「岩石」さんコメントをありがとう。ただ、同じコメントをこんなに重ねる必要があったのでしょうか?その意図がわからず戸惑っています。
遺伝子解析によるハプログループの日本への流入の説は勉強不足でよく理解できていません。
ただ、「邪馬台国」については昭和47(1972)年頃に「まぼろしの邪馬台国」(宮崎康平)を読んで古代史にはまりました。その後松本清張など渉猟して古田武彦に行きつき、常に実証を貫く彼の姿勢に心酔し信奉しています。
「岩田」さんのコメントの中に神武東征について触れていましたが、これまで津田左右吉によって「記・紀」の神武東征はフィクションとされていました。ところが近年多くの専門家も事実だっただろうと言っています。わたしも古田武彦(「邪馬台国はなかった」の著者)の説から実際にあったことだと疑っていません。
ただ、紀元前667年というのはちょっと疑問です。
もしあなたの言うように隼人(薩摩)を引き連れてと言うのが正しいとすれば、3世紀に書かれた「魏志倭人伝」の時点では「南、投馬国(薩摩?)水行20日」とある「投馬国」は女王国の統治下には入っていなかったようなので、それ以降のことではないでしょうか?
古田氏はその時代「春秋2倍年歴」を適用していたと主張しています。そうだとしたら神武天皇(初代)の127歳も景行天皇(12代)の147歳も半分の64歳と74歳となって十分納得できます。
紀元前のことではなく紀元後3世紀以降のことではないかと考えています。
出典がわかればわたしも読んでみたいと思います。検証するのに吝かではありません。ぜひ追加コメントを宜しくお願い致します。
遺伝子解析によるハプログループの日本への流入の説は勉強不足でよく理解できていません。
ただ、「邪馬台国」については昭和47(1972)年頃に「まぼろしの邪馬台国」(宮崎康平)を読んで古代史にはまりました。その後松本清張など渉猟して古田武彦に行きつき、常に実証を貫く彼の姿勢に心酔し信奉しています。
「岩田」さんのコメントの中に神武東征について触れていましたが、これまで津田左右吉によって「記・紀」の神武東征はフィクションとされていました。ところが近年多くの専門家も事実だっただろうと言っています。わたしも古田武彦(「邪馬台国はなかった」の著者)の説から実際にあったことだと疑っていません。
ただ、紀元前667年というのはちょっと疑問です。
もしあなたの言うように隼人(薩摩)を引き連れてと言うのが正しいとすれば、3世紀に書かれた「魏志倭人伝」の時点では「南、投馬国(薩摩?)水行20日」とある「投馬国」は女王国の統治下には入っていなかったようなので、それ以降のことではないでしょうか?
古田氏はその時代「春秋2倍年歴」を適用していたと主張しています。そうだとしたら神武天皇(初代)の127歳も景行天皇(12代)の147歳も半分の64歳と74歳となって十分納得できます。
紀元前のことではなく紀元後3世紀以降のことではないかと考えています。
出典がわかればわたしも読んでみたいと思います。検証するのに吝かではありません。ぜひ追加コメントを宜しくお願い致します。
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