この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

漂流する普天間基地(Ⅲ)

2010-05-19 17:40:12 | 意見がありますけど
もう普天間基地の問題は終わりにしようと思っていたが、その日(5月16日)琉球新報に岡本行夫氏の「再考普天間問題」‐4‐のコラムが出たのを読んで、国防の問題はそんなに単純じゃないと感じたので、もう一度この問題に触れることにした。
というのは、シンガポールで開かれたアジア太平洋地域の安全保障専門家の会合で、中国の代表がいたにもかかわらず、出席者のほぼ全員が「膨張する中国の海洋軍事行動を非難していた」というのである。確かに最近でも、沖縄本島と宮古島の間を中国の軍用艦が通過したというニュースを見たばかりだ。

「中国は、1992年に国内法によって南シナ海、東シナ海の島々と共に、尖閣諸島を自国領土として編入した。これまで中国はアメリカやロシアが地域から引けば、必ずベトナムやフィリピンとの間で領有権を争っていた島々を占拠してきた。(88年に中国がジョンソン環礁をベトナムから奪取したときには、ベトナム側に60人以上の戦死者が出ている)」と文中にあった。急成長している中国経済、そして中国国民の生活基盤も大きく変化して相当向上している。一番鼻っ柱が強くなる時期だ

わたしが書いたような、国対国の戦争がいきなり起こるわけではないのだ。植民地の所有権争いがもつれて本格的な戦争になって行った19世紀型のことだって起こるわけだ。
尖閣列島の所有権の問題は、とりわけこの沖縄に関係している。豊富な埋蔵量があるという話だ。また、近くにガス田もある。中国だけではなく、韓国も台湾も領有権を主張している。
このような国家レベルの欲は簡単に解きほぐせないだろう。国連に仲裁機関があると思うが、いまの中国がすんなり聞くとは思えない。最後には力づくになるのか。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という、日本国憲法9条の高邁な理念に基づいて衆知を集めて解決して欲しいと思う。

相手があることだから、それでもうまく行かないときにはどうするか。
戦争も辞さないのか、それとも権利を放棄するのか。この辺からは考え方の違いになるから説得とか、納得の話にはならないと思うが、わたしは放棄する立場に回るだろうと思う。
どんどん攻め込まれても、ただ、手をこまねいて見ているだけなのかと、言われるかもしれないが。他に手がないとしたら、どんどん攻め込まれてもいいとする。戦争を選ぶより、他で富を築く方法を考えたいと思う。わたしはそれでいいと思うが、その考えを人に押し付けようとは思わないし、説得したいとも思わないが、たかが、石油のために戦争をするなんて愚かなことだと思う。あると思うから損したと思うのであって、最初から無かったと思えば悔しくもない。無いなら無いなりになんとかやって行けるものだ。

ただし、国民投票か何かで戦争をすることになったらどうするか。みんなが決断したことだから、粛々と従いたいと思うが、そんなつまらないことで子どもたちを死地に追いやるのは忍びない気がする。たかが、銭金なのだよ。可能性と引き換えにしたいとは思えないのだ。もし、生き延びても無駄な人生を送っているかもしれない。わたしのように競馬に耽る人生になるかも知れないが、それでも可能性を閉ざす決定はわたしにはできないと思うのだ。
誰も本意で人生を全うするわけではないから、戦争で死のうが、交通事故で死のうが、老いさらばれて病院のベッドの上で死のうがどっちでもいいことなのだが・・・。

そうか!ひとつ違うのは、戦争は、自分だけが、死ぬだけではないのだ。相手をこの手で殺さなくてはいけない点が違うのだ。
自分の可能性を自分の決断で終わらせることはできても、相手の可能性(個人または国)をわたしが終わらせるということに加担したくないということだけなのかもしれない。
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