てたわけではない。勝負のお金は次の勝負に充てられる。常勝はあり得ないからそんなお金はいつのまにかどこかにいってしまうのだ。
その一銀堂も師匠も今はいない。栄枯盛衰の鐘が鳴る・・・だ。

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